症状別アドバイス集

不安神経症の部屋

「恐怖突入とは?」 '11.12

Lさんは半年ほど前から、めまい・発汗・動悸などの身体症状に悩まされており、仕事は続けているものの予期不安や緊張感にさいなまれる辛い毎日でした。森田療法を勉強し、「恐怖突入」「あるがまま」を貫こうとしつつも、「気合いと根性で立ち向かうことに疲れてしまった」「自分の森田療法は間違っていたのでしょうか」と書き込まれています。
「恐怖突入」と聞くと、どうしても“あえて”恐怖に向き合う、あるいは恐怖を感じる場面にどんどん踏み込むといったイメージになりがちです。しかし、恐怖に向き合うことは、森田自身も明記しているようになかなか難しいものです。ましてや、“あえて”向き合おうとしたならば、身構えてしまうのも当然のことでしょう。

Lさんは「負けたくない」と、必死に毎日症状に向き合い、目的本位に行動しようと頑張ってきたようですが、怖いものと向き合うだけでは息切れがしてしまいますね。ご自身でも「会社へは行っていましたが、仕事半分、自己観察半分」「目的本位の意味を履き違えていたような気がします」とおっしゃっていますが、どこかで“治すため”(不安や症状が消えることを期待して)の恐怖突入になっていたのかもしれません。
私達にとって、不安や恐怖はどうしても受け入れがたいものです。恐怖心を払拭することは不可能なのであり、結局「怖いものは怖い」のです。森田は恐怖突入について、「いわゆる捨て身の心境」と述べていますが、これは恐怖を克服しようとするのではなく、恐怖に抗わずに(仕方ないとして)そのまま・・・の姿勢を意味します。とはいえ、「捨て身」の心境というのも、なろうとしてなれるものではありませんね。では、どのような心もちで行動したら良いのでしょうか。

森田療法では、不安(恐怖)と欲求は表裏一体と理解することは既にご存じだと思います。つまり、不安に思うのは、それだけ健康でありたいと願う気持ちが強いためです。しかし、健康でありたい、何とか治したいと思うと、どうしてもこの不安・恐怖の存在に目が向いてしまいます。こうした“とらわれ”から脱する術として「恐怖突入」があるわけですが、それが目的となってしまえば、結局また不安・恐怖中心の思考に陥ってしまい、折角の努力も水の泡となってしまいます。そうした事態を避けるために、まずは恐怖ではなく、欲求に視点を移してみたらいかがでしょうか。つまり、Lさんの「家族・娘を幸せにしたい」という気持ちをどのように生かすか?です。仕事をする、家族と会話をする、あるいは娘と一緒の時間を過ごす・・というように、ご自身の願いをかなえるための行動を考えてみるのです。それを実践する際に、当然不調な時、不安が強い時もあるでしょう。しかし、それはそれとして付き合いながら、その中で出来ることを探っていく。これが結局は「恐怖突入」に繋がるのです。つまり、あえて「恐怖」に突入するのではなく、願いをかなえる道のりに、不安や恐怖と付き合わなければならない場面があるということなのです。

12月は一年を振り返る時期であり、このフォーラムでもご自身の体験を振り返るコメントが多く寄せられていました。その中でLさんの半年間の振り返りはとても印象深いものでした。「自分の行動を振り返ると、全てが症状との闘いだった。症状に負けたくないから、逃げちゃいけないから・・」「自分の目的が大きくずれていた。仕事も症状を治すために行っていたよう」「本当の目的はお金を稼いで、家族を養うこと」「家族の喜ぶ顔がみたい」と。とても大切な気づきであり、着実に進歩していることが伺われます。まだ出来なかったり、挫折もあると書かれていますが、それもまた人間として自然なことです。「恐怖突入」「あるがまま」とは、それそのものを目的とするのではなく、Lさんのように健康な欲求や願いに目を向け、実践する中で体験することなのです。この方向で、試行錯誤を積み重ねて頂きたいと思います。

