症状別アドバイス集

強迫神経症の部屋・2001年

弱い心は弱い心として  '01.12

対人と抑うつが主症状のAさんが仕事のしんどさを書き込んでいます。Bさんは自分がぐうたらママで、何とかしなくてはと焦っています。Cさんは森田療法を「弱点を持った人がどう生きていくべきかを教えてくれる知恵の集積」だといいます。Dさんは「悔しい思いを胸にコツコツ積み上げていけばいいわけです。それが 真の神経質者の生き方です」とCさんに書き込みに答えます。
Eさんは最初短期のアルバイトにでますが、契約の更新を前に揺れてきます。自分の考えたような理想的な人間関係の職場ではないようです。Fさんは「…最近思うのは、うまくいかない時に人間一番成長するのかなということです。… 一緒に悩みながらぶつかりながら、なんとかやっていきませんか」と提案します。
私たちは生きていく上で必ず苦悩に直面します。そして神経質の人たちはこの苦悩が一般に深く強い人たちともいえましょう。しかしこの苦悩を苦悩として認める心が育ってくれば、喜びも喜びとして感じられるようになるのです。つまり人生が生き生きとしてきます。Unagiさんが言っているように、つらい時こそ、私たちは人生の事実を知るチャンスとなります。それが成長するということだと思います。
私たちには多くの弱点があります。それをそのまま認めていくこそ、生きることに対する工夫が生まれてくるのです。それをいやなものだと取り除こうとする心がわたしたちの苦悩を強め、それにこだわってしまうのです。

認識を変えることの重要性  '01.11

Aさんが仕事のことで行き詰まっています。それを率直に表現しています。
「うまくいかないことがよくある。しょっちゅう怒られている。・・・正直、この体験は辛い。一生懸命やれば、うまくいくんじゃないか、怒られることは無い、って学生時代は思っていたから。そこで分かれ道かなって思う。今の実力で精一杯やって、結果はまあ受け止めましょう。怒られても仕方ない。失敗もありでしょう。次も、腐らずに一生懸命やりましょう、って自分に励ましています」。
これは今までと違った認識で自分と世界との関係を見られるようになったということを示しています。Aさんもいうように人生は一生懸命やったからうまくいくわけではありません。むしろそこで失敗し、そこから人は成長し、結果としての成功をつかむのでしょうね。失敗無くして成功なしです。
そしてまた重要なことはBさんがいうように「落ち込んでいたとしても「必要なことはやる」・・・やった結果が、30点になるか、60点になるか、100点になるかは、時の運だと思います」。
これもまた重要な認識です。それがたとえ良い結果を生まなかったとしても、失敗が単なる失敗でなく、次につながる失敗となり、失敗恐怖の克服にもつながるのです。

人とつながること  '01.10

今月はAさんが活発に書き込みをしています。彼女は対人恐怖で悩み、引きこもりがちでまたとてもこれではいけないと焦っています。それに対して多くの人が さまざまな自分の体験に沿ってアドバイスをしています。生活を工夫すること、日々の目的を果たすこと、自分のしたいことを見つけること、焦らないで自然に何かしたい気持ちがわくまで待つことなどなどです。これ以外にもあったと思いますが、たくさんのレスポンスなので書き切れません。このように人とつながっているAさんはよいコミュニケーションをしているな、と感じました。実際の生活では孤独かもしれません、しかしここでは確実に人と関わっているのです。
このフォーラムで自分の考え、思いを率直に人に伝え、そこで 話しあう(チャットする)体験は重要です。そこから生活の発見会やアルバイト、大学生活などより実際の人との関係に近づけたらよいなと思います。またここでいろいろとアドバイスしている方にはそれぞれの特徴があるようです。そのことがその人の個性的な生き方を反映しているようでとても興味深く書き込みを読んでいました。そしてまた人へのアドバイスがその人の体験を深めていくのです。

