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症状別アドバイス集

普通神経症の部屋・2005年

一人相撲にならない '05.12

こんにちは、Ngさん。文面拝読させていただきました。現在、不眠は如何ですか?文面からNgさんは仕事だけでなくご家庭でも非常に負担の多い生活を強いられていることが読み取れました。不眠に至るくらいですからさぞかし大変だったと思います。
さらに様々な不安もあるようですね。不安の内容から、「今の負担の多い状況が続けば自分はどうなってしまうのだろう?」というNgさんの叫びが聞こえてくるような気がします。もしそうだとするならば、診断はさておいてもNgさんの状況で大切なことは、「負担の多い状況を軽減し、疲労を如何に溜め込まないか」ということであろうかと思います。不眠や不安が著しいとするならば、睡眠薬や抗不安薬、さらに心身の疲労の状況に応じて抗うつ薬をきちんと服薬し、まず症状の軽減を図るべきでしょう。
しかし、その一方で今一度、自分だけで様々な問題を抱え込んでしまっていないかについても振り返ってみる必要があると思います。特にNgさんは服薬をためらうくらい薬に対する不安が強かったのですから、薬に頼るということを由としなかったのだと思います。もしかしたら今までも色々な人に頼ることもあまり由としてこられず、自分自身の力でのみ頑張ってきたのかもしれません。
そうだとすれば、Ngさんの心身が悲鳴を上げるのは当然のように思います。そのため、まずは今の大変な状況を周囲の人々にきちんと相談することが大切かと思います。
相談することで、周囲の人々はNgさんが如何に大変な状況で頑張ってきたことをはじめて理解するでしょう。さらに、その状況を知った周囲の人々から思いがけないアドバイスを頂くことが出来るかもしれません。頼ることは、Ngさんにとって勇気のいることかもしれません。けれど必ず新しい展開をもたらしてくれると思います。大変でしょうが是非頑張ってください。
(樋之口潤一郎)

身体に導かれての変化 '05.11

MaさんやPrさん、Clさんの言われているように「身体の回復が心の回復をもたらす」というのは、本当にその通りだと思います。
私も入院森田療法を担当するようになって、何人もの人が臥褥や作業を通して、まず身体の健康が取り戻され、それにつられるようにして心の健康を取り戻されていく姿にとても感銘を受けています。
森田先生は心身は同一物の裏表であり、その観方が異なるだけだと述べられています。
「精神はその人の生活活動そのもの」とも言われ、たとえば驚くという感情も横隔膜があがったり、動悸がすることなしに驚くことはできないというのです。 だからこそ、森田療法では身体を使っての生活の行動や、経験を通した体得を重視します。
さて、日常での身体の健康のための手立てですが、ほかの部屋を拝見しても、このフォーラムではウォーキングが人気ですね。ウォーキングに限らず、日常の身体を動かしての家事なども良いと思います。
それぞれの方が「わからない場所で怖がらなくなった」「季節を楽しめるようになりマウンテンバイクにも乗るようになった」「エアロビに初めて行って『また来週も来たい』と希望した」などの身体と心の変化を経験されています。
自分のペースで進められる手軽な方法というのもいいのでしょう。 しっかり地面を踏みしめて歩くことは今を「生きている」ことの実感にもつながります。
足元だけでなく、目を上げて道端の花、今の季節だったら木々の紅葉に目をやるのもいいですね。毎日の変化に気づけるようになったらしめたもの。
そうすることで、外界に目が向くようになり、心も生き生きと動き出すことでしょう。
(塩路理恵子)

