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症状別アドバイス集

その他の部屋・2002年

神経質と親への恨み、つらみ  '02.12

Hiさんが衝撃的な書き込みをしました。「僕は、3日くらい前、母親を本気ではないですが、ある程度の力で何発もぶちました。(父がいれば同じ態度を採ったでしょう)理由は、何でヒポコンドリー性基調、幼弱性を気質的に持つ人間に育てたのかと言う理由からです。確かに、それを打破するのは、森田が有効ではありましょう。でも、そのような気質が無く、普通の人と同じ感情の感じかたであれば、今頃は家庭を持ち、家も持ち、そして仕事も辞めずに 済んだかも知れない。(ちなみに僕は30代後半です)だから、暗い気持ちになりやすいし、やりきれなくなる気持ちにもなりやすいです。そして、森田の壁は高すぎるように思えてしまいます。」
親に対する暴力に対して、Maさんは「果たして本当にHiさんがそのことを深く自己内省されておられるかどうか疑問に感じます。果たして神経質者がHiさんの取られたような行為に及ぶでしょうか。」と厳しく指摘します。Peさんも過去に親を恨んだことがあると書き込みます。Miさんは、お母さんの気持ちを思いやって、謝罪をすすめます。Maさんは、さらに自分の以前の「自分は神経質でないのでは」という悩みにどのように対処したかを書いています。「私はその後どうしたと思いますか。逆転の発想です。先生は「神経症は必ず直る」と言われる。そこで真の神経質者になるための勉強を開始していったわけです。そしてこれこそ神経質者なりという人のお側近くに極力近づき、言葉や仕草を真似たものです。「朱に交われば赤くなる」を実行していきました。「縁無き衆生は度し難し」は、私にとっての背水の陣ですから一歩も後ずさりは出来ません。私が崖から落ちるか、目の前の神経質者から学び取るかのいずれかです。いつしか自分にとって都合のよいようには森田を学ばなくなり、あるがままの現実直視の目が芽生えていったものです。」
Maさんの素直な心がそのまま伝わってくるようです。森田正馬全集を読んでも、とても神経質と思えないような人たちもたくさん出てきます。しかし森田を理解し、実践しようという悪戦苦闘の中に次第に自分の生き方をつかんでいくのです。そこでの分かれ道が、森田のやり方を素直に信じて、それを粘って、工夫してやっていくか、そんなことは出来ない、と自分でさじを投げて、自分の運命を呪うか、です。この後者の態度を森田は強情と呼びました。
親への暴力は、それだけ親に依存し、お互いの心理的距離が近くなっている時に起こります。このような時にこそ、親との距離をとることが必要かもしれませんね。怒りという感情は大切ですが、それを直接相手に力という形で使ってしまえば破壊的です。そこで怒りながら、その場面から離れて、時間をおくのです。怒りは必ずさめてきます。その時に人は必ず内省的になります。そこで考えたことを大切にしてください。
Hiさんも、いずれは自分のことは結局自分でしか処理は出来ないと考えられるようになるでしょう。その時には親との関係も穏やかになり、そしてなによりも自分の感情と上手につきあえるようになるでしょう。

とらわれ尽くすこととは?  '02.11

Hiが森田先生の言葉に、苦痛から脱する方法の一つに「とらわれ尽くすこと」と言うのがあるが、これはどのようなことだろうと書き込んでいます。
Maさんは、「とらわれから脱する・としては、とらわれ尽くすという方法と気にしながらでもなすべきを成すという方法があります。」と書き込みます。
Miさんは、「・・・私は何ヶ月か前に「考え」が頭の中で止まらなくて辛かった時期がありました。・・・Maさんに「そのうち身も心も憔悴しきって止まると思いますよ。」とアドバイスされました。考えを止めようとするのが間違いだと諦めて、放っておきました。その後、心も体も疲れきった状態になりました。・・・今考えると、あの状態は考えすぎが原因だったのではないかと思います。考え尽くした、つまりとらわれ尽くしたのではないかと・・」とらわれ尽くすという言葉は私たちの苦悩からの回復に深い関係を持っています。
Miさんのいう、どん底状態でお手上げとなり、このつらい状態をそのままにするしかない、という境地に達すると、それがとらわれ尽くすといえるものかもしれません。底をつくとか、どん底になった、とでもいう体験で、私たちがどうにもしようがない状態を指します。ここで私たちは症状や苦悩をコントロールすることをあきらめ、そしてそこから私たちの回復が始まるのです。