「一緒に悩みを解決していくために  '01.9

Aさんが新しい会社に入って2ヶ月弱、症状がひどくなって、こころが自由に動かないと悩みを書き込んでいます。それに対してフォ−ラムのメンバーがさまざまな書き込みをしながら、彼の悩みの解決方法を一緒に考えていっています。

Bさんは、「心に相手にならなければ自由になれます」、「もともと悩みはないものです。従って人為的に増幅された悩みに於いては、皆同じ苦しみです…」などと書き込んでいます。これは禅問答のようでわかりにくい助言です。
このフォ−ラムでは自分自身の経験を具体的に示しながら、それぞれの森田療法と自分への理解を深めることが目的です。Bさんも自分の経験から出た自分の言葉で伝えることが必要だと私は考えています。
Cさんは、まず Aさんに、「心が伸び伸びした自由な状態」とはどんな状態で、その状態になればどのような行動が出来るのかを聞きます。この問いからAさんは自分の悩みを更に具体的に考えることが出来ます。またDさんはAさんの悩みとは違った面に注目し、指摘します。つまり発想の転換です。「2ヶ月もちゃんと勤めたのはエライと思います。症状がいろいろ出てくるのは仕方ないこと。2ヶ月もったのだから、次は半年かな。症状を抱えながら、自問自答を繰り返しながらも、いつか何かの突破口が見つかると思います。それまでは辛抱辛抱」。これはとてもよい助言です。その人のよい点を指摘し、さらになんとか持ちこたえればその人としての大切な体験が出来るというのです。Cさんは、Aさんのつらさに共感しながら、「自分をいかに良く(?)見せるか”という努力を、”いかに人の為になるようなことをするか”という方向へ変えていくことができれば、自然に過剰な自意識も薄れていくのではないかと思いますが、どうでしょうか?」と助言します。それは症状と格闘しながら結果として症状にとらわれているAさんに、やはり発想の転換を勧めるものです。目の前の具体的に出来ることに取り組むように勧めています。

苦しいのは自分だけではない  '01.8

ここでの書き込みは相変わらず活発です。Aさんが、「私って嫌われ者かな・ ・」と書き込みをしています。沢山投稿したのに、誰も参加しなくなり、一人相撲になっていたと感じたようです。そしてとても孤独を感じているとのことでした。この体験フォーラムの参加者はとても優しく、またこのような孤独を共有でいるようです。
Bさん、Cさん、Dさん、Eさんがそれに反応して自分たちの感想を述べています。それにAさんも励まされたようです。「私だけが苦しいのではない」と気づきます。これが重要な点です。
自分だけが苦しい、自分の悩みは特別だ、誰も自分のことを分かってくれないと思い悩むと、その悩みの渦から抜けることが出来ません。自分の苦悩を人に伝えること、そしてそれについて話し合えること、他の人に共感してもらえることがその悩みの解決の第一歩なのです。そのような点で このフォ−ラムの果たす役割は大きいものがありますし、また自助グル−プである生活の発見会も同じような機能を持つと考えられます。

自らを語ること  '01.7

Aさんが、離人症で悩んでいます。医師の治療も受けているようですが。彼が「離人症の治し方をおしえてください」と書き込みをしています。Aさんの悩みとはどのようなものなのでしょうか。離人症とは症状の名前で、Aさんの悩みが 伝わってこないのです。従って私も多分このフォ−ラムのメンバ−も自分の体験と照らし合わせて適切なアドバイスが出来ません。まず具体的に自分の悩みがどのような ものか、どのように経験されているのか、それは自分の生活のどのような場面で起こるのかなどを、記述することを薦めます。必要に応じて担当の医師と話し合った方がよいかもしれません。
Bさんの発言には感動しました。自分の人生を語り、そして自らを反省します。彼が自分の経験を語ることにきわめて熱心であった理由がよく分かりました。そ して率直に自分の行きすぎを内省する態度は、さすがであると思いました。Bさんのさらに一皮むけた体験談や助言を期待し、待っています。 もう一つ、Cさんが「生活の発見会」に参加することの効果について述べています。私も全面的に賛成です。私は、このようなフォ−ラムでのやり取りの重要性については再三述べてきましたが、さらにそれを深めるであろうことは、「生活の発見会」への参加であり、実生活での実践です。直接的な感情体験がきわめて重要であると考えています。

