症状別アドバイス集

強迫神経症の部屋・2005年

外相を整えること '05.12

Brさん、こんにちは。文面拝読させていただきました。発見会を手がかりに6年間の引きこもり生活を自力で抜け出したのですから、Brさんの努力は並大抵なものではなかったと察します。
さらに文面からBrさんの現在の悩みは、社会生活を前にして「どう自分自身が社会人として振舞ったらよいか?」ということであるように見てとれました。きっと対人場面での会話に対する悩みも社会人としてよく振る舞いたいという思いゆえであったからだと思います。
しかし、その反面「面白いこと」や「気の利いたこと」を述べることが社会人として絶対に必要な振る舞いになってしまっていた感も否めません。そうだとすれば、「聞き上手」というアドバイスをもらったとしても、絶えず「気の利いた」会話にとらわれてしまい、本当の意味での「聞き上手」に徹せなかった可能性があります。ここで社会人としての振る舞いというものを今一度見直してみることが大切になります。果たして、会話をスムーズに進めることが社会人として一番必要なことでしょうか?
むしろ、Ugさんが述べていらっしゃるような挨拶、時間をきちんと守る勤務態度、そしてきちんとした身なりなどが社会人として一番必要なことであるように思います。森田療法の中に「外相整えば、内相おのずと熟す」という言葉があります。この場合であれば、仕事に対する実直な態度が「外相を整える」部分に相当するでしょう。
ですから話に上手く参加できなくても、Brさんの実直な勤務態度は必ずや人の信頼を集め、延いては、Brさんに新しい自信を与えてくれることと思います。その時には、自然な形で会話が出来るようになっているかもしれません。ぜひ、頑張っていただきたいと思います。

(樋之口潤一郎)

本当に望んでいること '05.11

Bsさん、周りがすべて敵に思えてしまうとのこと、つらいやりきれない気持ちでいるのですね。

嫌われていると感じたり、孤独に感じたりしても、「どうせそんなものだ」とそのままを受け入れるようにしていたとのこと。けれども、本当にそれがBsさんにとっての「あるがまま」なのでしょうか? Bsさん自身「そういう気持ちの処理の仕方が却って劣等感を植え付けている」と感じているよう。人に嫌われているように感じたら傷つくし、孤独は淋しい。
そうした自然な感情を「そんなものだ」とねじ伏せようとすることで、苦しさを増していたかもしれませんね。
そしてその苦しさから周りの人から引いた振る舞いをしてしまい、本来の望みと逆のことが起こっていたかもしれません。
書き込みの文面からだけでは、どんな状況でつらく感じていらっしゃるのかまではわからないのですが、例えば「わかってほしいことが伝わらなかった」「話したいのに話せなかった」「相手の態度が冷たく感じた」というようなとき、やりきれない気持ちになるのではないでしょうか。
もしそうだとしたら、その裏には「伝えたい」「話したい」「人と関わりたい」という思いがあるはず。 また、「世の中」「すべて」がいやな気持ちに塗り込められてしまいそうなとき、「今日はこんなことがあってつらかった」「○○と言われたことがいやだった」と事実を整理し直してみることも大切です。もう一度、本心に立ち戻って、Bsさんの本当の望みを見つめてください。
そしてBsさんのほうから、周りの人やものごとに、恐る恐る働きかけてみてください。
本来の望みや、働きかけることで起きてくる不安を「あるがままに」。
そうしたらまわりにあるものが、Bsさんが今感じているのとは違うものに見えてくるかもしれませんよ。

(塩路理恵子)

うつの回復期における治療原則について '05.10

Mr様、抑うつで悩まれ復職のことについて色々考えられさぞかし大変かと存じます。そこでうつの(特に回復期)治療原則について述べたいと思います。
まず急性期では休息と抗うつ薬の服薬が原則です。しかし抑うつ気分が軽くなり、様々なことへの興味が出てきたら少しずつ休息から動いていくことが大事になってきます。動き始めたときは身体の疲労が出現するかもしれませんが、その場合は少し休息をし、また動く意欲が出てきたら、再度行動をしてみてください。一進一退を繰り返しながらもこのような行動を続けていくと次第にうつは回復していきます。
仕事をしていない状態でほぼ元の自分にほぼなってから復職の話題を進めるのが良いでしょう。できれば復職する際は、同じ職場・部門で、軽勤務もしくは半日勤務が望ましいといえます。復職の際このような期間を設けて仕事に慣れていくことが得策です。この際できれば主治医と会社の産業医と連絡を取り合い、患者様の仕事量や出勤時間の調整をしていくことが好ましいと思います。