感情を流すこととは  '02.10

Yuさんが人間関係で悩んでいます。「人間関係にとても気を使います。よく言えば、人当たりがいい、やさしいなどと言ってくれる人もいます。でも、悪く言えば八方美人です。・・・人間関係の摩擦を恐れるあまり、失敗を恐れるあまり行き詰まっています。」と書き込みます。どうもあれこれと悪く考えてしまい、そしてうつに落ち込め、それがまたマイナス思考を強めるという悪循環に陥っているようです。「うつの悪循環」です。主治医からはうまく流すことを覚えるようにと助言されています。
そこから「感情を流すこと」とは、ということについて活発な意見の交換がありました。どうぞそれを参考にしてください。Maさんもいうように私たちの感情は、それを操作しないで、そのまま感じていければ、それは変化流動するものです。それにはいやな感情をそのまま持ちこたえながら、目の前のできることにいやいやながら手を出していくという心の態度を学ぶことが大切です。これは言うに易く、行なうに難し、であることは、とらわれて悩んでいる人は実感されているでしょう。結局のところ、自分のできることをやり、できないこと(気分を操作すること)をあきらめるという認識をいつも再確認することがこのような心の態度を身に付けるうえで役に立つと思います。

担当医からのアドバイスに納得できない時はどうするか '02.09

Taさんが次のようなことで悩んでいます。「私は、不安に悩んでいた頃から、森田協力医の先生に診てもらっているのですが、うつ状態になってからの先生のアドバイスに不信感を持つことがあります。神経症に対しては、恐怖突入など、事実から逃げずに目的本位の行動を進めていくように指導され納得していました。しかし、うつになってからは、今自分が休むべきなのか、最低限の仕事でもしていた方がいいのか、自分では判断に困り先生に尋ねるのですが、行くたびに答えが違ったりして、混乱をきたしています。・・」
この質問には、2つの点が含まれます。うつ状態の時にはどのように行動していったらよいのか、森田療法の指針が役に立つのか、担当医のアドバイスが納得できない時はどうするのか、についてです。Maさんもアドバイスしているように、うつ状態の回復期やうつが長引いた時には森田療法の指針、知恵が役に立ちます。それについては私もコメントとして書きましたので、参照してください。
あと一つの問題は担当医のアドバイスが納得できない時の対処法です。これは実は神経質の人の対人関係のありかたとも関係します。なかなか率直に疑問を担当医にぶっつけて聞けないのです。私は率直に疑問を担当医に勇気を出して聞くべ きであろうと思います。何か納得のいかないままに診察を受け、後であれこれ悩むよりも、その時に思い切ってわからないこと、納得できないことをその時々で聞いてみることが大切です。そこから自分の状態にあった治療の指針が見えてくるのではないでしょうか。

不快な感情とのつきあい方と自分の生き方について '02.08

Hさんが、入院森田療法を含めたさまざまな治療を受け、また森田療法の勉強を続けていますが、どうしても不快な感情との付きあい方がつかめないので困っています。自分の激しい感情との折り合いに困っているようです。「今困っているのは、恐怖を始めとする不快な感情、気持ちとのつき合い方です。・・人間が自然に感じる不快な感情、気持ちにとらわれやすく、そしてなかなかながれず七転八倒して辛い思いをすることが多いです。・・主治医には『仕方ないと思い切ること』とか『感情と付き合うこと』とアドバイスを受けますが上手くいきません。」
Mさんは「私も長年、この問題に取り組んで参りましたので、若い方々にとっては大変な問題だろうと認識しています。どうでしょう。徹底的に取り組まれてはいかがでしょうか。きっと面白い、森田にとっては価値ある追求が出来るのではないかと楽しみにしています」とそれに対して書き込みます。私も同感です。
Eさんは「私は、入院中に「心身の不快な感情は流れる」ということに気付くことができました。それには、ひたすら黙々と目前の作業に取り組むことで実感できたんです」と自分の経験を述べます。
Cさんは「不愉快な気持ち・苦しさは、じっくり味わう。これが正解だと思います。」と書き込みます。いずれも私は同感です。後は自分でねばり強く実践して、そしてあーそうなのか、と自らの体験でつかむしかないと思います。それまでの試行錯誤がつらいでしょうが、このように真摯に人の意見を聞きながら、自分でこの問題に取り組ん でいけば必ず道は開けるでしょう。