(久保田幹子)

「がんの再発や転移への恐怖」 '11.11

Mさん、乳がんの術後、抗がん剤などの治療を受けながら療養生活を送っていらっしゃるのですね。さぞご苦労の多い日々だと拝察します。
抗がん剤は種類によって副作用も異なりますが、食欲がなくなる、身体がだるく疲れやすいといった副作用は一般によくみられるようです。2回目の治療では初回に比べて副作用が弱かった分、病気の予後や再発・転移への恐れを強く感じて動悸が続いているとのことでしたね。

Mさん、念のため化学療法を実施している先生に、いま使っている抗がん剤の副作用として動悸が現れるかどうか尋ねてみてください。もしもそのような可能性が乏しいとすれば、やはりMさんがお考えのように、動悸は不安の現われなのでしょう。そこでMさんは「否定的なことを聞くとやはり不安が高くなります。どのように克服していくことができるでしょうか」と質問されています。

おそらく手術の前や初回の抗がん剤治療の前は、将来のことをあれこれ考えるよりも目前の治療に対する心配が先行していたのではないかと思います。それに対して2回目の治療では、およその副作用も体験されているために、抗がん剤そのものよりも、病気が今後どうなっていくかという先々のことに目が向き、不安が強く感じられたのでしょう。「先のことは考えるな」と言われても、ついつい考えてしまうのが自然な人情だと思います。「健康な身体、健康な生活を取り戻したい」という願いが強ければ、当然「再発したらどうしよう」「転移したらどうなるのだろう」といった不安もまた強く感じられるものであり、がんを体験した方でそのような不安を覚えないという人はいないはずです。病気にまつわる情報に一喜一憂することもまた、闘病生活ではごく自然な心の反応です。

けれどもMさん、初回の抗がん剤の副作用から回復し始めた時の頃を思い出してみませんか。「少ししんどさが取れてきた」「食べられるようになってきた」という改善のプロセスを体験されてきたことと思います。そのようなプロセスは、身体が自然に有する回復力の現われだといえます。そして、身体が楽になるにつれて、多少なりとも「あれをやってみようか」という意欲や「これを食べたい」という食欲も自覚されたことでしょう。それは身体の回復に連動しながら現れてくる心の回復力ともいうべきものです。副作用で身動きができないときは、そのような自然の回復力が訪れる時を待ちながら、「動けるようになったら何をしようか、何を食べようか」計画を練ってみることです。そうすることが辛くなければ、インターネットで行きたい場所を探したり、料理の本で食べられそうな物を探してみることもお勧めします。そして実際に、少し動けるようになってきたら「できることを見つけて、尻軽く実行する」という森田療法の基本に即した生活を心がけてみませんか。そんな生活を送ることができたら、「不安は不安で、それっきり」になるはずです。

(中村敬)

「社会復帰にもステップがある」 '11.10

Nさんは8年前にパニック障害とうつ病の併発し、発作の不安から病状が悪化し、外出困難となっていました。現在でも様々な体調不良や不安感や気分の落込みなどの症状はありながら、森田療法と出会い「このままではいけない!」と必死の思いで近所の精神障害者支援作業所に通所されています。しかし、2ヶ月経っても症状に圧倒され、このまま通所を続けていて良いのだろうか、という事で悩んでいらっしゃいます。

一般的に我々治療者は、症状の為に長い間家で過ごし、社会と交わっていなかった方の場合、症状の程度や期間などに合わせて社会復帰するためのステップとして治療的になりうる「社会と交わる場所」を考えていきます。会社や学校など社会と交わる場所が無い場合、入院、デイケア、作業所、バイトなどで社会復帰へのステップを踏む事をお勧めしています。というもの、どのような症状であっても、長期間社会と交わっていなかった方がいきなり定期的な勤務に就くというのは現実的ではないからです。