自分の経験を語ること  '01.6

このグループでのお互いのやり取りは活発です。今回はやり取りが多く、それぞれ 味わいがあるのですが、個別に取り上げません。

今は多くの方々は常時発言するメンバーとなって、このグループを盛り上げてくれます。そしてこの部屋を途方にくれて訪れた新しいメンバーにAさんはもとよ り、多くのメンバーが適切な助言を送ります。その助言はいわば自らの経験を語るこ とでもあります。助言することによってさらに自分の経験をしっかりと自覚し、深め ることができます。そこに一方通行でない、同じ悩んだ人たちが単に慰めあうのでは なく、自分の経験を伝え合い、それを通して成長する姿が見えてきます。最初は不安 に満ちて訪れてこの部屋の来訪者が、次第にここでの先輩の助言を取り入れながら、試行錯誤をはじめます。

これは単に症状、不安に対する心の態度だけでなく、人生の、つまり生き方の変換を意味します。自分なりに自分の問題解決に取り組んでいこうとすることは、今までの受身からより前向きなこころの態度への転換です。つまり「生きること」そのもの がより積極的に、そしてさらには自分の健康な欲望への発揮の方向に向かっていくのだと思います。

自己体験の絶対化の危険性  '01.5

このグループでのデスカッションは活発です。この場はお互いの経験を尊重し、そ の経験に耳を傾け、そして自らの経験を語り、そこから自己の啓発をはかる場であり ます。ここでは誰が優位に立ってものを教え、また他の人が教えを乞う場ではありま せん。ここの参加者は常に対等であるべきでしょう。お互いがお互いを助け合うとい う自助の精神が体験フォーラムの本質的な特徴であり、そうでなければここは専門家 による一方的な治療あるいは教育の場になってしまいます。つまり体験フォーラムで はなくなるのです。
これについては、Aさん、Bさん、Cさん、Dさんのやり取りか らわたくしの意見を述べてみたいと思います。

Aさんが1年間の職業生活を振り返り、彼としての気持ちの処理法について 書いています。彼は対人恐怖についてCさんと激論を交わしたこともある人で す。彼はこの1年間を振り返り「事実を見る目ができてきたかなと」と感じていま す。それは「自分がうじうじ心の中の不満や猜疑心や不安にとらわれているとき、紙 にその思いをかけるだけ書いてみるのです。何ページになろうと書いてみて書ききっ てもうないや、と思うくらい書いたら、その書いたものを読んでみます。自分がどん なことで悩んでいるのかがはっきり分かります。こういうことで悩んでいる、という 悩みの中身が事実として分かるのです。しかし、その悩みを解決しようとはしませ ん。これが一年たって変わったことです。事実を見ること知ることは大切なことだと 思います。」と記載しています。わたくしはなるほど、と感心しました。Aさ んとしての心の事実をありのままに見る方法を見つけたようだと、考えてからです。それは自分のつらい感情をこころの事実として受け止め、そしてそのまま操作しない でおいておく、つまり心のなかにその体験を保持しておく作業です。

これはわたくし が考える森田療法そして精神療法一般の基本的な作業と共通するものです。それがな されると、次第に本来の生の欲望も見えてきます。それがAさんの悩みの解決 やこころの成長に役に立つだろうと思いました。

さて残念なのは、Cさんの反応です。Cさんはこのように書き込みます。「久しぶりですA さん、以前は失礼しました。もう1年たちましたか!、そ うそう貴方には「1年で神経症を治す方法」と言うのをお教えしましたが「対人恐 怖が治ってない」と書かれていますので実行しなかったみたいですね。」 これは先程書きましたこのフォーラムを成り立たせている原理・原則からいえばい うべきことではないでしょう。またどんなに優れた治療者でもこのようなことはいえ ないでしょう。わたくしは森田療法の専門家として少なくとも20年以上もそれなりの トレーニングを積んできましたが、今までこのような言葉を人に伝えたことはありま せん。そしてCさんがいうように誰にでも適応できる「神経症を1年で治す方 法」などあり得ないこととは私自身の経験から断言できます。これはCさんの個 人的な体験で、相手の立場も考えずに一般化、絶対化するのはきわめて危険です。