摂食障害に対する森田療法 '05.10

At様、奥様が様々な自律神経症状に悩まされ、摂食障害、うつ状態で入退院を繰り返されさぞかし大変かと存じます。この体験フォーラムで相談回数もあまり多くないであろう摂食障害に対する森田療法について述べたいと思います。
摂食障害には大きく分けて神経性無食欲症と、神経性大食症があります。神経性無食欲症とは、年齢と身長にみあった正常体重の最低限を維持することを拒否し、体重が不足していても体重が増えるや肥満への強い恐怖があり、低体重の自分を認めず、無月経が少なくとも3回ないものとされています。一方神経性大食症とは、普通より明らかに多く食べるといったむちゃ食いを繰り返し、これを制御できず、体重増加を防ぐために下剤などを利用したりし、平均して少なくとも三ヶ月間にわたり週二回は繰り返し、自分の評価は体形や体重に左右されるような状態です。
森田療法で効果が期待できるのはどちらかといえば神経性大食症です。たくさん食べてしまうという行動の背後に「自分を過剰にコントロールしたい気持ち」があり、体重や体形に「とらわれている」といった文脈で捉えられれば、それだけ他人によく思われたい欲求が強いと読み替えることができ、この欲求を建設的な行動へ転換していくことが目標になるでしょう。ただ摂食障害は神経症というより心身症に近いため、神経症のように症状不問(この場合食事量を問題としない)というわけにはいきません。ある程度食行動への具体的対処を行いながら次第に先に述べたような森田療法的アプローチを実践していくのが望ましいです。
神経性無食欲症については神経性大食症以上に森田療法以外の技法を組み合わせて行なっていることが多いようです。
いずれにしても、摂食障害に対しては森田療法の正攻法だけで乗り越えるのは難しいことがあります。もし現在おかかりの先生が森田療法をあまりお知りでない場合、過食や拒食などへの具体的助言を主治医にもらいつつ、食事以外の日常生活や今後の自分の生き方へ目をむけていくのも良いかもしれません。
(舘野 歩)

「予期不安」にどう対処するか '05.09

S4さんの悩みは、「就職意欲はあるのですが、行動する前に『ちゃんと仕事が出来るだろうか、通い続けれるだろうか』などと色々な不安を考えて」思うように行動が出来ないというものでした。これは予期不安と呼ばれるものであり、「完全に失敗なくやりたい」という欲求があるからこそ生じるものです。神経質の人はどうしても「ちゃんと」事を進めようとし、予想される不安は全て排除して「万全」な状態にしてから取り組もうとしがちです。そして不安があるうちはとても「ちゃんと」出来ないと考え、行動を避けてしまうのですが、それは結果的に自分の世界を狭めることになり、一層葛藤的になってしまうわけです。実際S4さんも「どうして出来なかったのか」と罪悪感や後悔の念にかられ、ますますマイナス思考になっていると書いています。まさに悪循環ですね。
「進むのも怖い、しかし避ければ自分が情けない」。こうした迷いに直面した時、どうしたらよいでしょう?上述のフレーズからもわかるように、堂々巡りに陥っている時の答えは進むか否かの二者択一であり、そこでものさしになっているのは「万全」かどうかです。しかしいずれの方向を選んでも結局後悔は伴ってしまいます。そうだとするならば、とりあえず「万全」という半永久的なイメージを脇に置いて、「今」に立ち返ることが新しい道を探る手立てになるでしょう。考えてみれば、何とか避けようとしている不安は、大抵「もしも・・・だったら・・・」という仮定の文脈であり、実際にどうなるかはわからないものです。いくら万全を期そうとしても将来まで把握することは出来ません。それならば、完璧な未来はわからなくても、それに近づくために「今、せめて、何が出来るか」を考えてみることが最も現実的な対処と言えるのです。就職の面接であれば、どんな会社なのかをじっくり調べたり、面接で主張したいことを整理してみるのも「今、出来ること」でしょう。
また一人暮らしであれば、どんな場所がいいのか、間取りはどうか、生活には幾らくらいかかりそうなのかetcを検討することが必要でしょう。こうして、「今出来ること」に目を向け、それを行動に移すことによって、次第に具体的なイメージがわいてくると言えます。行動するのか、考えるのかではなく、行動しながら考えることです。そしてその際には、遠い将来ではなく、「今」どうするのかを考えていくことが身近な一歩につながるでしょう。
(久保田幹子)

