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症状別アドバイス集

強迫神経症の部屋

「ただ向上一路あるのみ:森田正馬先生」 '12.12 

Nさん、Hさん、こんにちは。
Nさんの「懺悔(2013年1月3日投稿)」そしてその「懺悔」に対するHさんの返信(2013年1月3日投稿)を拝見しました。とても、すばらしいやりとりになっているな、と正直感じました。「体験フォーラム」が生きたやりとりの「場」になっていることを実感しました。とても嬉しい気持ちになりました。私が何も回答しなくても、とても素晴らしい生きた回答が出されていました。そして、当然といえば当然ですが、森田正馬先生の文章は本当に素晴らしいですね。

Hさんが引用されている「ただ向上一路あるのみ」という森田正馬先生の文章は以前、拝読した記憶がありましたが、Nさんの「懺悔」を読んだあとに読むと、これ以上の回答があるだろうかというとても爽快な気分になりました。90余年の時空を超えても、今、現在悩める人々への適格なアドバイスなのです。本当にすばらしい。
私がこの森田正馬先生の文章の中で一番大事だと感じるのは「自分の心のことをも、深く正確に認識していくことを自覚といいます」という一説です。この「自覚」の意味するところが大事なのです。自分の心に生じる、様々な感情(喜び、悲しみ、怒りetc)、様々な思考などを、素直に誤魔化さずに、認識することを「自覚」と言っているのです。この「自覚」を他の言葉で言うと、「洞察」とか「内省」などが相当すると言えましょう。
人間は、なかなか、自分にとって、不快で苦痛な感情や思考などを、知らず知らずのうちに、見ないようにしたり、誤魔化したりしたりするものです。そこを、誤魔化さずに、自分に深く、深く正直に見つめる作業を森田療法は求めているのです。これは一朝一夕に出来るものではなく、とても長い時間がかかる作業であります。森田正馬先生は、学生時代の神経衰弱の経験に始まって、精神科医になられてからの多くの病める患者さんの治療を真剣に試行錯誤するなかで、到達し得た境地が「自覚」の境地なのだと思います。森田正馬先生の苦難の生きた歴史ゆえの境地と言えます。「自覚の境地」を別の言葉で表現すると「あるがままの境地」と言えましょう。この「自覚の境地」「あるがままの境地」に達した森田正馬先生の言葉(言霊)だからこそ、90余年の時を経ても、今なお我々の心に響くのです。
さらに「ただ向上一路あるのみ」の文章の中でとても大事な箇所は、“親鸞上人は「自分は悪人である、罪人である」と決めた。ソクラテスは「自分はなんにも知らない。ただ何も知らないという事だけを知っている」といった。その自覚・自認だけでよい”という文章です。ここで森田正馬先生が言わんとしているのは「等身大の自己をあるがままに認めなさい」ということです。自己自身の知力、体力、精神力のすべてにわたって、その良いところも悪いところもすべてあるがままに認めなさい、とおっしゃっています。どうしても、人間は自分の良いところだけを認識して、自分の悪いところ、自分にとって都合の悪いところは避けがちになったり、見ないようになったりするものです。そこを嘘偽らずに、素直に自己自身をあるがままに認めなさい、とおっしゃっているのです。こうした虚心坦懐と言える態度を培うことを森田療法は求めているのです。

ここまで、Nさん、Hさんの文章を拝読しながら、そして森田正馬先生の「ただ向上一路あるのみ」を精読しながら、私の思いつくままのことをしたためてきました。
ここにきてはっきりしてきたのは、森田正馬先生の「自覚の境地」は、

(1)自分の心に生じる、感情(喜び、悲しみ、怒りetc)、思考などを、素直に誤魔化さずに、認識すること
(2)自己自身の知力、体力、精神力のすべてにわたって、その良いところも悪いところもすべてあるがままに認めなさい(等身大の自己自身をあるがままに認める)

の2点に要約出来ることがわかりました。そして、この「自覚の境地」のもと「ただ向上一路あるのみ」なのです。いかがでしょうか。皆様にも御一緒に考えていただきたいと思います。体験フォーラムでのご意見をお待ち申し上げております。
(川上正憲)