(舘野 歩)

人間関係はキャッチボール '05.9

Hsさんは「人間関係で悩んでいる」とのことでした。学校にしろ会社にしろ、人との関わりがある以上、人間関係の悩みは尽きないものですね。しかしこうした悩みは、それだけ人と良い関係を作りたいという欲求の証でもあります。Hsさんはこうも書いていました。「僕は今までその人とうまくやるにはどうすればいいか、しか考えていませんでした。そして、その人とうまくやれるようになるべきだ、と考えていました。でも今、それは違うんじゃないかなって思い始めています」。良い関係を作りたいと思えば、どうしても相手から嫌われたくないと考えるものです。
しかし、そう思えば思うほど、相手の顔色が気になったり、自分の表情などに注意が向いてしまって、かえってギクシャクした関係になってしまいます。これは「うまくやろう」と気負いすぎて、実際の相手や自分自身を見失ってしまうために生じる空回りとも言えるでしょう。そうした時には、案外関わっている相手そのものや相手の気持ち、自分の気持ちは置き去りにされてしまっているかもしれません。あるいは相手と「うまくやること」だけにとらわれて、自分がすべきことがないがしろにされてしまうこともあるでしょう。 たとえばキャッチボールは、相手の立っている場所、力量などを見て、投げる方向や力加減などを考えなければうまく出来ません。つまり、いくら自分だけが完璧なフォームで投げたとしても、相手の状態をしっかり観察して投げなければ相手にとっては非常にやりにくいキャッチボールになってしまうのです。人間関係もこのキャッチボールと同じようなものと言えるでしょう。すなわち、相手がわかるように言葉を投げること、そして相手が投げかけている言葉をキャッチしようと心がけること、その繰り返しが言葉のキャッチボール(会話)であり、そこからお互いの理解が深まるのです。
またキャッチボールに戻って考えてみましょう。もし、自分のイメージ通りにボールを投げてくれない相手だったり、思ったとおりにボールを受けてくれない相手だと非常にやりにくさを感じると思います。しかし他人を思い通りに動かすことは出来ないので、結局自分が取りやすい位置に動いたり、取りやすいボールを投げるしかありません。人間関係も同じでしょう。結局相手も、そして自分自身もイメージどおりに動かすことは困難なのです。「うまくいかない!」とジレンマに陥った時、ちょっと一拍おいて考えてみたらどうでしょう。つまり、「うまく」というのが、「自分のイメージどおりに」ということになっていないかを振り返ってみるのです。
Hsさんも書いていましたが、全ての人と「うまく」(=思い通りの)関係を作るのは難しいことです。しかし、すぐに思い通りに出来なくても、相手がどんな人なのか、どんなことを考えているのかに思いをめぐらし、そして自分はどんなことを考え、何を伝えたいのかを考えながら、少しずつ言葉にしていくことでしょう。初めはギクシャクしていたキャッチボールも、相手や自分のことがわかってくると段々にスムースになっていくかもしれません。Umさんも「気になる事実をなくそうとするのは無理な話」と書いているように、思い通りにならないことや後味の悪さをすぐに無くすことは難しいことです。それはそれとして受け止めつつ、今自分が出来ることを一つ一つやっていくことによって、違う何かが見えてくるかもしれません。Hsさんは通信制の高校に通い始めるとの事。新しい体験が得られるよう、応援しています。

(久保田幹子)