「エイズ恐怖」をめぐって '05.08

Knさんの悩みは切実ですね。「疾病恐怖、特にHIVウイルスに対する恐怖感で悩んでいます。・・・大丈夫だと思うように努力しますが、気になって仕方がなく、どうにも止まりません」。
疾病恐怖についてはこれまで何度も医師や体験者の方々がコメントしていますので、「屋上屋を重ねる」ような気がしないでもありませんが、少々補足しておくことにしましょう。
もう20年くらい前のことですが、マスコミ報道などを通じてHIV感染症についての不安が急速に広がった頃、「エイズ恐怖」の患者さんが相次いで来院されました。調べてみると「エイズ恐怖」を訴える人たちの中には、元々不潔恐怖的な傾向を持った方が少なくありませんでした。このタイプの人は、例えば「コンビニの店員が指に怪我をしていた」といった些細なことから、「万が一血液を介してウィルスが伝染したのではないか」という不安がつのっていくといった発症パターンでした。たいていはKn さんのように長時間手や身体を洗うといった行為にも及んでいました。
もちろん病気は恐ろしいものです。ましてHIV感染症は治療薬が開発されたとはいえ、皆が恐れる病気の代表格だと言えます。その理由のひとつはスーザン・ソンタグが指摘したように、この病気が「背徳的な行為に対する罰」といった差別的なイメージを伝えることにもあるのでしょう。そんなイメージが貼り付けられた病気には万が一にも罹りたくないと思うのが人情ですね。それだけに、知識としては「他人のくしゃみや、公衆トイレの手洗いの際に洗面台からはねてくる水」によって感染することはないと分かっていても、恐れを完全に取り除くことはできないのです。ところがそのような「万が一の恐れ」を直ちに打ち消そうとする余り、たとえば洗浄を繰り返したりすると、かえって「ちゃんと洗えたかどうか」不確かになり、ますます不安にとらわれるという悪循環に陥ってしまうのです。もしも、病気に感染する可能性を完全になくそうとするのなら、一番確実な方法は人との接触を断って無菌室に閉じこもることでしょう。しかしそうすることによってその人の生活は、恐れていた当の病人と同様の生活に陥ってしまうことになりますね。
Kn さん。私たちが病気を恐れるのは、健康に生きていきたいと願う気持ちが強いからこそです。どうか「病気を恐れて病人の生活に陥る」ことのないように。恐れは恐れとして、健康を願う気持ちを健康な生活−人とのかかわりの中で生き、仕事(と遊び)に精を出す暮し−の実現に向けて生かしてください。
(中村 敬)

身体の症状があると… '05.07

hiさんは原因不明の体の不調、Saさんは耳鳴りと、身体の症状に困っておられます。身体に症状が生じた時には、風邪を引いたときや骨折したときと同じように、身体の診療科にかかるものです。しかし、神経症を原因とした身体症状の場合には、実際に症状があるのに特に問題はないと言われ、患者さんは、姿の見えない相手と戦わざるを得なくなり、困り果ててしまうでしょう。HiさんSaさんは、現在はそれぞれ森田療法と出会い、今から治療を始めよう、学ぼうとされています。森田療法に合致する点があるのであれば、体への意識の集中がささいな違和感をかえって強めてしまっているといった症状の悪循環があると思います。
症状があるなかで出来ることを少しずつ取り組んでみることからはじめ、活動を広げ、結果的に症状が軽減していくことが出来ればすばらしいと思います。そして、今までの人生を取り戻そうとするのでなく、大切なのは、現在を自分らしく生活することだと思います。そうすることによって今までの人生も違って見えるかもしれません。
(矢野勝治)