「人とうまくやろうとすることの難しさ」 '12.11 

Aさんが人間関係で悩んでいます。ものごころついた頃から悩んでいて(自分は嫌われているのでは?)(周りに変に思われているのでは?)と気になり、劣等感や不安な気持ちを抱いて生活してきたようです。症状のため大学も中退しひきこもり、現在もアルバイト先の人間関係に困っています。一方で、人と上手に話したい、引っ込み思案で目立ちたがり屋 ということです。

人に認められたいと思う気持ちが強い分、周りからどう見られているのかが気になったり、自分は嫌われているのではないかと考えてしまうものです。人付き合いとは押したり引いたりしていくなかで(時には失敗しながら)身についていくものです。
公園で遊んでいる小学生を見ていますと、3人いるとそのなかで意見が分かれたり2人で組もうとしたりします。時に1人が泣いて帰ったりもしますが、次の日にはまた3人で遊んでいます。(時にはけんかもするけど)みんな友達と遊びたいし一緒に居たいんだなぁ、群れたり離れたりを繰り返しながら一緒にいる術を身につけていくんだなぁと思います。
上手く話そうとするのでなく、まずそこに居ることからはじめ、次に仕事に目を向け取り組むこと、そのなかで長続きするやり方を探していくつもりでやってみましょう。頑張って下さい。
(矢野勝治)

「玉にキズ」 '12.10 

Hさんは、様々な強迫症状にお悩みのようですが、なかでも「新しいものを買う時に商品にキズや汚れがないかすごく気になる」「使う時はキズや汚れができないように緊張してしまいキズや汚れができていないか何度も確認する」「キズや汚れがつくのが恐くて使えない」といった症状にお困りのようです。

Hさんのお気持ちはかなりの程度まで理解できます。私たちは誰しも、ものを買うならなるべくキズや汚れのないものを選びますし、新しいものを使う時にはキズや汚れができないように注意して使いますね。特に高価なもの、大切なものであればあるほどそのような傾向が顕著になります。それ自体はとても自然な心情だと思います。けれども、使っているうちに時が経てば、いつの間にか多少のキズや汚れがついてくるので、次第に諦めの気持ちが生まれて、使い始めの緊張は徐々に薄れていくというのが一般的な経過でしょう。ところがHさんの場合は、そこに完全欲が立ちふさがり、ものを使ってキズや汚れがつくのなら、いっそ使わずにいつまでも新品の状態に保っておくことを選択してしまうようです。そのようなことが重なれば、せっかく購入したものは新品のまま押入れ(?)にあふれ、実際には着古した服を着、使い古したものを使うという生活に陥っていくのは明らかです。そうこうするうちに、しまい切れないものがあふれ出して、生活空間がどんどん狭まってしまったという人も実際に存在します。このように「玉にキズ」がつくことを恐れて「宝の持ち腐れ」に陥ってしまう構図は、ものだけに限りません。その人自身が、間違いをしでかしたり失敗することを恐れて行動を避けてしまうことによって、自分の能力が現実に発揮される機会を失い、「宝の持ち腐れ」になってしまうという事態もよく見出されます。完全欲のあまり身動きが取れなくなるという点では、どちらも根っこのところは共通しているのです。本当にもったいないことです。

Hさんは、このようなご自分のパターンに悩み、神経質な性格を治したいと望んでおられるのですね。馬鹿らしい、何とかしたい、そう感じるところにはすでに変化の兆しが認められます。けれども本当の変化は、性格を治そうとする努力によってではなく、実際の事に当たってはじめて訪れるのです。失敗を恐れながらも行動を起こし、試行錯誤を経ることではじめて自分の能力が磨かれ発揮されるのと同様、手に入れたものはキズや汚れを心配しながらも、使うことによってはじめてその価値が発揮されます。「人の性を尽くす」「物の性を尽くす」と森田が言っているのはこのことに他なりません。
Hさん。どうか購入したものはキズを恐れながら少しずつ使い始め、またご自分の力を少しずつ仕事や日々の生活の中で生かしていって下さい。
(中村敬)