Cさんの体験フォーラムでの言葉は鋭く、真実の一部は伝えています。しかし それが絶対的な真実ではありませんし、ましてCさんは治療者でもありません。森田療法は広く東洋的な人間理解に立脚した精神療法で、わたしたちが「あるがま ま」という人間性の事実の到達するためには、その人としての多くの方法があるはず です。私たちが自己中心的なとらわれから抜けるということは、他者への愛、自己中心的 な「人を思うがままに操りたい」という欲望に気づき、そこから抜けたことを意味します。

その点で、Bさん、DさんがA さんの生き方を認め、尊重している 態度にはホッとさせられます。ある人の言葉が相手の心の届き、その意味を持つよう になるのは、悩む人の生き方を尊重し、共感し、その上で築かれた関係を前提としま す。
それともう一度確認しておきますが、このようなお互いがお互いの意見を傾聴し、尊重し、そして自分の経験を伝えあう場所です。この場所では自分が他人を治すという発想そのものが無責任であり、きわめて危険なことです。この場がある人の経験の押しつけにならないことを切に願っています。

薬物療法の意味  '01.4

対人恐怖の友人から薬物療法の相談を受けて、その返答で困っていま す。以前に不安神経症のところでパニック障害の薬物療法について述べましたが、こ こでは強迫神経症や対人恐怖の薬物療法の意味とその終結の仕方について述べましょう。

強迫神経症に抗うつ剤SSRI(ルボックス、デプロメ−ル)が効果あることは知られ ています。しかしこの効果も症状をすっかり取り去るものではありません。強迫行為や強迫観念が減少する程度です。私は薬物療法と精神療法とは必ずしも対立するものとは考えていません。簡単にいえば急性期に薬物療法は必要ですが、その治療を終わらせるには精神療法が必須です。不安、不全感、不快な感情をそのまま受けとめられる心を作っていくことがより少量での薬物療法を可能とし、それが治療の終結に結びつきます。慢性期になればさらに精神療法の役割は大きくなります。

対人恐怖も、抑うつを伴う場合には薬物療法も一時的に効果を認めます。またアメ リカでは社会恐怖(対人恐怖とほぼ同じタイプの神経症)にはある種の抗うつ剤の効 果が認められるという報告があります。しかしその根本的治療は強迫神経症と同様に 不安に対する心を作っていくことにあります。薬物療法で気をつけてもらいたいのは、自己判断による急激な服薬中断です。中断 による症状の悪化が必ずみられ、それがまた薬物への依存や自分に対する自信をなく させます。そのため主治医と相談して、精神療法と併用しながら減薬することがベス トです。

アサ−ティブトレーニングについて  '01.3

今日は、対人恐怖の人に対するアサーティブ・トレ−ニングについて考えてみたいと思います。
Aさんは「アサーティブネス(Assertiveness)(アサーションとも言います。)は、自己主張すること」の重要性を述べています。そしてそのトレ−ニングが対人恐怖で悩む人たちの役に立つと勧めます。それに対して、Bさんは反対です。対人場面でそのようなトレ−ニングはむしろ「神経症的とらわれ」を強めてしまうというのです。