人間関係で本当に大切なことは? '05.06

Fmさん、こんにちは。自己臭、対人恐怖でお悩みとのことですね。他の人から臭わないといわれても気になってしまうものです。周りの人達のことが気になってさらに体が熱くなり、汗が出るとのこと、おそらく緊張感もお強いのでしょう。
そのようなお気持ちの中で仕事場に何とか勤務している努力に驚かされます。本当に、お疲れ様です。ところで、そのようにご自分の体臭が気になるのはどうしてだとお考えでしょうか?誰でも人には不愉快な思いをさせたくない、よく思われたいと思うものです。正常な人間の心理なのです。おそらくFmさんは人一倍、他人に不愉快な思いをさせたくないお気持ちがお強いのかもしれません。それでいいのです。その気持ちがあるから人前で自分のありかたが気になり、不安にもなるのです。その当然の不安を感じながら、どのような行動をするかが重要です。不安があるからと必要な行動を避ければますます不安は強まるし行動もできなくなる悪循環になります。電車に乗れなくなった、とのことですが、必要があるなら、体臭が気になっても電車に乗るようにしたほうがいいでしょう。以前出来ていたことであり、ご自分で習慣づけてしまったことの結果でもあり、強い意志さえあればまた電車に乗れるようになります。最初は短い距離から、すいている時間帯でもいいのです。不安や緊張があっても踏み込む行動の積み重ねが必ず結果を生みます。同様に、体臭が気になるからと避けていた対人関係に少しずつ踏み込んでいくことで、案外自分の体臭が問題になっていないことに気がつくこともあるかと思います。
人がこう言っていたから、とあらかじめ理屈づけることより、これからの対人関係の体験で身をもって感じられたことのほうが遥かに重要です。その体験の積み重ねでものの感じ方や見方も変わってくるものです。なお、人とのコミュニケーションでは、服装や声の出し方など、気をつけなければならないことは数知れずあります。体臭ばかりを気にしていて他の要素が目に入っていなかった、ということも多いものです。人に不愉快な思いをさせたくない、というご自身の神経質を生かし、人と接する目的は何なのか、本当に注意を向けるべきことは何か、もう一度人との接し方を見直してみることも一法と存じます。
(鹿島直之)

絶対の安全 '05.05

こんにちは、Nkさん。今Nkさんは、様々な恐怖の中でさぞかしお辛いのではないかと思います。でもNkさんが放射性物質をイメージして危険と考えるのは至極当然なことではないでしょうか。汚いものを汚いと思って嫌悪することもまたしかりです。我々は何らかの危険の中で日常生活を送っています。ただ危険よりも安全の方が経験的に多いということを知っているため、用心しながら生活しているにすぎないのです。危険に対して用意周到であるということは生活する上で本来とても大切なはずです。
しかし危険に対する構えが強すぎて日常生活に支障が出ているとすれば、危険に対する姿勢を今一度見直してみる必要があると思います。ここでNkさんがあらためて「絶対の安全」という言葉にとらわれてないかを振り返ってみることはとても大切だと思います。何故なら「絶対の安全」を求めすぎることで、些細な危険でも見逃せず排除することに目が行きがちになってしまうからです。そうすれば目前の生活に目が向きにくくなるのも当然だと思います。まさに森田療法でいうところの症状の悪循環なのでしょう。
けれども、Nkさんの文面を拝見していると苦しくても生活を送って頑張っているように見受けられます。危険にまつわる不安や恐怖はすぐには消せるものではありません。でも、ここで生活の歩みを全く止めてしまって欲しくないと思います。必要な生活を最低限でも送っていこうとする姿勢こそがNkさんの「絶対の安全」へのとらわれを絶つ術であると同時に危険への過度なとらわれを絶つ術だと思うからです。
今は行きつ戻りつでもかまわないと思います。是非、不安恐怖を消す努力から辛いけれども日常の生活を少しでも充実させようとする努力へ転換していただけたらと思っています。頑張ってください。
(樋之口潤一郎)

