症状別アドバイス集

強迫神経症の部屋

「体験フォーラムの大切さ」 '14.12 

Tさんは現在、対人恐怖症に悩まれているようですね。しかしながら、その中でお子さんをしっかり可愛がり、母として奮闘されているとすれば、立派な対人恐怖症として、Tさんはもっとご自身のことを誇らしげに思って頂いて良いと思います。というのも、対人緊張が出現しても、大切な人との間では心の通った深い交流が、Tさんには出来るからです。きっとお子さんとの関わりでは対人恐怖症は影を潜め、「わが子ともっと関わりたい」という思いがTさんの中に沸き起こっているのではないでしょうか。そしてこのような思いを、春に生まれてこられるお子さんにも与えて頂ければと思います。

その一方で、これから育児の上で発生するママ友などとの交流では、深い交流を急いではいけません。得てして、対人恐怖症の皆さんの多くは、顔と名前は知っているけれど、その人自身をあまり知らない中間的な人間関係を苦手としています。さらに神経質性格の持ち主であれば、「苦手即克服!」などと不用意に相手に近づき流暢に話すことを急いでしまいます。むしろ、緊張した時は「慎重に振る舞えの証」と捉え直し、恐る恐る関わっていくことを大切にされてください。というのも、慎重さは相手を見極める上で大切な資質であるからです。

ただ、そうは言うものの、孤軍奮闘だけでは「これで良いのだろうか」という不安を募らせるばかりです。やはり、同じ仲間がいること、そしてその仲間が同じように苦労しながら戦っている事実を知ることは、神経症で悩まれている皆さんにとって大きな勇気となるはずです。そして体験フォーラムは、まさにそのためにあるのだと思います。是非、このフォーラムの交流を通じて感じた勇気を、「不安の中でも自分を生かしたい」というエネルギーに転換していってほしいと思います。今後、Tさんも是非、このフォーラムで自身の体験を語り、日ごろの奮闘振りを伝えていってください。自分の体験を語ることが、ご自身の悩みの整理だけでなく、「何を本当は望んでいたのか」という大切な気持ちに気づく切っ掛けになったりするものです。今後も益々ご活躍されることを祈願しております。是非頑張られて下さい。
(樋之口潤一郎)

「"次の行動"のその先の"目的"」 '14.11 

Tさんは「不潔恐怖と確認恐怖で動けなくなってしまう」と書き込み、例として「食事でハシを持つ時に、汚れが口につくのではないかという恐怖が襲ってきます。架空の汚れなので汚れが口につく可能性などないことは、頭では理解しているのですが、恐怖で手を動かすことができなくなってしまいます。『恐怖を感じながらも目的本位に次の行動に移る』ということ自体ができなくなってしまいます。」と書き込まれています。

不潔恐怖と確認恐怖に苦しみながら、なんとかご自身なりに次の行動に移ろう、と取り組んでおられるのですね。「目的本位に次の行動に移る」のは森田療法の基本。けれども「強迫行為をやめよう」とだけ構え、逆に強迫観念から目をそらせなくなっている方も多くみられます。確認行為の回数を決めるけれど、今度は回数にこだわってしまったり、その決めた回数のときに「きっちりとできるようにしよう」ととらわれてしまう人もいるようです。

森田先生は雑念恐怖の人にこんなアドバイスをしています。「本を読むときに雑念が起こるのは、お使いに行く途中で、本屋や菓子屋やチンドン屋などに心がひかれると同様で、ただ心のひかれるままに目的地に進むよりほかありません」。小さな子供がお使いに行くときの微笑ましい状況に重ねると、「心が引っ張られながらも目的に進む(お母さんが待っているから買ってきたものを届ける)」イメージがつきやすいかもしれません。次の行動のその先の「目的」に目を向けて、動いてみてください。
(塩路理恵子)

「洗浄強迫への対処」 '14.10 

Aさん「自分が汚いと感じるものに近づいたりするだけで全身が汚れた気になり、手洗い、入浴や身につけている衣服鞄などを処分したりしないと恐怖心でいっぱいになり気持ちが収まらず、外出もおっくう」で大変ですね。