風が吹けば桶屋が儲かる・・・ '05.8

Swさんは書きました。「自分でその不安を取り除く為の『答え探し』や『質問』をする際、念には念を入れて?!、「賞味期限の過ぎたのを2個も食べてしまった。」おまけに『なんとなく昨日は体調がよくなかったようだ』 そういえば『カビもついていなかったっけ?!』 といった風に不安の上塗りをしていってしまう事があります。」
Swさんのいう「不安の連立方程式」とは、強迫観念の特徴をうまく捉えた表現ですね。不安な考えを取り除くための『答え探し』は、往々にして「万が一の可能性」に思い当たって一層の不安を招いてしまうものです。このような考えが連鎖をなすと、とてもありそうにないことにまで不安が行き着いてしまいますね。一例を挙げると「床屋に行ったら顔色の悪い客がいた」→「その人は感染性の病気かも知れない」→「その人の髪をカットしたとき、はさみが頭皮を傷つけ血が付いたかも知れない」→「血の付いたはさみがよく洗われないまま自分に使われたかも知れない」→「その血の中にあった病原体が、自分の頭皮の傷口から侵入したかも知れない」といったような考えの道筋です。このような「万が一の可能性」の連鎖をたぐっていくことは、例のことわざ「風が吹けば桶屋が儲かる」によく似ています。大風が吹けば→砂埃が舞い→その砂が目に入り→目を病む人が多くなる→こういう人の中には三味線を習う人がいて→三味線には猫の皮が必要だから猫が殺される→猫が殺されると鼠が増え→鼠は桶をかじる→だから桶屋が繁盛する、というありそうにない結論にたどり着くのです。このことわざには、「当てにならないことを期待する(予期する)ことのたとえ」という意味があります。強迫観念も同様に、万が一の疑惑を重ねていくうちに、当てにならない(ありそうにない)ことまで心配の種になっていくのですね。
ですからこういった思考のパターンは「風が吹けば桶屋が儲かる」とでも名づけておき、不安の上塗りを重ねそうになったら、「あっ、風が吹けば・・・だ」と思い起こすようにしてはいかがでしょう。われながら思わず苦笑してしまい、疑惑の連鎖から抜けやすくなるかも知れませんよ。Swさんは、大分自分のことを客観的にご覧になれているようです。仕事には充実感をもって臨んでいるとのことですから、あと一歩のところまで回復されているのでしょう。「不安の連立方程式」でも「風が吹けば・・・」でもいいですから、強迫観念の連鎖を一言でくくってしまうような呼び方を見つけてみましょう。できればユーモラスな呼び名がいいかも。

(中村 敬)

回復の過程に波はあるものです '05.7

Taさんが書いています。「はからいながらとらわれながら、やるべきことをするようにしているうちに、とらわれがなくなる経験が出来た。しかし、新たな強迫症状が生じ、そのことがどうしても気になってしまう。」それにMaさんが「態度を改め、症状に目を向けるのではなく、やるべきことを重視してください。」と返答しています。そこでtaさんが「はからうことばかりに気を取られ、やるべきことをするという大事なことを忘れていた。」と書いています。お二人のやり取りを拝見していますと、よい気付きをされていると思います。まず、Taさんは目的本位に行動することでとらわれがなくなる経験をしたと書かれていますように、症状とよい距離をとる経験をされていると思います。
その一方で、新しい症状が生じ戸惑っています。回復途上では症状に波があるものです。直線的な回復というものはありません。しかし、その際においても、症状への構えは同じであり、初心に戻って「やるべきことに打ち込む」ことが、Taさんが「症状に向いている注意をもっと大切なところに向かせていければよいと思う」と書いていますように、自分らしい生活を送ることに繋がると思います。
「症状が出てくると何もやりたくなくなるが、頑張って動くようにしている。」とのこと、その調子です。

(矢野勝治)

認知行動療法と森田療法 '05.6

Trさん、こんにちは。強迫神経症の自分の症状とほかの症状のちがい、また、森田療法、認知行動療法という二つの治療法の比較と、いろいろと考えておられますね。神経症の治療では自分の状態を十分に理解し、意識的な努力を積み重ねることが大切です。その取り組みを尊重せずにはいられません。
Trさんのご意見とご質問について考えさせていただきます。強迫性障害の治療には認知行動療法が一般的であると医師から言われたとのことですね。一般に、認知行動療法は、症状を引き起こす不合理で極端な、自動的で習慣にもなっている自分の考えかたに気づき、事実に即した考え方を身につける練習をします。その上で段階的に不安を伴う行動に踏み出していくようにします。森田療法と異なる点は、治療の目的として症状を治すことに重点がおかれること、また、思考や考えを現実的なものに修正しようとすること、といったところでしょう。
森田療法は症状それ自体を治すことではなく、症状を抱えながらも取り組むことが出来た行動を重視します。また、患者さんの考え方そのものを直接変化させようとはしません。その代わり、不安は人間にとって自然の感情であり、不安やそれに伴う症状を取り除こうとすることがむしろ悪循環となって状態を悪化させること、不安のままに目的本位の行動に取り組む姿勢が重要であることをご理解して頂きます。また、森田療法と同じ点は、Trさんもおっしゃるように、不安を伴う行動にも踏み込んでいく必要がある、としていることです。どちらの治療法でも新しい考え方や物の見方をきちんと身につけるには行動も重要である、としていることは共通しているように思います。
Trさんは雑念恐怖や雑音恐怖といった強迫観念があり、症状を取り除きたいという気持ちがお強いとのことですね。認知行動療法で、認知的に強迫観念の合理性について考えていっても、新たなとらわれやこだわりを生んで悪循環になる可能性もあるでしょう。Trさんの症状の治療は森田療法のほうが取り組みやすいかもしれません。強迫観念はあってもいいし、症状を取り除きたい気持ちは当然です。その当然の状況のなかで、目的本位にやるべきことに取り組む、行動していくことが重要です。

