症状別アドバイス集

不安神経症の部屋

「解決は自宅にいることにあらず」 '09.12

こんにちは、Hさん。現在、孤独な悪循環に陥っているとのこと、これはとても辛い状況であると感じます。元来過剰適応な面があると述べていますが、どのような点で過剰適応になってしまうのでしょうか?例えば、仕事を覚えようと一生懸命になっているのでしょうか?それとも現在の住環境に対し早く慣れようと無理をしているのでしょうか?

ただどちらにしても、ここ最近のHさんは「早く何とかしよう」という思いから焦りを募らせていたように見受けられます。そして、適わぬ現実に対して無力感を覚え、却って孤独感を強めておられるのだと思います。ところで、現在どちらかの医療機関にはおかかりでしょうか?

私自身一つ心配するのは、Hさんがうつ病にかかられていないかどうかということです。うつ病であれば、適切な服薬や休息が急務になります。その点を専門家の立場から見立てていただく必要があると思います。しかし、うつ状態がある程度回復した状態、もしくは神経症の病態であれば、Hさんの生活に動きを与えることがとても重要なように感じました。自室にこもってしまうとどうしても自分のことにのみ関心が向いてしまいます。当然頭の中で解決策ばかりが思案され、行動することが二の次三の次になってしまいます。人は心の解決を急ぐとどうしても体の健康をおざなりにしてしまう傾向があるのです。ですから、ここで大切なのは、心の解決にとらわれがちな目を外の生活に転ずることです。

まずなんといっても体力の回復を図ることでしょう。疲れない程度の外出やちょっとした運動は、Hさんの心を快活にさせてくれるはずです。森田先生は、心身の回復のために作業がとても大切だと述べておられます。おそらく、心の回復のためには健康な体作りが大切であることを、森田先生は暗に述べられていたのかもしれません。はじめは「面倒」という感覚に挫けそうになるかもしれません。けれども、Hさんの生活に少しずつ動きがでることを願っています。

(樋之口潤一郎)

「パニック障害の症状の再燃について」 '09.11

Sさんは、5年間のパニック障害の治療を終えて半年たち、動悸、発汗、胃痛やふらつきなどの症状が出てしまい、「最悪の瞬間の対処法」を求めて書き込みをされています。ご自身で「このままでは」と思い切って散歩に行き、その後Mさんのアドバイスで主治医の先生を受診し、気が楽になったとのことです。

パニック障害に限りませんが、良い経過のあとに、ふいに症状に襲われると、「元に戻ってしまった」とショックを受け、落胆してしまう方が多いようです。長い苦しみを抜けて、「このいい状態を保ちたい」と願えばこその、自然な気持ちですね。ここで大切なのは、積み木が崩れてしまったかのように、「元に戻ってしまった」と捉えるのではなく、「今、調子が悪いんだな」と事実をそのままに見ること(不安で膨らませてしまうのでなく)、そして「これも長いプロセスの一部なのだな」と捉えることだと思います。ゆるやかに回りながら登っていくらせん階段をイメージしてみるのも良いと思います。

そして大切なのは、「慌てない」というMさんのアドバイスにもあるように、不安の波が収まっていくのを「待つ」ことです。
森田先生も「一波をもって一波を消さんと欲す、千波万漂交々起こる」と言っておられますね。心の水面に起こった波を消そうとして別の小石を投げ込めば、ざわざわと波立つばかり。波を静めようと思ったらそのままじっと見つめているしかないのですね。

更に、もしも今回もう一度「どこかで無理が掛かっていなかったか」など自分の生活を振り返り、再度無理のない生活態度に修正できればその後の再発予防や、健康な生活を送っていくことに役立てることもできるわけです。無駄な経験というのはないものです。