洗浄強迫行為が多い方の話しを聞いていると、「自分の気持ちがすっきりするまで洗い続ける」ようです。「全身が汚れた気になる」のは「なんとなく」そう思われますか?それとも「絶対汚れている」と確信されていますか?「強迫」とは読んで字のごとく「強いて迫られる」と書くので、このあたりの「ばかばかしさ」がどの程度あるかが治療を開始する上で大事です。あまり「ばかばかしさ」がない場合は医療機関で薬物療法を受けた方が良いかもしれません。

症状に対しての「ばかばかしさ」がある程度あると仮定して話を進めます。不安な気持ちをすっきりさせるために手洗いを続けているとなかなかやめることは難しいです。ですから、「汚れているかな」と思っても全身、目で見て一通り入浴で洗った後は、「後ろ髪を引かれつつ」風呂を出て次の行動へ移るようにしてみてはいかがでしょうか?ただ、手洗い行為をやめることだけを目標にするのではなく、「次の必要な行動へ移っていく」ことが森田療法の強迫行為への対処となります。このあたりが症状の軽減に治療の焦点を置く認知行動療法と異なる点です。建設的な行動を広げると同時に入浴時間は30分から1時間以内ぐらいにしましょう。

「次の必要な行動」と書きましたが、手洗い行為以外の生活をいかに充実させていくかが治療上大事です。生活を充実させていく結果として手洗い行為の時間が減っていくのが理想です。日常生活の中で小さなことで構わないので少しずつ手を出していって下さい。
(舘野歩)

「まずご家族が相談することもできます」 '14.9 

Yさんは化学物質過敏症と電磁波過敏症の患者さんのご家族の方ですね。詳細がわからないので何とも言えないのですが、「普通の日常生活が送れない」と書かれていることから症状により生活にかなり支障がある状況なんですね。

化学物質過敏症や電磁波過敏症は疾患に肯定的な見解を示す立場から懐疑的な立場まで、様々な議論のある疾患概念です。そのため、治療について話すのは難しいのですが、このような患者さんが相談にいらした場合、まずはどのような症状があり、その敏感さを少しでも軽減するにはどのような手立てがあるだろうかと考えます。
精神科に相談にいらした場合は、薬物療法と精神療法の併用を考えます。薬物療法が効果があると考える理由は、刺激への敏感さというものは、脳内の伝達物質のアンバランスでも起こることがあるからです。それを整える意味でも薬物療法を行い、過敏さを少しでも軽減し、その後、「症状があっても少しずつ目の前のやるべき行動をとりましょう」といったような精神療法を行ないます。

また化学物質や電磁波は取り除こうとしても、この世の至るところにあるため完全には取り除けないものと捉えます。そして、取り除こうと思うからこそ、それにとらわれた生活になってしまうと考えます。化学物質や電磁波に過敏になっているということは、人一倍健康を求めている方なのでしょう。少しでも健康な生活を送るには、化学物質や電磁波が気になりながらも、自分の以前好きだったことなどを再開するなど、生活を豊かにすることを考えることです。

しかし、患者さんご本人が病院に行きたくない場合もあります。そのような場合は、まず御家族だけが精神科に行き相談することもできます。保険適応外ですが、具体的な症状を話し専門医に相談することができる衛生相談という制度がありますので、病院または近くのクリニックで尋ねてみて下さい。
(石山菜奈子)

「今の状態に合わせてやっていく」 '14.8 

Nさんは大学生の頃に強迫性障害の診断を受け、薬物療法を行ないながら就職したものの症状で休職せざるを得なかったとのこと。その後森田療法に出会い(環境の変化などストレスがかかると確認が多くなる日もあるものの)薬もない状態で「普通に」働くことが出来ていたとのこと。今回出産のために里帰りして、お腹が大きいことによるストレスやこれからの不安、慣れない実家暮らしなどもあり、小さなことにクヨクヨしたりイライラしやすかったりする自分が嫌で情けないとのことです。

妊娠中はホルモンの影響を受けて情緒不安定になったり気分が落ち込みやすくなったりするものです。出産や育児に対する不安、体調の変化や身体的な大きな変化への戸惑い・思うように動けないもどかしさ、不眠や腰痛、肩こり、足のむくみなどイライラする要素は山のようにあります。このような様々な変化があるにもかかわらず、妊娠する前と同じような生活をしようとしていませんか?