「自信の無い自分を認めること」 '12.9 

こんにちは、Nさん。Nさんは15年間、様々な神経症に悩まれてこられたようですね。そして数年前に森田療法と巡りあうことで、その多くの障害を乗り越えられ、現在に至っているのだと思います。症状が辛くとも大学退学を踏み止まり、何とか自活できるところまで回復されているということは、まさにNさんの力に他なりません。

文面から察するに、現在のNさんの悩みは、対人場面における怯えが中心なのでしょう。これは、当事者であれば大変辛い状態であると思います。ただ一方で、Nさんは様々な人々に喧嘩も売っているように感じました。Nさんは、飲食店などに入り、店員に馬鹿にされているように感じたとき、「馬鹿にするなよ」と店員を心のどこかで睨み付けていたかもしれません。その様子は、大学の仲間に対し堪忍袋の尾が切れた際、堰を切ったように不満を相手にぶつける様子からも見て取ることができるでしょう。つまり、Nさんはそれだけ自信のない自分を必要以上に大きく見せようと力んでいたのだと思うのです。もしそうであるとするならば、自信のない自分をかき消そうとして大きく見せることは止めましょう。現在のNさんは、対人関係については戦々恐々であって全く良いのです。

しかし、対人関係を恐れているからといって、勉学を逃げてはいけません。対人関係で感じた悔しさは、やはり勉学の成就に生かしていって欲しいと思います。今のNさんであれば出来ないこともあるでしょうが、出来ることもあるのです。今まで勉学を諦めなかった事実は、何らかの形でNさんの自信になって帰ってくることと思います。 森田療法の自助グループについては、是非継続されてください。Nさんは人を恐れてもいますが、心のどこかで人を一番求めているはずです。ただ、深い人間関係を急いで求めすぎている分、対人関係に一向になれない自分を卑下しているのだと思います。苦手なものほど「ゆっくり」「丁寧」を心がけてください。
大学の仲間とは上辺だけの関係であっても、挨拶などはきちんと交わしていってください。Nさんが逆の立場であれば、挨拶されることを不快に思うことはないと思います。

今は先が見えない分、投げ出したい気持ちにもなるかもしれませんが、ここが最大の粘り時、一日一瞬を大切にされて奮闘して欲しいと願っています。是非頑張られてください。
(樋之口潤一郎)

「物が捨てられないのは?」 '12.8 

Eさんは「物が捨てられず、家がゴミ屋敷」になっていることを悩んでいます。また、テレビ番組の録画にも時間を取られており、家族にも迷惑をかけているし、自分自身も疲れてしまうので止めたいと思っているが、どうしてもやめられないとのことでした。

最近、巷では「断捨離」「シンプルに生きる」といったことが流行っているようです。ちなみに「断捨離」とは、「単に新しい片付け術ではなく、モノへの執着を捨てることが最大のコンセプト。モノへの執着を捨てて、身の周りをキレイにするだけでなく、心もストレスから解放されてスッキリすることが目的」とのことです。執着を捨てるという点など、多少森田療法に繋がるところもあるかもしれませんね。

確かに、私たちはモノを捨てることがなかなか出来ないようです。かくいう私も、「いつか使うかも・・・」と必要以上に溜め込んでしまい、部屋が片付かない状態です。ただ、ゴミ屋敷・・・テレビの録画に長時間・・という表現から考えると、Eさんの場合はモノを捨てられないだけではなく、気になるものは全て確保しておきたい(収集)という気持ちがあるようです。そしてそこに共通するのは、手放す時の不安(もしかしたら必要になる時があるかもしれないという思い)や、手に入らなかった(欲しい時にそれが手元に確保されていなかった)時の落胆を完全に(100%)避けたいということではないでしょうか。

今回の書き込みでは、Eさんが捨てられない理由など、詳しいことはわかりませんが、おそらく全ての可能性(危険性)を考え、万全にしておこうとするために、全てを手元におかずにはいられない状況になっているのだと思います。しかし、果たしてそれは本当に豊かな生活になっているのでしょうか?