受診するまで「お薬に頼ることに挫折感を持っていた」けれども、「自分の力で対応しきれないときは薬の力を借りてもいいのかと気持ちが楽になりました」とのこと。森田療法では薬は補助的なものとして位置づけています。薬は、あくまでも杖、歩いているのは自分自身。上手に薬も味方につけて、一歩を進めていきましょう。

(塩路理恵子)

「どんな生活が送りたいのかを具体的に考える」 '09.10

Bさんは、8年前から不整脈、動悸、めまい、不安・緊張感などの症状に悩みつつ、御両親の介護をしていらっしゃいました。御両親も他界され、「やっと自分自身を見つめなおす時間ができた。薬を飲んでいれば不安を抑えることは出来るが、根本的に改善されないので悩んでいる」と書かれています。

様々な症状がありながらも、長年、御両親の闘病・介護をされたことは本当に立派だったと思います。「この8年間は自分の事が考えられなかった」というBさんは、御両親のことをまず第一に過ごされてきたのだと思います。御両親を見送られた後、一人でいると調子が悪くなるということですが、それだけ御両親のお世話は、Bさんにとって大変であると同時に、大きな支えでもあったのでしょう。現在の症状は不安感、緊張感ということですが、それはどんな時に、どのように不安・緊張感を感じるのでしょうか。漠然とした不安・緊張感なのか、あるいは一人でいることが不安なのでしょうか?

具体的な症状はわかりませんが、今の状態から脱出するヒントは、案外これまでの介護生活の中にあるかもしれません。というのも、この8年間は、お薬は飲みながらですが、ある意味「症状はありながらも、必要な行動(介護)をする」といった森田的な姿勢が取れていたと言えるからです。自分のことよりも御両親のこと、症状のことよりも目前の行動・・・と、注意が外に向いていた時があったのではないでしょうか?御両親のために・・・という目的が無くなって、これまでのように不安を脇に置くことが出来なくなり、調子が悪くなっているのかもしれません。もしそうだとしたら、御両親と過ごされていた時のどんな時に症状が比較的軽かったのか、あるいはあまり感じなかったのかを振り返ることも一つの方法でしょう。

先に述べたように、Bさんは「やっと自分自身を見つめなおす時間が出来た」と書き込まれています。8年前に過労や極度のストレスで倒れたと記載されていましたが、御両親への対応から考えても、きっと頑張りやさんのところがあるのだと思います。そうした面は、症状を生み出すものであったと同時に、御両親の介護をやり通すパワーにもなったはず。今度はそれを自分のために生かす番です。人のために・・・ではなく、自分自身のためにどのように生かすかを考える時機と言えるでしょう。それには、これから自分がどんな生活をしたいのか、自分がやってみたいこと、楽しいと思うこと、などを具体的に考えてみたらどうでしょうか。その際に、日記などをつけてみるのも一つの方法です。日記をつけることによって、自分の行動、気持ちなど自分自身を具体的に知ることが出来ます。これまで人のために・・・と頑張ってきただけに、案外自分のことは置き去りにしてきたかもしれませんから、日記で自分を振り返ることによって、隠れていた自分の欲求や願望に気づくかもしれません。どんな小さなことでも良いのです。今度はそれに向かって、不安はありつつも行動に移してみましょう。これまでとは違う、自分のための人生を生きていくのです。薬はしばらく補助輪として使いながら、自分の望む生活に一歩踏み出してみましょう。8年間頑張ってきたBさんですから、きっと出来ると思いますよ。

(久保田幹子)

「フワフワクラクラ運転する」 '09.9

Yさんは、恐る恐る御主人の代わりに運転された体験を書き込まれました。「たった3キロ位の距離なのに、フワフワクラクラで、どうしようもなく、何回か止まりました。もう、あんなに怖いと、次に運転に自信がありません・・・・。」それに対して、いくつもの応援メッセージが届きましたが、それらを拝見するうち私にも一つ勉強になったことがあります。