今現在何に困っているかを整理することも大事なことです。一人で考えるのは難しく、気持ちが不安定であれば、保健婦さんに相談してカウンセラーを紹介してもらい、気持ちを整理していくのも良いかと思います。 また、産後はなかなか自分のことが出来なくなると思いますので、今出来ることをやっておくように考えてやってみるのも一案です。そうすることで妊婦さんの今を楽しむことにも繋がります。動けるのであれば出かけたり、例えば妊婦さんの集まりに参加したりするのも良いと思います。
楽しみでもあり大変でもあると思いますが、妊娠している今の状態がずっと続くわけではありません。頑張って下さい。
(矢野勝治)

「感じることから」 '14.7 

Nさんは小学3年生のころから強迫神経症に悩まされているとのこと。強迫行為をしないようにと思うけれども、勇気が出ないとのことでした。35年ほど、人生の2/3以上を、自分の中の納まり(縁起)を気にしながら生活されてきているわけですから、ちょっとやそっとのことでは手放せないのは当然ではないかと思います。勇気というか、とんでもない力に突き動かされない限り飛び込めないくらいに怖いことではないでしょうか。

今回、強迫行為を手放したいと思われたのはどうしてだったのでしょう?現在の生活で実際に困られていることはどんなことなのでしょう?勇気を培うには、強迫行為を優先する中でNさんが感じる不便さや、抱く感情をじっくり感じつくすことが第一のように思います。自分がうまく行こうとして、いったいこれまで何を犠牲にしてきたのか。ほどよい依存、おまじないはいいかもしれない。しかし、おまじないにすべてをささげる人生でいいのか。暑い日に遠回りをする時に感じる身体の疲れ、むなしさ、何をやっているんだという気持ち?それをじわじわと具体的に感じつくすことです。ああ、本当に嫌だと思った時、これ以上同じ馬鹿なことは繰り返したくないと思った時、それを本当に実感できた時に、ようやくちょっとやり方を変えてみようという気持ちの量が大きくなるということのように思います。

森田先生はとにかく抽象的にではなく、具体的に考えろという風におっしゃっています。自分が恐れている「嫌なこと」とはどんなことなのか。仕事をなくすことなのか、お金が無くなることなのか、出かけた時に雨に降られることなのか。「眠れない」とどんなことが嫌なのか?仕事でミスをすることか。それはどんなミスか。これまで何回そのミスをしたことがあるのか。1つずつ事実を考えていけば、空想でありながらも、筋道がたって、つかまりどころのない不安とは違った心持ちで、心も落ち着いてくると森田先生は語られています。

Xさんはどんな風に乗り越えてこられたか、それがどんな風かを書いてくださっていますね。こうやって克服されてきた方がいるというのは一番の励みになることかなとも思います。
(今村祐子)

「苦痛になりきる」「物そのものになりきること」 '14.6 

Tさん、中期・長期的には強迫神経症との付き合い方がわかってきて良かったですね。しかし日記16日目 短期のときに強迫観念を受け流せないとあります。症状でお辛いとは思いますが、これはやはりどこかで強迫の症状を流したい、あるいはなくしたいという気持ちがあるからではないでしょうか。

森田は形外会で「苦痛が瞬間になり、あるいはその場限りで直ちに忘れてしまうという風であれば、詮じつめればこれが心頭滅却という事になり、苦痛という意識が消滅してしまうという風になるのあります。心頭滅却とはなんの工夫も手だても全く尽きて、苦痛そのものになりきることである。(中略)治療で最も大切なのは、このなりきるということが最も大切なる条件になっている。」と述べています。