さてこのような議論は、以前にも日本森田療法学会や研究会で話題になったものですから、興味深く読みました。私は、ほぼCさんの考えに同感です。「対人恐怖の人は、とても強い悩みを抱えており、それを克服していくのに、アサーティブトレーニングで何とかしようとするのは無理ではないかと感じます。神経症のもととなった生き方や行動のしかたのまちがいは アサーティブトレーニングの是正しようとしている傾向よりも深いところに在るような気がするのです。」と述べています。
Bさんが指摘しているように、最初は対人関係での工夫をいっさいしないことが逆説的ですが、もっとも重要です。つまり「はからい」を止めるのです。不安を取り除く工夫を止めて、そのままに放っておく心の態度です。それはすなわち、自分の悩みを抱え込む心を作ることであります。それが出来てくると、以前にも指摘しましたがその人の本来の生の欲望がしっかりと自覚されるようになります。この時点では、A さんのいう「アサーティブ・トレーニング」や内観での内省がある人にとってはとても重要なことになるでしょう。しかしそれもその人の固有な「生き方」と関係します。
しかしもちろん違った生き方をし、そのようなことは必要がないという人もあるでしょう。それはおのおのの生の欲望に沿った人生の選択です。

相互作用(インタ−アクション) '01.2

このグル−プのお互いのやり取りは相変わらず活発です。そしてここでの皆さんは 率直に自分の意見を表明しているようです。わたくしはそれらを見て、そのような相互作用(インタ−アクション)が人を成長させるのだ、と思いました。例えば、Aさんが、「怖くても逃げずに日常生活することを自分に言い聞かせようと思います。こわいと言うのは、対人恐怖症でいる自分のこと」と書き込みます。 それに対してBさんが、自分の体験に沿って「1.働いている自分を認めることの大切さ、2.自分自身の言い訳をしないこと、3.できることを一生懸命やりま しょう」と提案します。これは自分の経験に基づいたことで説得力があります。また 人に自分の経験を話すことで、自分自身への理解が着実に深まるのです。またCさんが対人恐怖で悩んでいます。そして「どなたか相談にのってください」と書き込みます。また、みなさんからアドバイスが届きます。Cさんが「とりあえず本をよんで実行してみようと思ってます。とにかくなにごとにも逃げずに、がんばってみます」とアドバイスに力を与えられたようです。ここからCさんの変化が始まるのだろうと思います。また生活の発見会の集談会についてもさまざまな意見が交わされます。そしてそこでの体験が、たくさんの方から語られます。そしてわたしたちは集談会の体験とはどのようなものか、についてこのようなやり取りから知ることが出来るのです。

「円滑な人付き合いが出来ない」  '01.1

ここでは書き込み、発言はいつも通り活発です。そしてここでのやり取りを通して皆さんがさらに自分の体験を深めている様子が伺われて、嬉しくなります。また、はっとと気づかされることも多々あります。やはりこのような場での体験のやり取りは重要であると再確認しました。 今回は、「円滑な人付き合いが出来ない」を取り上げてみましょう。「放課後児童会という、いわゆるカギっ子をあづかる仕事をしているのですが、そこでの人間関係も、子どもとの付き合いもうまくいきません。」などのつらさを訴えています。このような悩みを持つ方が増えてきたようです。 それに対して、Aさんは「上手く話そうとか、いい大人として対処しようとか、考えずに、子供たちの楽しい話を聞く、子供たちと鬼ごっこやドッチボールなどして楽しく遊んではどうでしょう」と発想の転換を進めます。Bさんは「まずはその場に居ること」「輪に加わっていること」の重要性を指摘します。つまり「逃げないということが大事」なのです。Cさんは「あなたの現在の苦しみは、あなたが本来の苦しみを何十倍にも広げたものです」と自分で自分の悩みを拡大していくメカニズムを指摘しています。Cさんは他の所で「神経症の人はノミのような問題をゾウのようにしてしまう」という巧みな比喩を用いています。この「神経症的とらわれ」から抜けると、Cさんの言うように日々の幸せを感じる心が育ってくるでしょう。
「ばかにされないために、こうしてみよう」と考えるより、「この子とどうやって関わったら楽しいかなぁ」と考えるようになったそうです。つまりこれは「人にどう思われるか」という人の評価を基準とした生き方から、「自分として何をしたいのか」という生き方への転換でもあるようです。皆さんの助言はそれぞれの体験に裏打ちされ、生きる智恵がそこには含まれています。

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