出来ることと出来ないことを分けること '02.07

Eさんが、入院森田療法で軽快しましたが、仕事への復帰を前に揺れています。Hさんは「不快な感情、気持ちにとらわれやすく、そしてなかなかながれず七転八倒して辛い思いをすることが多いです」と書き込んでいます。
Mさんが例によって例のごとく適切なアドバイスを送ります。「何とか脱出したい気持ちは良く理解できますが、それでは逆効果です。焦らずに慌てずに、一気に読もうとせず、書き写すような態度でのぞめば生活に変化があらわれるのではないでしょうか。私の経験からそのように思うのですがいかがでしょうか。問題を一つずつ明らかにしていくことが森田の生き方です。」
つまりわたくし流にいえば、出来ないこと「不快な感情を取ろうとすること、そこから逃げること」をやめることです。そうするしかないと覚悟を決めることです。それとともに、今できることは何かと自分に問うこと、そのような発想を持つことです。例えば日記を書くこと、目の前の出来ることに手を出すこと、森田療法の勉強をすること、そして少しずつ出来ることを毎日続けていくこと、積み重ねていくこと、そしてそれしかできない、と開き直ることです。

肩の力を抜くこととは '02.06

yさんはうつ状態で悩んでいます。それに対してのわたくしのアドバイスがわからないとの質問がありましたので、お答えしましょう。うつ状態へのアドバイスとして「対策として、完全主義に陥っていることを自分で理解すること、肩の力を抜いて、できることをやるしかない、あとはなるようにしかならない、と開き直ることです。そこから自由な心の働きが始まるのです」と書いたのですが、説明不足だったようです。
yさんは「肩に力が入っているのは自分でもよく分かっています。でも、肩の力は抜こうとして抜ける物では無いように思うのです。・・・肩の力を抜こうとすることは、起こるべきして起こる緊張感を意識でコントロールしようという作業のように感じるのです。私流には“完全主義に陥っていることを自分で理解すること、肩に力が入ったままでも、できることをやるしかない・・・”と思うのです」と疑問を呈しています。
Mさんも言いますように、私は文字通り肩の力を抜きなさい、つまり緊張感を取りなさいといっているわけではないのです。肩の力を抜くということは、認識の仕方、こころのあり方について指摘しているのです。完全主義に陥ると(心のあり方として)肩の力が入り、細部にしか目が届かなくなります。そこで発想を変えてみたらどうでしょうか、といいたいのです。そして人生には思い通りにならないこともあるのだ、とあきらめることから、生の欲望が発揮され、心がその状況に応じた自由な働きを得ることが出来るのです。

「神経症性抑うつ」の対策  '02.05

このグループでは「抑うつ」で悩む方の書き込みェ多いようです。Yさんは、長年働いていたところの 倒産、失業、新しい職場への適応など人生の苦難に直面し、うつ状態となっています。
Tさんは強迫傾向が強かったのですが、なにか緊張の糸が切れたようになり無気力状態に陥って悩んでいます。お二人とも完全主義者とお見受けしました。全てに完全を求めると行き詰まります。そしてわれわれはしばしば人生の危機の時に、そのような完全さを自らに要求します。そうなると、細かなことの一つ一つが気になり、それに拘泥してしまいます。それがその人を消耗させ、疲れさせるのです。そして些細な失敗にとらわれ、落ち込みます。仕事の能率も落ち、物事を決めることが困難となります。
このような状態は要注意です。このようなときに「木を見て森を見ず」という状態になりがちです。全体が見えずに優先順位がつけられなくなります。
対策として、完全主義に陥っていることを自分で理解すること、肩の力を抜いて、できることをやるしかない、あとはなるようにしかならない、と開き直ることです。そこから自由な心の働きが始まるのです。