強迫観念で悩み森田の治療を受けた倉田百三は、治療が終わった後形外会で「私がまだ強迫観念の盛んであった頃に、私は自発的に感想が起こらず創作力がなくて、書くのは心にやましいから書かないといったところが、森田先生から、できてもできなくてもよいから、なんでも書きさえすればよいといわれて書いたのです。いま見るとその時に書いたのがかえってよくできている。今度『冬うぐひす』というのを出版するが、非常にそれが自分に気に行ったのであります。」と述べています。

Tさん、お辛いとは思いますが、強迫観念を短期的にいかに受け流すかを考えるのではなくその瞬間瞬間大事な事に没頭することが活路を開く道かなと思います。森田はまた、「物そのもにになりきること」と説いています。例を上げていて「会社で課長になりたいと思う人は、まず現在の自分の仕事は、どういう意味があるかということをよく考えてそれに全力を尽くせば、おのずから早く出世ができるようになる。いたずらに課長になろうとする野心があると、その仕事はかえって不忠実になって、出世ができないようになる。」と言っています。ですから強迫観念を受け流す方法を探るのでなくその瞬間のことにいかに集中(なりきる)することが大事と思います。倉田百三を糧に粘ってみて下さい。
(舘野歩)

「場の雰囲気は一人でどうにかなるものではない」 '14.5 

Cさんは以前大学のグループ活動の際に緊張して顔がこわばってしまってうまく話せなかったという経験から、人と話すときに「また緊張して顔がこわばってしまったらどうしよう」と不安を感じて困っていらっしゃいます。

殆ど初対面の人と話す時は、相手がどんな人なのかよく分からないし、とても緊張するものですね。そんなときに顔がこわばること自体は人間の自然な反応で、変なことではなく、「顔がこわばってはいけない」ということはありません。また、Cさんは「自分の顔がこわばって、場の雰囲気が悪くなったらどうしよう、友達との関係が崩れてしまったら…」と考えていらっしゃるように、他者との関係をとても大切にされているようですね。それだけに「自分のせいで…」とより強く考えてしまうのでしょう。

森田療法での治療目標は「あるがまま」とよくいいますね。このあるがままには大きく2つの意味があります。1つは不安や症状をなくそうとせずにそのままにしておく、ということです。しかし、気になるものをただ何もせずにそのままにしておく、というのはかなり難しいものです。あるがままのもう1つの意味は「〜したい」という向上発展の希求を建設的な行動に発揮していくことです。Cさんの「〜したい」は「場の雰囲気を悪くしたくない、友達と良好な関係を築いていたい」ということだと思います。しかし、場の雰囲気や友人関係は他者が関係するものです。つまり、Cさんがどんなに努力をしても、雰囲気や友人関係は悪くなることもあれば、何もしなくても勝手に良くなることもあるもので、100%はコントロール出来ないというのも事実です。ですから、Cさんが出来ることとして、まずは、場にとどまって「顔がこわばったまま」でもよいから、話している人が「どんなことを伝えたいのか」に一生懸命注意を注いでいきましょう。何かに一生懸命になっているときは、他のことに気を取られている余裕はなくなってくるはずです。是非とも頑張ってくださいね。
(谷井一夫)

「下を堂々と向いてよい」 '14.4 

こんにちはMさん。Mさんは長年、視線恐怖に悩まれているようですね。しかし、視線恐怖の中であっても、結果的に大学へ進学されたという事実は、Mさんの並々ならぬ努力の証であると考えます。
ところで、最近就職活動の際、「人の目をよく見て話すように」などと就活セミナーでアドバイスされることが多いようですが、それは本当に正しいのか、私としては多少疑問に感じてしまいます。というのも、目を見て話すことが強調される余り、業務の内容をきちんと伝えるなどの本来の行動が後手に回ってしまう恐れがあるからです。それに「目を見て話すように」という指示には、「相手の目を片時も離さず見つめなさい」などいう不文律が隠されているようにも思うからです。これでは、Mさんのような症状をお持ちの患者さんは皆、「凝視することが会話の全てである」などと「とらわれ」を強めかねません。