実際、Eさんは、そうした生活に疲れていると感じており、何より捨てられないものは「ゴミ」とわかっているのですよね。やめれば良いことはわかっているのにやめられない。ではどうしたらよいのでしょうか?
シンプルに言えば、事実をきちんと見ることです。ゴミのような沢山の物があふれている事実、録画に費やしている長い時間と労力、そして何より溜め込んでいる物や録画した番組をおそらくは使っていない事実・・・などです。手放すことが出来ないのは、先ほども書いたように心許ない気持ちゆえです。つまりこれは一瞬の気分とも言えます。
手放すためには、まずはそれが「本当に必要な物、番組なのかどうか」を基準に分けてみることでしょう。例えば使っている物、全く使っていない物などです。「本当に必要か?」と頭で考えてしまうと、逆に「いつか必要になるかもしれない」といういつもの思いに駆られてしまうでしょうから、「使っているか、いないか」という事実を基準にすることです。録画した番組であれば、そのまま置いておくのではなく、少しでも実際に見て、その時必要と感じるかどうか(面白いか否か、など)を物差しにしたら良いと思います。あとは、淡々とゴミは捨てる(運ぶ)のみです。捨てる時のモヤモヤは、片付いていく部屋をみたスッキリ感と共に、いつの間にか消えているのではないでしょうか。
(久保田幹子)

「子供さんの強迫神経症に・・」 '12.7 

Nさんは、小学校4年生の娘さんが強迫神経症で悩まれているとのこと。大切な娘さんのこと、さぞご心配なこととお察しします。

私は児童精神医学の専門家ではありませんし、森田療法を直接行なうことは難しいと思います。けれども、その上で、森田療法が役に立ちそうなことをいくつかお書きしたいと思います。
まずは、まだ小学4年生で、こんなつらい症状を抱えて、それでも学校に行ったり、学校行事にも行っている娘さんの、そのつらさと頑張りを言葉にして認めてあげることが出発点になるかと思います。実際、学校や外では症状を出さずにいられているということは、プラスに捉えてよいと思います。
そして例えば、「安心して楽しく過ごしたいっていう気持ちが強いから、気になってしまうんだよね」と、生の欲望の側から読み替えてみる、「気持ち悪いのを消そうとして確認をすると、かえって気にならないかな」と悪循環について聞いてみてあげる、など森田の考え方をかみくだいて、分りやすく伝えてあげてみてはいかがでしょうか。 放っておいたほうが怖い気持ちが勝手に流れて行ってくれることを伝えてあげるのもいいでしょう。あまり「理論」と意識するより「強迫星人は放って置くと向こうに行く」など、名前をつけたり、イメージで働きかけるのもいいかもしれません。

お子さんに直接働きかけるほかには、親子の間でも、神経症的な悪循環が起こることがあると言われています。
たとえば、「今日は強迫の調子はどうだろうか」「こんなことがあったらまたひどい症状が起こるのではないか」と親がピリピリして子供に不安な注意を向けることで、子供がそれを感じ取って緊張し、ますます不安になって意識が症状に集中してしまう、といったことです。子供にとっても親の思いに応えられないのはとてもつらいことです。
強迫は、不安と関連した症状であり、ストレスのサインである場合も多いようです。
学校のこと、友達のこと、勉強のこと、好きなこと嫌いなこと・・強迫の症状以外のことでたくさんコミュニケーションを取るようにしましょう。そうすることで、家庭の中心が強迫症状のことに占められてしまうことを防ぐことにもなります。

書き込みを拝見すると、お子さんの強迫症状に直接巻き込まれるのはお母さんのことが多いようなので、お母さんの話をNさんができるだけ聞いてあげる、お母さんがなるべくゆったりできるように協力することもお父さんの大切な役割になります。
お子さんやお母さんの日常生活が大きく妨げられている場合には、薬物療法も選択肢となります。やはり、実際の娘さんの様子を見てくれる専門医がいるのは心強いですね。
ご自身もいろいろな神経症の症状で苦しんできたので、子供にはつらい思いをさせたくない、とも書き込んでおられます。
Nさんは、娘さんのつらさを誰よりもわかってあげられる存在でもあるはず。 娘さんを支えて、出来る限りゆったりと成長を見守ってあげてください。
(塩路理恵子)