悩み(胃腸症状)を長い間抱えてきたこと '05.04

Lmさん、40年以上もの間、胃腸症状の悩みを一人で抱え、格闘されてきたとのこと。 きっと「よい仕事をしたい」「心身を良い状態に保ちたい」という気持ちが人一倍強い方なのでしょうね。
だからこそ「なんとかしよう」と何冊も本を読み、取り組み続けてこられたのでしょう。
その取り組みはときに悪循環になってしまっていたのかもしれませんが、これまで粘ってこられた歴史があったからこそ、森田療法の本に出会ったときこれほど早く吸収し、転換することができたのではないでしょうか。それも取り組む力の現れですよね。
おそらく取り組まれたことは「病人らしい生活をするのではなく」、三食を規則正しく摂り、しっかり動くことだったのでしょうね。
食卓に彩りを持たせるように工夫されたのもとてもよいやり方だと思います。身体の症状にとらわれているときは、ともすると「消化によいもの」という視点しかもてなくなりますものね。器質的に問題がないことを確認されてからは、臥せがちだったり、胃腸をいたわることを中心にした生活ではなく、規則正しい時間に食卓に座り、栄養のバランス、味付け、盛り付けなど食卓を豊かにしたり、てきぱきと動く生活を送られるのがよいでしょう。
対人恐怖についてもきっと取り組み方の「コツ」は共通しているはずです。
「気にならないように」するのではなく、不安を抱えたまま、必要な関わりに踏み込んでいきましょう。
Maさんが触れておられる岡本理事長さんの体験、Maさんのアドバイス、Mkさんの体験など、参考になることはたくさんあります。症状は異なるかもしれませんが、Ymさんの「やるべきことをやった」、そうしたら「知らないことを学ぶことも楽しいし、先生や新しい仲間との出会いも心を弾ませてくれた」というように本来持っている「生の欲望」を発揮された体験などもよい参考になることと思います。
何よりも「一人で悩みを抱えてこられた」Lmさんにとって同じように悩み、取り組んでいる仲間の存在は励みになることでしょう。
今後は食事のみならず、どんどん生活を充実させていってください。
(塩路 理恵子 先生)

『とらわれ』ている自分に気づくこと '05.03

Wkさん。最近メールやパソコンで自分の気持ちを書くことの方が多い時代になってきています。ただ一時期の感情に任せて色々書いてしまうと後で冷静に振り返るとまた違った考えであったと思い直すこともしばしばだと思います。wkさんだけでなく、皆様、投稿する前に一泊置いて一読してから投稿するほうが、より練れた文章を投稿することができるでしょう。そしてその方がご自身のためになるお返事も期待できると思います。
Itさん。「気が遠くなって頭がしまるような苦しさ」といった症状がおありでさぞかしつらいことと存じます。このような症状は脳の異常によって起こることもありますので念のため頭部MRI、脳波検査を受けることをお勧めいたします。
これからは頭部MRIや脳波検査で異常がないという前提で話を進めて参ります。Itさんは「気が遠くなる」ことなどの症状へ注意が向いてしまい、これをなくそうとすればますます「とらわれ」ていませんか?森田療法の治療目標はこの「とらわれ」からの脱却に主眼を置いています。その時その時に必要な目の前のことに取り組んでいくうちに、少しずつ「とらわれ」から脱却していけると思います。
私は森田療法を専門としていますが、逆に森田先生の言葉にだけ「とらわれない」ように心がけております。それは現在の患者様に響くような言葉で伝えるよう心がけているからです。ですからItさんも森田療法の言葉:「あるがまま」にのみ「とらわれ」ずに、今「気が遠くなる」といった症状への「とらわれ」から脱却していくことを主眼に今必要なことへ目を向け、本来の自己実現を少しずつしていってはいかがでしょうか。症状にばかり目が向いていた時にはわからなかったことを発見できるかもしれません。
(舘野 歩 先生)