でも、このような標語のようなアドバイスを受けた時は、必ず話半分で聞き流すことも大切にしていってください。神経質性格の方は、このような標語を真に受けて100パーセント鵜呑みにする傾向が強いように思うからです。むしろ重要なのは、相手の話に耳を傾け、その上で必要な内容を伝えることであって、視線を逸らさないことではありません。そして、この点はMさんが対人恐怖症の治療を行う上で、最大の取り組みであると考えていただければと思います。

さらに、最近私は、外来で視線恐怖の患者さんの治療の際、「堂々と下を向くように」と伝えています。視線を合わせることが苦手であるとしたら、その事実をまず踏まえた行動を考える必要があります。視線恐怖が自分の弱点だからといって、むきになって視線で相手と張り合ってはいけません。むしろ視線を逸らしながら、おどおどと会食に参加し、最初は聞き役に徹することをまず心がけていきましょう。  最後に、今はそう思えないでしょうが、相手はMさんの視線を見てはいません、かならず不器用であっても一生懸命に話そうとする姿を見ているということを忘れないでください。今は大変な中でしょうが、少しずつ生活が広がっていくことを願っています。
(樋之口潤一郎)

「重度の対人恐怖と将来の不安」 '14.3 

Mさんは「重度の対人恐怖で、妹と母以外会話できる人がいません」「このまま対人恐怖が治らなくて親がなくなったら、どうすればいいのでしょうか?」と書き込んでおられます。おつらい状態ですね。
「症状がひどく外に出てしまい、その症状のことで人に悪口を言われいじめられるので、余計対人恐怖がひどくなってしまいました」とのこと。もしかしたらほかの人の反応に過敏になっているところもあるのかもしれませんね。その場合は、医療機関に受診し、お薬を服用することで過敏さが和らぐ可能性もあります。
今の時点で外に出ることがどうしても難しければ、まず家での生活をよりふくらませる、と考えてみましょう。生活というのは、人と関わることがすべてではないもの。規則正しい生活をする、まずは起きて身支度を整えることから始めらるなど。

そして家事の手伝いなど、できるだけ手を動かすことをしていきましょう。資格の勉強や趣味をやってみるのもいいでしょう。そこから、興味を持てるものが見つかってきたら、しめたもの。
人と関わるという形でなくても外に出ることは続けられるといいと思います。人混みがつらいようだったら、自然の多い公園などの散歩から。とくに、日中日の光を浴びて歩くことは、身体のリズムを整える上でも有効です。

そこから、少しずつ買い物などの用事が果たせるようになっていけるといいですね。そのときに、うつむきがちになってもいいのです。視線をコントロールしようとするのでなく、用件を伝えることを、目的(=必要なものを買うこと)を果たすことを目指しましょう。
ひきこもりの状態にある人にとって、将来の不安というのは大きなこと。そのことを不安に思っている、ということは、ご家族とも率直に話せるといいですね。また、通院中であれば病院のソーシャルワーカーさんに相談したり、保健所や市役所、精神保健福祉センターなどで活用し得る社会資源について教えてもらう、という方法もあります。
現実的な相談をすること、今できることを一歩ずつ取り組むことの両方で、一歩ずつ克服して行ってください。
(塩路理恵子)

「事実をありのままに見る」 '14.2 

CRさんは、「ダメな自分を受け入れ、前に進みたい」といったテーマで書き込まれていました。CRさんは、小さい頃から内気な性格に悩んでいましたが、結婚を機に転職をしたものの、仕事についていかれず、結局2か月で解雇になってしまい、後悔や罪悪感、自分への情けなさなどを整理できないとのことでした。しかし、「森田療法を通して、自己理解や過去の振り返りが出来るようになり、対人緊張の症状やその背後にある性格傾向などを学びました」と書かれていることからも、とても向上心があり、自分と真摯に向き合おうとする方と推察します。しかし同時に、書き込みのテーマを見てもわかるように、「ダメな自分を受け入れ・・・」という姿勢が、もしかしたらCRさんの辛さに繋がっているのかもしれない、とも感じました。