パニック障害から発展した乗り物恐怖は、電車やバスなど公共の交通機関が多いといわれており、私の臨床経験からもそう思っていました。これらの交通機関ですと、具合が悪くなったとき、すぐに降車することが難しく、特に各駅停車より急行や特急など次の停車駅までの間隔が長い電車で、不安がつのってくるという人が多いようです。他方、車やバイクなどを自分で運転する場合は、いつでも停車できるので比較的安心だという話を何度か聞いたことがあります。けれども、Yさんや他の方々の報告を見て、「運転恐怖」に悩んでいる方が予想以上に多いことを知りました。

パニック発作には、卒倒したりコントロールを失うことへの強い恐怖感を伴うことがしばしばあります。たしかに自分で運転していて、実際に気を失ったりしたら、大変なことになってしまいますね。けれども、実際にはパニック発作によって、意識を失ったり、コントロールをなくしてしまうことはありません。パニック症状に悩み、このフォーラムをご覧のすべての方に、先ずこの事実を知っていただきたいのです。

「そうだとはわかっているけれど、どうしても怖い」という方もいらっしゃるでしょうね。そんな方にお伝えしたいのは、予期不安、つまりパニック発作が起こるのではないかという恐怖感が曲者で、それが行動を妨げているということです。Yさんは「フワフワクラクラ」と記されましたが、このような浮動感は自律神経の緊張の現われです。つまり、また発作が起こるのではないかという不安に伴って自律神経も緊張する結果、こうした身体感覚が起こってくるのであって、それは危険な症状=気を失う前兆とは異なるのです。にもかかわらず、このような予期不安に伴う感覚が生じると、もうパニック発作が始まったと早合点したり、あるいは卒倒→事故といった恐ろしい事態を予測して、行動を中断してしまう方が少なくないのです。乗り物恐怖など,パニック症状に伴う様々な行動の制限は、このようにして生じてくるのです。

では、どうしたらいいでしょうか?答えは既にYさんが実行したことの中にあります。「そんなん言うんやったら、あなたが運転したら!!!」と、思わず言い返したとはいうものの、結局は御主人に飲酒運転はさせず、何回か止まりながらも、法定速度以下であっても、自宅まで運転されたのでしたね。なせばなる!です。なるべく間をあけず、次の機会にも,このときのように「フワフワクラクラ」しながら、運転してみましょう。回数を重ねるうちに、「フワフワクラクラ」の正体が実感として分かってくるはず。「幽霊の正体見たり、枯れ尾花」です。ただし、慣れてきてもスロードライブは忘れずに。今やエコの時代ですから。

(中村 敬)

「生活を大きく変えることの重要性」 '09.8

Kさん、ようこそこのホームページへいらっしゃいました。子どもの頃からずっとお悩みでさぞかしお辛かったでしょう。全般性不安障害に対する対処をお知りにならなかった分、ご自身を責めてしまっていたようですね。このホームページで似たような症状の方の文章をお読みになると同じような症状でお悩みの方はご自身だけではないことがおわかりになると思います。そんな中、生活を大きく変えてみたとのこと、とても良かったのではないのでしょうか。

不安障害(神経症)で悩んでいると、自分は欠点を持っていると思い、自分を責めがちです。しかし森田療法では、悩むからにはそこには健康でありたい欲求が過大であるからと考えます。Kさんは「この症状から脱したいと強く思っていた」という言葉にそれが表れています。ただ、症状から脱したいために何か行動をするのでは、森田先生のおっしゃるように「症状測定器」になってしまいますのでご注意を。この症状から脱したい気持ちを大事に、Kさんの「したい」ことへ行動を移してみましょう。

(舘野 歩)

「出来る事と出来ない事を分ける」 '09.7

Kお子様が友達と喧嘩をされたことをきっかけに、Kさんご自身が色々心配になって何も手につかなくなってしまって、困っていらっしゃるようですね。お子様の事ですから、さぞかしご心配の事と思います。分かる範囲ではありますが、いくつかコメントさせていただきます。