Nさんが通所されている作業所もそのステップではありますが、8年間という期間や、症状の強さ・重さなどから考えると、もしかしたら作業所は少し厳しいのかもしれません。2ヶ月間、苦しい中で非常に頑張っていらっしゃったと思いますから、なんとか踏ん張って作業所通所を続けるというのも選択肢ではありますが、せっかく「生き生きとした生活を送りたい」と思っていても、今のままだとますます社会に出るのが怖くなってしまう可能性もあります。 現在の主治医と、社会復帰する為のステップとして、現状から考えてどのような場所(施設)を利用するのが良いのかを相談する事を一番お勧めします。早く良くなりたい気持ちからそのステップを飛ばしてしまうと転んでしまうこともあります。まずは焦らず、出来る所から始めていきましょう。

(谷井一夫)

「人間存在の固有性、そして努力」 '11.9

Sさん、こんにちは。文章拝見しました。子育て、家事、御近所づきあい、お仕事、と日々奮闘されている様子が伝わってきます。そして、現在に至るまでに様々な苦悩を抱いていらっしゃったことも伝わってきます。

生きていく日々において、何不自由なく、何事も苦悩なく送ることができればそれはそれで良いのかもしれません。しかし、現実は日々、自分の思うようにいかずに苦悩の日々を送ることも多いかもしれません。しかし、苦悩の源泉には、「より良く生きたい」という貴方の切なる希望の存在を意味します。「希望が存在するからこそ、苦悩が伴う」、何という人間存在の矛盾したあり様なのでしょうか。しかし、嘆いても何もはじまりません。我々人間の現実の事実、つまりは「希望と苦悩が共に存在すること」をしっかりと認識して、受けとめなければなりません。この人間の事実の認識をしっかりと受けとめる覚悟があってはじめて、その人固有の人生がスタートします。この固有の人生のスタートは孤独でつらいものかもしれません。しかし、1人1人の「孤独」「苦悩」がその人のその人らしさを表現しているとも言えます。そして、日々、自分なりの努力を続けることです。最後まで努力することです(努力即幸福)。人間に苦悩が伴う限り、我々に出来ることは努力しかない、ということを森田先生は説いていらっしゃいます。それは、我々の人間の「事実」をしっかりと認識すればこその覚悟と言えます。悲壮なる覚悟を持って(しかし、森田先生は悲壮とは認識してはいません。それは事実を認識すれば当然のことであって、それしか方法はないと考えていらっしゃっています。我々にはなかなか到達できない超越した心境であるかもしれません)、自らの希望に向かって突き進む姿を示しています。

森田先生は何も言葉だけを語っている訳ではありません。森田先生自身、自らの神経症の克服体験、森田療法の完成(精緻な理論構築、そして神経質の良好な治療実績をあげていましたが、医学界から認められるのに時間がかかりました。東京大学の呉秀三先生、九州大学の下田光造先生の評価、後押しを得て医学界での確固たる評価、地位を築いていきました)、後年の最愛の息子さん(正一郎さん)、奥様(久亥さん:自宅での入院森田療法において久亥さんの力は大変大きかったと言われています)の死去など、多くの苦悩に満ちた人生を送っていらっしゃいます。こうした多くの自分の思うにまかせない人生をひたすら努力をおしみなく続けていらっしゃったのが森田先生御自身です。こうした多くの自らの体験をもって、そこに博学な知識を有していらっしゃった森田先生の言葉の1つ1つは我々に多くの示唆、希望を与えてくれます。まさに森田先生の身体からでた言葉、魂を感じる言葉の数々と言えます。森田先生の体験(事実)を通した1つの真実が存在するといって良いでしょう(事実唯真)。また、こうした我々に希望を与えてくれる森田先生の言葉の1つ1つは、そこに森田先生自身の悲しみの体験が秘められているとも言えましょう。しかし、こうした悲しみを単なる悲しみではなく、多くの人の力になるべく医師として孤軍奮闘(努力)された結果、森田療法(学問・治療)として止揚したところに森田先生の偉大さがあるといえます。何も偉大な発見、貢献をすれば良いわけではありません。その人、その人の固有の人生を丁寧に一生懸命に送っていけば良いのです。ここに良好な「結果」を意識した態度はありません。結果は日々の努力の最後の形であって、結果のために努力している訳ではありません。