不快との付き合い方を考える '05.02

最近の投稿を見ていると歯の問題に悩まれている方が多いようです。Wkさんは1ヶ月前から虫歯の治療をしているようですが、「自分の歯の症状をインターネットで色々調べる→通っている歯科ではだめかも→両方とも歯を抜かなければならなくなるのか→入れ歯になりたくない→悲観して泣くというように最悪のことを一日中考えてしまい、堂々巡りです」と書かれています。確かに歯の痛みや不都合は毎日の食事も不快にしますし、日常生活を送る上で辛いものですね。Waさんも今の状態が“とらわれ”と気付いているようですが、特に体の不調は日々の生活に直接影響を及ぼすだけに、どうしてもすぐに取り除きたいと考えてしまうものです。そうした思いがより一層痛みや不調に注意を向かわせ、結果的に痛みを強めてしまったり(強く感じるようになる)悲観的な考えを発展させてしまいます。まさに悪循環ですね。ではそうした時にどうしたらいいでしょう?
Miさんは「歯痛が酷い時でも何かに没頭していると痛みが和らいでいるということが良くありました」とおっしゃっています。歯の治療にはどうしても時間がかかりますし、自分の力ではどうにもならないものでもあります。とりあえず、今かかっている歯科の先生に治療は任せ、その間の時間をどう過ごすかを考えてみたらどうでしょうか。治療について疑問があれば、先生に率直に聞いてみるのも良いでしょう。いずれにしても、折角の一日を不快な感情一色で終わらせてしまうのはもったいないことです。歯のことは気になりつつで構いません。好きなビデオを見るなど、自分の興味のあることや本来好きなことに手を出してみることです。仕事に没頭してみるのも良いでしょう。当初は意識が歯の方に引っ張られるかもしれませんが、今関わっていることに注意が向いていくにつれ、いつの間にか歯のことは忘れている自分に気付くと思います。どうしても痛みが強い時などは、痛みと無理に闘おうとせず、Miさんもアドバイスされているように、鎮痛剤などを上手に使っていくことも一つの方法でしょう。耳鳴りに悩んでいらっしゃるSdさんにも同じような対処が有効だと思います。耳鳴りも歯痛と同様、確かに不快ですが、すぐには取り除けないのも事実です。ジージー鳴る耳鳴りはとても耳障りだと思いますが、集中は出来なくても少しでも出来るところから仕事に手を出してみると、注意が外に向いてくるでしょう。
不快だからこそ、またそれが即座に取り除けないからこそ、付き合い方を考えてみる。つまり「転んでもただでは起きない」日々の過ごし方を考えてみることが、結局のところ不調を和らげることになるのです。
(久保田幹子 先生)

身体の違和感にとらわれたら・・・ '05.01

C7 さん。「喉の異物感、全身倦怠感、泌尿器系の違和感、肛門の緊張などほっておけないのではないかと思われる症状に悩んでおります」とのこと、さぞお困りのことと思います。少しずつ「とらわれ」のからくりにも気づいていらっしゃるようにお見受けしますが、一般に注意とからだの感覚とは悪循環を生じやすく、注意を向ければ向けるほど感覚も強く感じられてくるものですね。そして何か特定の感覚に注意がとらわれると、他の感覚のことは相対的にあまり気にならなくなるものでもあります。
このようにして、からだの調子にとらわれやすい人は心配の対象がひとつのことから他の身体の部分へ移っていくことがよくあります。すでにお気づきのように喉の異物感は、全身倦怠感と同じく緊張や不安の現われとしてよく聞かれる訴えです(おそらく耳鼻科あたりでも既に検査を受けられているのでしょう)。泌尿器科系の違和感や頻尿も不安、緊張に伴って出現することがあります。ただし泌尿器系、肛門部周囲の違和感は、尿道や前立腺などの炎症の際にも生じる場合があるので、まず少し様子を見て、それでも症状が続くようなら一度泌尿器科を受診してみてはいかがでしょうか。
C7 さんは「原因を知って安心するのではなく心の平穏が欲しい」と書いておられます。しかし悩んでいるだけではなく受診するという行動も必要な場合があります。仮に受診した結果問題がないということであれば、あとは違和感は気にしながら日々の生活に打ち込んでいかれることです。「もしもの不安」に駆られて、何ヶ所も受診してはいけません。病気に対する恐れの裏には、健康を求める欲求が強くあるものです。その欲求を病気に対する恐れとの闘いに向けるのではなく、健康な生活の実現に向けて発揮していくことです。
ちなみに健康な生活をもたらすには、仕事のやり方を再検討する、自分の時間を確保する、適度な運動を実行するなど工夫の余地が多々あるはずです。このフォーラムではいろいろな人たちの工夫を知ることができます。自転車なんかもはやっているようですよ。
(中村 敬 先生)

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