お子様の事で、親として介入しなくてはならない事ももちろんあると思います。ただ、Kさん自身が気付かれているように、お子様にとっては皆と喧嘩したり、仲直りしたりすることも大切な勉強ですよね。そうであるならば、親が色々と悩んでも、お子様にしかどうにもならない事もあるのでしょう。

大切な事はKさんが今、何が出来る事で、何が出来ない事なのかを分ける事なのではないでしょうか。出来ないところにエネルギーを注ぐのではなく、出来る事に目を向けて、手をつけていく事が不安の渦から抜け出すきっかけになってくれると思います。行動するときに「やるべきところはやる」という気持ちにならなくてもいいのです。「子供の事が心配だな」と不安のままに現実的な行動に手をつけてみてはいかがでしょうか。気分を変えてから行動するのではなく、行動しているうちに気分は変わってくるものです。是非、頑張ってみてください。

(谷井一夫)

「不安を抱える態度の醸成」 '09.6

Yさん、 Mさん、MKさん、Tさん、こんにちは。皆さん、それぞれの不安を抱えながら日々、奮闘されている様子が文章から伝わってきます。今回はそうした“不安”に対する森田療法の考え方を皆さんと一緒におさらいすることにしましょう。

まず、森田療法では不安を除去しなければならない自己の異物とはとらえません。我々が“より良く生きたい”と願う希望(欲望)が存在するならば、“そうならなかったらどうしよう”という不安は必然的に生じるものと考えます。つまりは希望(欲望)も不安もどちらも等身大の自己の在り様と考えられるのです。ですから、我々にとって苦痛の種である不安を取り除こうとする態度ではなく、不安は不安として認識、受容し、そして抱えながら、希望(欲望)を生成発展することを旨とします。

こうした“不安を抱える態度”を醸成するには、森田正馬先生の“感情の法則”が多いに役立ちます。皆さんもご存知のように、不安は未来永劫、続くものではなく、時間とともに少しずつではあっても必ず減衰していくものなのです。ですから、生じた不安に慌てふためくのではなく、ぐっと不安を抱えていく態度が大事になるのです。このときにただ座して不安を抱えるのではなく、“不安を抱えながら目の前の必要なかかわりに手を出していくこと”が大事になってきます。こうした不安を抱えながら、目の前のことに手を出していくことを目的本位と表現します。

こうした行動をとるにしたがって、自然と不安はどこかにいっていることでしょう。皆さんいかがでしょうか?
こうした森田療法の不安に対する考え方は、我々人間が“不安を抱えながら生きていくこと”を可能にしてくれます。森田療法に出会う以前は、“不安”を除去しなければならない対象として格闘していたのではないでしょうか?そうした苦痛は大変なもので、なかなか出口が見えずに絶望的になった方もいらっしゃることでしょう。森田療法は常に我々人間が少しずつではあっても生成発展することを可能にする視座を与えてくれます。

(川上正憲)

「人前での緊張」 '09.5

Wさんが人前での緊張や人の視線に悩んでいます。人混みが苦手で緊張から冷汗や動悸や頻尿が生じてしまうとのことです。映画館で上映中に席を立っては、周りの人に迷惑がかかると考えたり、周りに変に思われないかを気にしたり、緊張時に手が震えると格好悪い、堂々としていなければ行けないと考えているのではないでしょうか。

不安や緊張が高じると人はみな、心臓が活発に働き、呼吸の回数は増え、交感神経の関係で手足が震え汗をかくようになっています。しかしWさんは、そのような身体の症状が出現することを変だと思い、面接の場で過剰に緊張を気にすることを駄目だと考えてしまいます。緊張してはいけない、緊張から逃げたいと思えば思うほど緊張感は増していきます。けれども緊張とつきあうしかないと覚悟を決めれば、緊張に伴う身体症状は流動し、変化することを体験できます。