「不安の背後には過大な生の欲望が」」 '12.6 

Aさんは、四年前にPR中に動悸、過呼吸発作から死の恐怖を感じられ大変でしたね。
これはおそらくパニック発作であったと察します。このパニック発作だけでなく、また起きたらどうしようとの予期不安からますます体の症状へとらわれてしまいます。これが重篤になると発表の機会さえも避けてしまうようになってしまいます。
しかしAさんは「仮に大イベントでのPRをどうにか済ませることができている」ようですね。ここにAさんの粘り強さを感じます。ここのホームページの書き込みをご覧になるとわかると思いますが、Panicさんのようなパニック発作や、同僚との打ち合わせの機会で声が震えるのではないかといった対人恐怖症状を持たれているのは他にもたくさんいらっしゃいます。ですから孤独に思われなくて大丈夫です。

ここでご自身のPRをする時のことを振り返ってみてください。「評価を受けるという非常なプレッシャーがかかるPR」で「きちんとしたPRをしなければならない」との構えが強くなっていたのではありませんか?
つまり、PRでの不安、打ち合わせでの声が震えないかといった不安の裏側には「PRを完璧に行わなければ」、「打ち合わせで同僚に良い意見を言いたい意識が強い」といった森田先生の言う「過大な生の欲望」が潜んでいるからではないでしょうか?

Aさんは不安でご自身を何か欠陥があるのではとお思いでしょうけど、実は「欲望が過大」だから不安が強まっているのです。ですからこの不安を排除しなくて良いわけです、最初は恐る恐るで構いませんので不安を脇に置きつつ、PRしたり同僚内で発言したりしていきましょう。
(舘野歩)

「食事の事は胃腸にまかせてみる」 '12.5 

Kさんは不潔恐怖と食事が恐いことで悩んでいます。特に食事に関しての恐怖の方が強く、「痩せているので太らないといけない」と体重を気にされ、食べる事が義務のように感じて苦痛を感じています。一方で、「甘いものを食べたら糖尿病になるのではないか」と不安も抱かれているようです。また、胃腸の調子が悪く、「胃腸のしんどさ」が気になって仕方ないご様子です。それらの事から毎日胃腸の調子や食事の事を考えて、食べたいものが分からなくなったり、体重を気にされたり、「このままではどうなるのか」と不安になられています。食事は毎日の事ですから、辛い場面が多くて大変だと思います。
まずは、「どうして太らないといけない」と考えるのかを考えてみましょう。おそらく「体力をつけたい」「健康でありたい」「長生きしたい」などの思いの裏返しなのだろうと思います。その思いの更に先には「ちゃんと仕事したい」「ちゃんと家事したい」「ちゃんと勉強したい」「より良い人生を送りたい」などの「〜したい」という思いがあるのではないでしょうか。

次に「現在の体重で実際に何が困るのか」を考えてみましょう。やせ過ぎている事で現在何が出来なくて困っていらっしゃるのでしょう。おそらく「〜したい」という気持ちと繋がってくるのではないでしょうか。そうであるのならば、体重が気になりながら、胃腸がしんどいながらに、少しでも「〜して」みましょう。人間はある程度活動すれば自然と空腹となり、食事をとるものです。その結果として、体力がついていきます。体力や体重が増えて健康になったら「〜しよう」というのは目的と結果があべこべになってしまっているかもしれません。

私たちの生活の中で、ある程度食事に気を遣う事は大切でしょう。しかし、気を遣いすぎた結果、不健康になってしまうのはもったいないですよね。だとすれば、Kさんの頭でコントロールしすぎずに、ある程度食べたい物を食べて、消化・吸収などは胃腸にまかせてみてはいかがでしょう。そして「やせ過ぎていると感じている今の自分」で出来る事を少しずつ増やしていきましょう。日常生活が広がっていけば、食事に気を遣いすぎている時間は減っていくはずです。少しずつ、コツコツと頑張って取り組んでみてくださいね。また、Mさんもおっしゃっているように岡本常男さんの本も是非とも参考にしてみてくださいね。
(谷井一夫)