(鹿島直之)

聞き手上手 '05.5

こんにちはHrさん。社会人になると色々な人と会話をしなくてはならなくなり、緊張することもしばしばありますよね。ただHrさんは話題を増やそうと本を読んだりして努力したとのこと。そこからHrさんは、苦手意識が強い一方で人と上手く会話をしたいという思いも人一倍強いのではないではないかと感じました。もしそうだとすれば、上手く話したいと思うばかりに、余計苦手意識克服に注意が向かってしまい緊張感を強めていったかもしれません。
しかしスラスラ話せることは本来最良なコミュニケーションなのでしょうか?このことをHrさんが今一度自身に問いかけてみてはと思います。というのも、会話は何も話し手だけでなく聞き手もいてはじめて成り立つものだからです。話すことが苦手だとすれば聞き役から回ることもコミュニケーションの一つだと思います。会話の中で、自分が聞き役から話し手になることがもしあったとすれば、ここはしどろもどろで話し手に挑戦していって欲しいと思います。特に話し手になった際には、上手く話すことに意識をむけるのではなく、言いたい内容をきちんと伝えていくことに意識を向けていってもらえればと思います。
当然ぎこちなく伝えていってよいのです。一生懸命伝えようとしている姿勢だけでも案外聞き手はHrさんの思いを理解してくれるものですよ。そして最後に、アルバイトからでも良いので仕事に復帰することを是非お勧めします。辛いかもしれませんが仕事はコミュニケーションに挑戦する絶好のチャンスでもあるからです。必ずや道は開けてくると思います。頑張ってください。

(樋之口潤一郎)

「話す」よりも「伝える」から '05.4

Mlさん、対人緊張のつらいなかで通学をされているのですね。 文章を拝見しても、自分を振り返る力は十分ある方のようにお見受けします。 ご自身でも「完璧主義」とお書きになっているように、「こうでなければ」という姿勢が強いのでしょうね。
「どう思われたんだろう?」という不安は、「相手に認められたい」気持ちがあるからこそ生まれる、人を求める気持ちと背中合わせの自然な感情です。
その不安を消そうとして、「よく思われなくてはならない」「変に思われてはいけない」という風に構えてしまうと、ますます自分のあり方に目が向いてしまい、悪循環に陥ってしまいます。
人と話すときに自分の話し方ばかりに目が向いてしまい、そのために相手の話をちゃんと聞けなくなってしまっていることには、ご自分でも気づかれている様子。
そこで、まずは相手の話の内容をよく聞き、うなずいたり相槌をうったりする、よい聞き役になることを目指してみては?
そして、「話す」というよりは内容を「伝える」ことを大切にしてみましょう。
学校では、緊張したままでもよいので、授業を聞き、ノートをとるようにしてみてください。
きっと持ち前の「良い自分であろう」という気持ちが生かされてくると思いますよ。

(塩路 理恵子 先生)

あるがまま、自然な自分を出すこと '05.3

Alさん。随分対人緊張で悩まれていて、現在のつらい気持ちが伝わってまいります。Alさんの文章を読んでみて感じたことからいくつかアドヴァイスを致します。
「いつも自然に笑顔が作れれば人間関係がスムーズにいく」とお書きになられていましたよね。ここから、「いつも笑顔であらなければならない」といった「かくあるべし」理想の自己像に縛られていることが窺えます。他人と接する時にはその状況に応じて色々な表情をすることが「自然」であると思います。他人とのコミュニケーションは笑顔でいる、いないといった表情だけでするわけではありませんよね。言葉にならないコミュニケーションもあるわけです。ですから、「常に笑顔でいる」といった構えを緩め、ぎこちないながらでも本当に自分が話してみたい人と話してみましょう。自分が思うほど相手がalbaroさんの表情を気にしていないこともしばしばですよ。