そんななかでもWさんは最近畑仕事やウォーキングを行っています。畑仕事をやる前は「そんなことしていてもつまらない」と思ったとの事ですが、やって楽しさもわかってきたとの事で、最近では隣の畑の人にも挨拶したとのこと。相手の反応に対しても気分に流されずに前向きに頑張ろうとしています。

森田療法センターでも入院患者さん達が畑を作っています。春には苺を収穫し、先週はジャガイモを収穫・調理していました。植物は自分で手をかけないと立派に育たない一方で手がけた分育ってくれますね。 ウォーキングも行なっていると思いがけず人との交流があったりしますね。文章からはWさんが不安や恐怖をバロメーターにせず前向きに楽しんでいる様子が伝わってきます。その調子です。頑張って下さい。

(矢野勝治)

フォーラムで『あやかる』『つられる』'09.4

いつもながら、いやいつも以上にこの部屋のやりとりは活発です。そこで、やり取りをお読みして、感じたこと、少し付け加えることをお書きしたいと思います。

Mさんの「今日は久しぶりに最悪で症状がつらくて最後まで踏ん張れなかった」という書き込みにuemyさんがご自身の体験を踏まえて「お気持ち、わかります!」と共感し「今答えを急がないで」とアドバイスされ、MAさんのアドバイスがそれに続いています。フォーラムならではのやりとりですね。

フォーラムや身近な人で「いいな」と思う人に接し素直に「あやかる」ことは、回復への動きにつながります。森田先生も「あやかるとは、うらやましくて、その人のようになりたいと思い、その人の謦咳(けいがい)にでも接することである」と書いておられます。

「行動本位」が大切と十分理解はしていても、「行動するべき」という自分の意思だけで動き出すのは本当に難しいこと。そうしたとき、身近な人の動きや、あるいはフォーラムの先輩の動きに触れてみると案外「つられて」行動に入れるものです。ダンスのステップなどでも自分の頭で考えている時はこんがらがってしまうものが、先生と一緒に体を動かしてみると自然に踊れてしまうようなこともありますよね。

また、MさんやUさん、Nさん、Wさん・・皆さんの書き込みにこれだけのレスポンスやアドバイスがあるのは、具体的に、うまくいかなかったことも含めて正直に書き込まれているからだと思います。「正しい取り組みを書かなければならない」「行動したことを書かなければならない」「我慢して頑張らねばならない」と構えてしまうと、悩みを抽象的にしてしまい、相手にも伝わらない、自分でもどこから取り組んでいいかわからず圧倒されるようになってしまいます。具体的に、正直に書くということは、「人に知られたら恥ずかしい」という構えを超えて、「よくなりたい」という気持ちを生かすことにもつながっていくことでしょう。

Uさんの「あるがままがまだまだ」という表題、響きもよくてなんだか気に入ってしまいました。「あるがまま」、柔らかい言葉ですが「こういうことかな」とわかったように思っても、また何日か経つと「あれ・・」とわからなくなって。そんな繰り返しの中ですとん、と見えてくるのが「花は紅、柳は緑」なのでしょうね。

(塩路理恵子)

「短気は損気。喜びや楽しさは、後からじんわり出てくるもの」'09.3

Nさんはパニック発作に悩んでいらっしゃいますが、それに加えて、結婚や仕事など将来のことや新しいことに対する不安との付き合い方にも悩んでいらっしゃるようです。保障されていない将来、先が見えない未来というのは、やはり不安ですよね。誰しも、傷つきたくないし、失敗はしたくないと思うものです。これは、人間が持っている本能的なものかもしれませんが、それだけ安全を求めているということでしょう。こうした思い(不安)が強いということは、言い換えれば、それだけ「幸せになりたい!」という欲求が強いということです。

これは、生きていく上でとても大切なパワーと言えます。ただし、100%の安全を確保しようとするあまり、0.1%の危険性も排除しようとしたら・・・?おそらく、どれもこれも不安で身動きがとれなくなってしまうでしょう。パワーが一転して、ブレーキになってしまうのです。