確かに、成長するためにはまず自分自身を知ることが大切です。とはいえXさんも「神経質さんは、どうしても悪い点や弱い点を見つけてしまいますが、隠された良い点は無限にありますよ」とコメントしているように、ダメな自分だけを見つけて、それを克服しなければならない、あるいは受けとめられる自分にならならければならない、と考えれば、とても難しい課題を自分に強いることになってしまいます。実際、CRさんも「欠点探しでへとへと」だったと書き込まれていますね。反省とは「自分の良くなかった点を認めて、改めようと考えること」であり、一方自責とは「自分で自分の過ちをとがめること」です。CRさんの場合は、自らを振り返ろうとしつつ、それが「自責」になってしまったり、ダメな自分も納得して受け入れなければならないと考えて、苦しくなったのではないでしょうか。

自分自身を知ることは、ダメな自分だけを知ることではありません。出来ているところや良いところも両方知ることによって、より良く生きるために、今、そしてこれからどうしたら良いかを工夫することが出来るのです。まさに、ありのままの自分を事実に即して知るということですね。その際には、当然ダメな自分に落胆したり、嫌な気分も味わいます。しかしそう感じることもまた事実であり、それをどうこうする必要はないのです。良いこともそうでないことも、単に事実として認めることが「あるがまま」であり、あえて「受け入れよう」と力む必要はありません。

そして何より重要なことは、そこでわかった事実をこれからに生かすということです。そのためにも、これから自分がどんなことをしたいのか、折角出来た新たな家族と共に、どんな生活がしたいのかを具体的に考えてみたらいかがでしょうか。仕事も、生活も、自分を整えてから取り組むものではありません。日々の生活を送る中で、また自分が望む生活を手に入れるために、今の自分なりに出来ることを行い、その中で陥りやすい自分の考え方や癖を振り返り微修正をしていけば良いのです。

長所も短所もあるのが人間です。今出来ることを積み重ねていくことで、色々な自分も自分らしさとして受けとめられるようになると思います。少し肩の力を抜いて、折角持っている向上心を自己成長に生かしていただければと思います。
(久保田幹子)

「健康に生きたい気持ちを生かしてください」 '14.1 

放射能の事が心配だとの事、とてもよく理解できます。特にAさんは転居もなさったんですね。放射能が恐い中、転居という困難を乗り越えるエネルギーがAさんにはありますね。
ただ、放射能を避けようとするあまり、生活の質が落ちているのが気になります。放射能への不安の裏には、Aさんの長生きしたいという健康な願望が存在しています。しかしAさんは放射能による影響を恐れるあまり、自宅でひきこもり状態というような自らを病気にしてしまっているような印象です。放射能への不安は恐らく消す事は難しいでしょう。しかしどう行動するかはAさん次第です。放射能を恐れるあまり病人のように引きこもりがちになっている自分の生活を見直して、不安と共に外に出てみてください。放射能は目に見えないので確かに恐ろしいものに違いありません。でも自然に生きる植物や動物たちはその中で生きています。Aさんも外に出て依然として美しい自然を観察してみてください。そのうちにAさんの中に存在する自然治癒力もよみがえってくるでしょう。

さて強迫行為を落ち着かせるにはどうしたらいいか。これは今まで森田療法家の先生方がアドバイスしている通りなのですが、すっきりするまで強迫行為を行わない事です。強迫行為は行えば行うほど、きりがなく不安になるものです。強迫観念をそのままにして、まずAさんのやるべきことをやることです。そのために、一つの指標となるのは時間です。例えば、衣類のことでも夕方から徹夜するまでやるのではなく、時間を決めて強迫行為をうち切り、自分の好きなTVを観る、その後睡眠を取るなど次の行動に移してみることです。初めはTVを観ても集中できず楽しめないかもしれません。しかし繰り返していくうちに気になりながらも楽しんでいる瞬間があるなど変化が出てきます。そういった僅かな変化を大切にしてください。放射能に悩む前にしていた自分の好きな事を思い返してやってみることも良いと思います。これがAさんの生活の質を改善し、「健康に生きたい」というAさんの思いを実現する事になるでしょう。
(石山菜奈子)

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