(舘野 歩 先生)

人間関係で、今自分に何ができるか '05.2

Ctさんの悩みは「自分の発言したこと・行動が、相手にどううつっているのか必要以上に気になります。先週までアルバイトをしていたのですが、いつも脂汗をかく感じでついにやめてしまいました」というものです。
おそらくCtさんの悩みは対人恐怖的なものと推察します。しかし、こうした悩みを持つ人の多くは、本当は“周囲とうまく付き合いたい”、“任せられた仕事は失敗なくきちんとやりたい”と思っているものです。だからこそ、自分の言葉が相手を傷つけていないだろうか?あるいは自分がどう評価されているだろうか?と相手の反応を気にしてしまうのです。言い換えれば、周りからどう思われても関係ない、とマイペースな人は周囲の反応など気にならないのです。
しかしマイペースな人の場合、当人は悩んでいなくても、周囲が困っていることは少なくありません。こうしてみると、Ctさんの悩みは決して周囲と関わる上で困ったものではなく、頑張るところがずれてしまっているために不都合が生じていると言えます。
今回アルバイトはやめてしまったとのことですが、おそらく本来の仕事よりも周囲の思惑や自分の態度ばかりに注意が向いてしまったために、より一層緊張が強まり、結果的に仕事でもミスをしてしまったりして居たたまれなくなってしまったのではないでしょうか。もしそれで本来やりたかったアルバイトを今後もあきらめてしまったら、それはとても惜しいことです。周囲と付き合うときに、自分の期待通りに理解してもらう、あるいは評価してもらうことは難しいかもしれません。しかし、本当は相手とうまく付き合いたい、人と関わりたい、という気持ちを生かすために自分なりに出来ること、例えば「自分の伝えたいことは言葉にして伝えてみる」「なるべく相手にわかるように話す」「任された仕事には丁寧に取り組む」といったことは、何とか自分の力で出来ることです。また、相手の話によく耳を傾け、聞き上手になることも人間関係を築く上では重要です。今は自信を無くしてしまっているかもしれませんが、ここであきらめず、折角の思いを「相手からどう思われるか」ではなく「自分なりに何が出来るのか」といった方向に生かしてみてください。その試行錯誤は必ず自分の成長に繋がると思います。

(久保田幹子 先生)

おっかなびっくり薬を減らす '05.1

Iaさんは書きました。「神経科の医師より、減薬を診察のたびに勧められ、憂鬱になってしまいます。・・・まだ私は精神的にかなり不安定で、減薬の自信がありません」

Iaさんの飲んでいる薬や今の状態のことは分かりませんので、一般論としてコメントすることにします。神経症には今日、抗不安薬と抗うつ薬(特にSSRI =選択的セロトニン再取り込み阻害薬と呼ばれるタイプの薬)が広く処方され、それなりの効果があります。強迫神経症の場合、50%くらいの方にはSSRI がある程度有効だといわれています。しかし薬だけではすべての不安(症状)が解消するわけではなく、また服薬をやめた後の症状再燃も少なくありません。そこで多くの医師が、延々と長期間にわたって投薬を続けているのが現状です。なかには「一生服薬する必要がある」と言ってはばからない医師もいるようです(怠慢だと私は思いますが)。
しかし森田療法に携わる医師は、薬だけで神経症を解決しようとせず、薬は患者さん自身が行動を立て直していくための補助手段と考えています。行動の広がりを見ながら徐々に薬は減らしていき、やがては薬を飲まずに生活できることを目指しているのです。仮に減薬の当初、不安が生じたとしてもそこで行動を崩さずに粘っていけば、時間と共に不安は通りすぎていくものです。神経症の方が一生涯服薬する必要はないのです! Iaさんの主治医もそのように考えていらっしゃるのではないでしょうか。
自信がついてから薬を減らそうとすると、ついついその機会を先延ばしにすることになってしまいます。自信がついてから(不安がなくなってから)行動しようとするのと同様ですね。ですからある程度行動が立て直されてきたら、主治医と相談の上、おっかなびっくり薬を減らしながら生活に取り組んでいかれることをお勧めします(通常、薬はゆっくり減らしていきますよ)。

(中村 敬 先生)

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