人は、何か行動に移すとき、それに対する見返りを期待するものです。特に努力が必要なものであればあるほど、また求めるものが大きければ大きいほど、目に見える形で成果を期待します。これは自然な心でもありますが、そこにちょっとした落とし穴があるのです。期待をして思うような結果が得られなければ、当然落胆する・・・その「思うような」のところが落とし穴の入口です。つまり、判断するタイミングが早すぎたり、“理想"がいつの間にか“当然"になってしまう・・・という落とし穴です。

Nさんも、不安だから早く結果が欲しい、辛い思いをした(する)のだから、それ相応の成果が欲しい、と急いでいるところはないでしょうか?文面からは、何とか手がかりを見つけようと努力している様子がうかがわれますが、いつも不全感や心もとなさが残ってしまって、果たしてこれでいいのだろうかと不安に思っておられるようです。

不安だから手がかりを得ようとする、その気持ちが、気づかないうちに結果を急ぐことになっているのかもしれません。あるいは、目に見えない何かを追いかけるあまり、足もとにある小さな変化や喜びはたわいないものとして流されてしまっているのかもしれません。じれったいでしょうが、結果が出るには時間が必要です。それが出る前に、意味がないと諦めてしまっては、可能性を自ら捨ててしまうことにもなりかねません。短気は損気・・・。あぶり出しを待つような気持で、何が経験できるのかをもう少し待ってみませんか?「結婚できるのか」「新しい仕事をやっていかれるのか」と不安に思うのも、すべて「幸せに暮らしたい」と思うからこそです。見えない将来の結果よりも、そこに続く道のりとして、「今」の生活の中で小さな喜びを探してみたらどうでしょうか。無理にチャレンジしようとか、頑張るのではなく、気力がないままに・・・。

そんな道のりを歩んでいく時に役立つのが日記です。不安神経症のグループでは、皆さんが日記をつけて共有していますが、これはとても良いことだと思います。自分の生活を振り返るだけでなく、他の人の日記を通して改めて気づくこともあると思うからです。ご自分の日記を、少し間をおいて読み返してみるのも良いでしょう。案外、あぶり出しのように、かつては思いもしなかったことをじんわりと感じるかもしれません。

(久保田幹子)

「不安の『モグラ叩き』から脱するには?」'09.2

Pさんは、「結婚してから、漠然とした不安、妻は幸せじゃないんじゃないか、私以外に好きな人がいるのではないか、会社で異動させられるんじゃないか、など、考え始めると何も手につかなくなってしまいました」。とあります。

Pさんは、日常生活で次から次へといろいろなことが心配になり、リラックスできない状態が続いておられるようですね。このように不安が特定のことに限られず、漠然と様々なことに広がっている状態は浮動性不安(自由に漂う不安)とか全般性不安と呼ばれます。こうした絶えざる心配に見舞われている人は、たいてい頭痛、頭のふらつき、肩こり、筋肉の緊張、発汗、脈拍の増加、浅い眠りなど身体のほうにも緊張が現れており、それだけに疲労感も自覚しやすいようです。生活を妨げるほどの強い心配が長期間にわたって持続する場合は、全般性不安障害(かつて不安神経症と呼んでいた病態のうち、不安が持続するタイプ)と診断されます。

全般性不安障害には、一般に抗不安薬やある種の抗うつ薬が有効です。このフォーラムは薬を中心に考える場でありませんが、薬でも何でも味方になるものは利用するという考えでよいと思います。その上で、Pさんが考えておられるように森田療法を学んで、事態を積極的に打開する手がかりをつかんでいただきたいと思います。