「必ず道は拓かれます」 '12.4 

Aさんは、勇気をふりしぼってのフォーラム参加。まずは安心して参加してください。フォーラム参加がAさんにとって実りあるものになれば幸いです。さて、書き込みからしますと、過緊張とわき見恐怖にお悩みのようですね。ここでは少し、「過緊張」という心理状態を解剖してみましょう。

学校行事などへの参加を迷われるということですから、「対人場面での過剰な緊張状態」を意味しますね。対人場面での緊張感:Aさんは対人場面でどのような気持ちを抱いているのでしょうか?
例えば、

1)自分は周囲からおかしいと思われているのではないだろうか。
2)人前ではしっかりとした態度をとらなければならない。
3)発言する場面が回ってきたら、どうしよう。しっかりと話すことができるだろうか。
などなど、幾つか想像が出来ます。

1)〜3)のいずれにも共通しているのは「対人場面でしっかりとしていなかればならない」という思考(観念)ですね。こうした「〜でなければならない」という「かくあるべし」という思考にがんじがらめになっている状態を神経質(神経症)と言います。

こうした「かくあるべし」の思考は、人間本来の感情(対人場面で緊張することは誰にでもあるものですし、誰でも失敗やミスをすることはあり得ます)に対してあってはならないと排除の姿勢を強めます。この人間本来の自然な感情を排除しようとすると(とらわれ)、ますます不安、緊張は強くなってしまいます。ここで大事なことは、この人間本来の感情(不安、緊張など)を自己自身に生じている事実としてしっかりと受けとめること(受容:あるがまま)です。この自己に生じている事実(不安、緊張など)を“あるがまま”に受けとめ(不安はそのままに、やりくりはしない:不安をやりくりすればするほど不安は強くなってしまいます)、不安を抱えながら、必要な行動は逃げずに取り組んでいくことが肝心になってきます(目的本位)。

この行動を実践していく上で大事なことは、不安、緊張で一杯になっている頭の中の注意力、集中力を本来の目的である会話、話し合いなどにしっかりと向けることです。元々、会話、話し合いが目的なはずですよね。この本来の目的の事柄にしっかりと注意、集中力を向けることが何よりも大事です(しっかりと会話についていこうと思ったら、相手の話をしっかりと聞かなければなりませんよね)。こうした森田療法の考えに基づいて行動していく上で、必要に応じて薬物療法を併用していくことも有用だと思います。心療内科、精神科の先生とよく相談をしてみてください。何事も、すぐに全てが解決するわけではありません。時間がかかるものです。少しでも変化があればしめたものです。フォーラムに参加しながら、地道にあせらず、じっくりと取り組んでいきましょう。必ず道は拓かれます。
(川上正憲)

「日記の書き方」 '12.3 

Cさんが日記の書き方について(「実際にあった事実のみを並べることが大切」「感情の動きは書かない」「実際にした行動のみを客観的に書く」ことから、業務日誌的なものと捕らえればよいのでしょうか)と、日記をどのように書いてよいのか戸惑われています。
日記に症状や気分を書くことによって、意識を向けることになり、その結果悪循環を強めてしまう(症状が増悪する)と考え、治療で日記を用いる時には患者さんに(症状や気分については面接でしっかり扱うので)読んだ人が患者さんの一日がわかるように行動したことを中心に、そのなかで気付いたことや自分なりに工夫したことも一緒に書くように伝えています。またそうすることで、患者さんは自分で今日出来たことを振り返り評価することにもつながります。
このウォールにおいては皆さんが日記を書くようになってやりとりが活発になった気がします。まず書き始めてみてはいかがでしょうか。やっているうちにコツがつかめてくると思いますよ。
(矢野勝治)

「伝えるということ」 '12.2 

こんにちは、Oさん。お仕事は大変忙しそうですが、奮闘振りがとても伝わってきます。他のメンバーの方々も述べられているように、ここまで回復されたことを、私もとても嬉しく思っています。ここまで来る道のりは決して平坦ではなかったはずです。けれどもOさんの粘り強い姿勢が、様々なことを可能にしていったのだと思います。