しかし、現在の世相は、ますます結果がなるべく早い形で出ることを求められています。例えば食事1つをとっても、そこにはスピード、採算などを考慮して、注文から販売までわずか数秒で商品が出されてきます。こうした速いスピードに慣れてきてしまうと、少しでも遅いとイライラする自分に気付きます。スピード、採算を重視することは企業として当然ではあります。しかし、そこに我々人間は何かを失ってはいないでしょうか。結果に至るプロセス、存在の固有性は一顧だにされていません。どのように考えたら良いのでしょうか。スピード、採算、そしてプロセス、人間存在の固有性など、こうしたあらゆる観点を統合した考え方はないものでしょうか。森田先生でしたら、現在の世相を見てどのようにおっしゃるのでしょうか。そんなことを感じます。Sさんの御参考になれば幸いです。

(川上正憲)

「辛い思いとの付き合い方」 '11.8

Mさんは不安、抑うつ、胸部不快感の症状が続いていて、震災やお父様が亡くなられたこと、リストラで仕事を失ったことが原因と考えている様です。身体の症状の他にも、家族に迷惑をかけることが心苦しく、仕事をしていた時間が埋まらないことが辛いとのことです。

辛い思いとの付き合い方に森田療法の考え方を用いることが出来ると思います。身近な方が亡くなったことなど、思い出すことで苦しい思いをしたくないからと忘れようとして、更に辛い思いが強まったり長引いたりする方を拝見します。悲しいことを忘れようとしているのに、意識するために辛い思いを強めてしまっている方です。

身近の人を失った悲しみは関わりが深かった人ほど大きいものです。また、人が亡くなるということは目の前からいなくなる訳ですが、その人の思いや考え方は関わった人たちの心の中で生き続けます。そして、死という我々の逃れられないものに、時に周りに支えてもらいながら持ちこたえていけば、時間とともに悲しみは薄らぎ受け入れられるものとなっていきます。お父様の死やリストラされたことなど、意識しすぎて辛い思いを強めないようにして下さい。

Mさんは身体症状があるも「何かに集中していると症状を忘れられる」とのことで、既に職探しをはじめられている様子です。なかなか仕事が見つからないようであれば、身の回りのことから出来る範囲で行ってみて下さい。文面からは症状を抱えながらも歩を次にすすめるエネルギーを持ってらっしゃると拝察します。頑張ってください。

(矢野勝治)

「パニック障害に対する森田療法」 '11.7

はじめまして、Sさん。6年前からパニック障害をわずらわれているとの事、さぞかし大変であったと思います。そして、今回体験フォーラムにたどり着きました。様々な悩みを抱ええている皆さんが、日々奮闘しながら頑張っています。その生きた知恵を是非、Sさんも日常生活に生かしていただければと思います。ところで、Sさんの現在の病状は如何でしょうか?まず何と言ってもパニック発作自体は軽快しているでしょうか?

一般的にパニック障害の場合、発作の多くは服薬することで軽快すると言われています。そのため、治療機関に繋がっているとしたら、服薬内容を主治医と相談しながらきちんと継続していってください。また服薬だけでなく、パニック発作自体の特徴も知っておく必要があります。発作は、不安・恐怖が突き上げてくる強烈なものですが、決して長くは続きません。せいぜい10〜15分をピークに一時間程度で軽快する類のものです。

ですから、発作が起った時に、何と言っても慌てず、一拍待つことが大切です。特に混雑した電車や大勢の人ごみの中で、発作を起こした場合は、一度その場所を離れ、心が静めることです。その後に、必要な行動に踏み出して行けばよいのです。ただし、一番回復を遅らす原因は、「また発作が起るのではないか」という予期不安からその場面を避けてしまう姿勢にあります。このような生活習慣が慢性化すると、不安が起るところには足が向かなくなるといった悪循環にはまり込むことになります。結果的に自宅近隣だけの狭い範囲で生活が閉じられることになるのです。