Pさんのように様々なことへ心配が広がっている人は、ともするとひとつひとつ不安になるたびに、その不安を解決しようと焦ることが多いのです。たとえば子供が交通事故に遭ったのではないかという心配に駆られて、度々学校に電話して無事を確かめていた患者さんもいました。しかし、浮動性不安(全般性不安)の特徴は、次々にいろいろなことに心配が移っていくことですから、一つの心配が解消したとしても、すぐ別のことが心配になってしまいます。ちょうど不安の「モグラ叩き」のような按配になり、しかもゲームと違って数分で終了するわけではありませんから、切りなく叩いているうちに疲れきってしまうのです。また、たとえば奥さんの気持ちを繰り返し問い質したりすれば、いくら夫に対して愛情豊かな奥さんでも時には少し苛立った態度を示すかもしれません。そのような苛立ちを見て、「妻は幸せではないのではないか」と一層心配になることだってあるかも知れません。このように不安のモグラ叩きをしているうちに、かえって不安をつのらせることが少なくないのです。

Pさん、こうした苦しい状態から脱するには、まず上記のような不安の性質をよく知り、「モグラ叩き」を止めてみることです。苦しくても、心配なことをすぐ確かめようとせずに、時間をおいてみましょう。
まともに相手にしなければ、不安はひとりでに流れていくものです。Pさんは「考え始めると何も手につかなくなってしまった」ということですね。このように、心配事について堂々巡りの考えに陥っているときは、たいてい行動が止まっているものです。対処のヒントはここにあります。堂々巡りに入っていると気づいたら立ち上がって、机の上の片付け、書類の整理、風呂掃除、なんでもいいので身を動かして行動してみましょう。この場合、なるべくテキパキと動いていくことがコツです。そうすれば、じっと考えに耽っているよりも、不安は早く流れていくことが実感できるでしょう。

さらに言うと、心配の種になるのは、普段大切に考えている事柄す。Pさんはきっと愛妻家なのでしょうね。それならば、その愛情を生かし、奥さんが喜びそうなことを積極的に実行に移してみてはいかがでしょう。何をすればいいか、それはPさんがよくご存知のはずです。

(中村 敬)

「あせらずに」'09.1

二ヶ月前から急激な食欲不振で三週間ほどご入院されたとはとても大変だったと思います。今どのくらい行動したらよいのかは本来は病気の種類や程度にもよりますし、担当医ともよく話し合うことが大事です。しかしそれでもうまくいかなくてここにかきこまれているかもしれないので書き込み文章からの範囲で少しでもお役に立てるようコメントいたします。

情報が少ないのでなんとも言えないのですが、退院後だるくて寝てばかりの日が続いてから「このままじゃ絶対にいや!!」と思えるようになってきたのはさながら入院森田療法での臥褥期から開けた患者さん彷彿とさせます。

そして少しずつ行動を広げようとしていらしたのになかなか思うようにいかず苛立ちが募っていられるのですね。確かに退院されたのに身の回りのことを家族にしてもらっていると内面的には前向きになっていても外から見られている状態(行動)は何も変わっていないと思いがちですね。しかしご家族のおっしゃるように「なんでもやれるような気分になっただけ進歩」と私も思います。

薬をもっと飲んだ方がよいのかどうかはやはり病気の種類や病気の程度にもよります。よりうつ(病気)としても要素が強ければ抗うつ薬の増量も有効でしょう。しかしもし病気というより生活の仕方が完全主義に陥っていて改善がスムーズにいかないのであれば薬の増量はあまり効果がないでしょう。

また色々自分のことをみつめて考えることばかりしているとますます内面のことへとらわれてしまいます。なるべく抽象的なことを考え悩むのではなく、具体的に悩むことが重要です。今まで色々試行錯誤されてきてうまくいかないと否定的に自分をとらえがちだと思いますが、その中にもSさんの「生の欲望」の実現の過程であるような気がします。今までやってきたことのマイナス面だけにとらわれずできたことをふまえた上でこれから「どうしていきたいのか?」を少しずつ具現化していっていただければと思います。

(舘野歩)

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