ところで現在、Oさんはお仕事などで幾つかのことで悩まれているようですね。仕事で予定外の横槍が入ったが、愚痴が言えず悔しい思いをした、人目を気にするあまり助けを周りに求められず悲しい思いをした、後輩の面倒にプレッシャーを感じオドオドしてしまい情けなく感じてしまった、これらが現在のOさんの悩みに相当するでしょうか。しかし、これらの内容は一見異なるように見えますが、どれもOさんらしさをとても表しているように思います。

つまり、Oさんは、他人の評価を気にするあまり、必要なことを相手に伝えることにとても躊躇しているのです。そしてその姿に一番傷つき悔しい思いをしているのも、Oさん自身なのだと思います。今のOさんには、「様々な感情を抱えながら物事に打ち込む」という姿勢から「他人の目を気にしながら、必要なことを伝えていく」という姿勢へ転換が求められているのだと思います。それは、Oさんにとって大きな試練ですが、一方でOさんが大きく成長する可能性も持ち合わせていると思います。ところで、Oさんは相手にどのように伝えると一番納得するでしょうか? 

まず、この点を是非整理することをお勧めします。
案外、人はイライラなどの感情を相手にぶつけたとしても納得しないばかりか、罪悪感を抱いたりするのではないでしょうか。私は、患者さん達に「感情を吐き出すことではなく、まず聞いて欲しい内容を簡潔に伝えることように」とアドバイスしています。さらに、「何ゆえ聞いて欲しいのかという理由が伝えられれば尚良い」と付け加えています。というのも、相手に自分の意思が伝わることが、Oさんにとって一番望むところだろうと思うからです。
その際、Oさんに最もアドバイスしたい点は、人の顔色を伺って伝えようとすると、迂遠な言い回しになってしまい相手を余計に苛立たせるということです。そのためにも簡潔明瞭を心がけて言ってください。勇気を求められる行動だとは思いますが、Oさんが、公私ともどもさらに発展飛躍されることを心より願っています。是非頑張ってください。
(樋之口潤一郎)

「人となりを伝えるのは何か」 '12.1 

Sさんは、「自分から発している呼吸の音だとか唾を飲み込む音、お腹の音、そういうことに気付かれて、どんどんそっけなくされる気がします」と書き込んでおられます。そして、その心の問題で何回も転職をされているとのこと。 そしてその悩みにMさんを始めたくさんの先輩たちがアドバイスを寄せています。

森田先生が対人恐怖を記載した文章があります。
「人前で、顔や、気分や、態度を取り乱すことを苦悩するというのが、最も一般的なもので(中略)・・人が自分のこの有様に気づくのではないかと恐れる。(中略)次に恥かしいということは何を意味するか。(中略)いいかえれば、人によく思われたいう欲望で、すなわち同時にわるく思われはせぬか、という恐怖である」唾を飲み込む音が気になる、なども典型的な対人恐怖症(現代の診断基準では社交不安障害)の症状のひとつです。それらのために、人を不愉快にさせて、それで周りの人が冷たくなってしまう、と悩んでおられるようですね。そして人とよい関係でありたいと願いながら、人にいやな印象を持たれてはいけない、と構えてしまっているようですね。

そして、音がしないように、といろいろ工夫することでかえって注意がそのことに向いてしまっているようです。また「この悩みさえなければ」と考えて、気になる日とそうでない日では振る舞いもだいぶ違うようです。気になる日はそんな日なりに、挨拶をしたり、できる仕事をしていきましょう。悩みだけが自分ではないと感じられる日が来ることと思います。
ある大先輩の先生が患者さんの日記のコメントにこんなことを書いておられます。「貴君が主観的に自分をどう感じようと、貴君の行為は確実に貴君の真の姿を人に伝える」。もう一度、ご自身の人となりを伝えるのは何なのか、見つめていけるといいですね。ただ、実際に周りの人が冷たくなった、そっけなくすると思い込んでしまっている部分もあるようなので、主治医がおられたら、薬物療法のことなども相談してみても良いかもしれません。
(塩路理恵子)

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