神経質者は悲観論者 '02.04

Oさんは、嘔吐恐怖で悩んでいます。「吐くのがとても怖いし、人が吐いているのも怖いです。神経科で安定剤をもらって飲んでいますが、薬が手離せません。このままでは、子供も産めないと思うと辛いです」と書いています。Rさんは「毎日、抑うつ感に悩まされています。森田療法で、『考え方が転換する』『楽しいことが見つかる』という事を模索していきたいです」と書いています。Mさんが書いていますが「Rさんは、メンタルヘルス図書室へ来られ森田を勉強されておられます。辛い状況からよく頑張って来られましたね。これからはもっと森田を深められるよう頑張ってくださいね。「楽しいことが見つかる」の模索はとても大切なことですね。森田先生のいわれる「日々新たに」を追求していってください」
このお二人にはある共通点があると思います。たぶん二人とも悲観論者で、Oさんは苦手な場面では「吐いてしまうのでは」という予期恐怖に悩まされているようです。つまり悪いことしか考えないのです、それが自分の恐怖を作り出してしまうのです。Rさんは考え方を転換する必要性を感じています。つまりどうしても悪く、悪く考える思考のパターンに自分で気づいて、その修正を試みているだろうと思います。
「こうに違いない」と決め付けずに、事実を事実としてみていくことは重要なことです。それが出来ると共に、本来の健康的な生の欲望がみえてくるのです。

うつ状態と神経質 '02.03

Aさん、Bさん、Cさんがそれぞれうつ状態で悩んでいます。現代のうつ病治療の最も重要な問題点として、軽症であるが長期化するうつ状態が増えていることが挙げられます。そこには神経質な性格が関与しているようです。多くの場合、この神経質の特徴は、完全主義的で、あることに執着することです。
ここで挙げた人たちもなかなか物事が長続きしないと悩んでいます。わたくしはそれを完全主義的な傾向が関係していると理解します。つまりなんでも完全にしなくては、と執着し、自分で自分の人生のハードルを上げてしまうのです。そして完全にできないぐらいなら、しないほうがよい、と何もしばしばやらなくなります。そのことが何かに取り組みにくくし、長続きもしなくなります。ほどほどに、6割程度でやるしかない、不満足ながらできることをぼちぼち続けていくしかない、と覚悟が決まれば、違った人生が見えてくると思います。生きることは日常のちょっとしたことを積み上げていくこと、つなげていくことです。完全主義者はしばしばそれが苦手なのです。

うつ状態から抜け出すために '02.02

Aさん、Bさん、Cさんがうつ状態から抜け出すためにはどうしたらよいだろうと悩んでいます。神経質な性格の人がうつ状態に陥りますと、抜けるのにも時間がかかるようです。あるいはうつ状態から回復するときに、人はしばしば神経質傾向、こだわりやすくなり、それが結果としてうつ状態を長引かしてしまいます。このような軽度でありますが長引いたうつ状態には森田療法は効果があります。

うつ状態に森田療法を用いる場合の原則として、

  1. 担当の先生に森田療法を学習する、あるいは取り組むことについて話をしておくこと、
  2. 薬物療法は引き続いて行う、
  3. 行動の原則として、大きな目標を立てないで、日常生活でできることを具体的に一つひとつ取り組んでいくこと、そしてそれを習慣として続けること、
  4. 白か黒かという完全主義的な考え方に要注意、特に自分はダメな人間である、などと決めつけずに、とりあえず目の前のできることをねばり強く行っていくこと、
  5. 「うつ」の正しい知識を知ること、
  6. うつ状態は行きつ戻りつしながら軽快していくものだ、と理解しておくこと、などがあります。
    その他森田療法には生きるための智恵が沢山含まれています。それを自分として見つけ、できることから実行してください。

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