しかし、ここが一番の踏ん張りどころでもあるのです。Sさんが、「外に出て花を見たい」などの思いを巡らせたら、予期不安が起っても一歩踏み出してみるべきです。というのも、その一歩が失敗に終わったとしても、その行動こそが、不安の中でも自分を生かすことに繋がるからです。この道のりは決して短いものではないでしょう。試行錯誤も伴うでしょう。けれどもSさんの本来の欲求を少しでも実生活に反映し、生活を取り戻すことを心より願っています。

(樋之口潤一郎)

「自律神経失調症は」 '11.6

Tさんは、服薬(メイラックス)を止めてから3カ月、非常に体調が良くなってきたものの、・動悸・上整脈・右側頭部の麻痺・右つま先の痺れ(ピリピリした感じ)・呼吸困難(胸が苦しい)などが現われてきたと書き込まれています。そして「自律神経の関係でしょうか」と書いています。
自律神経失調症は、交感神経と副交感神経の二つから成る自律神経系のバランスが崩れた場合に起こる症状の総称を指します。自律神経とは、消化器、呼吸器、循環器系、リンパなど自分の意思とは無関係に働く組織に分布する神経系です。自律神経の中枢は脳の視床下部にあり、この場所は情緒、不安や怒り等の中枢とされる辺縁系とも関係しています。
しかし、特定の原因から起こる疾患ではなく輪郭ははっきりしないところもあります。
不安障害やうつ病の部分症状として自律神経症状が起こることもあります。
普通神経質の一部の方がこれに当たる場合もあります。
Tさんの場合やはり主治医の先生と十分相談し、薬物療法を含めて今後どうしていくかをご相談されるのが一番だと思います。

服薬をやめていくプロセスにも試行錯誤の過程が必要です。
脳のMRIなどは受けておられるとのこと。主治医の先生と相談して必要な身体的な検査は受け、そうしたら一旦置いておくことも必要かもしれません。
不安が不安を呼び、病院を転々と回り続ける、となってしまうのは避けたいところです。
不安と関連した症状である可能性もあり、できること(必要な範囲での検査など)はして、あとは体調と付き合いながら、できることはやる、行動をゼロにしないなどの生活をしていきましょう。

(塩路理恵子)

「自分だけではない」 '11.5

Uさんは、強い不安感と発狂するのではないかという恐怖心にさいなまれているということでした。特に、最近症状が落ち着いて安心していた矢先に、強い不安感に襲われたため、また同じような不安がやってくるのではないかと予期不安がつのっていると記していました。とはいえ、この体験フォーラムに参加してからは、毎日日記をつけ、またウォーキングも始めるなど、積極的に行動を広げている様子が伺えます。

ここで不安発作が症状へと定着する要因を整理してみましょう。まず第一に、不安発作は、「このまま死んでしまうのではないか」という死の恐怖や、「発狂してしまうのではないか」というような己を見失う恐怖心に直結するという点です。これは、当然とても恐ろしいものですし、誰しも避けたいと願うものです。しかし、不安発作それ自体はこれまで体験したことがないものであるため、他の人にはない特別なものと感じてしまうのです。第二に、不安発作は多くの場合、突然襲ってきます。このように予測できない、「わからない」ということは、とても不安なものです。それだけに、何とかそれを事前にわかりたい、あるいは回避したいと考え、逆に不安に対して身構えてしまったり、万全な状況を維持することに固執してしまうのです。そして結果的に、不安とにらめっこをして、不安に振り回された生活に陥ってしまうというわけです。

では、この状況からどうしたら脱出できるでしょうか?そのヒントは、先に挙げた二つの要因に隠されています。
一つは、死を恐れる気持ちは、人間にとって当然の自然な感情であり、それは「生きたい」と願う気持ちがあるからこそ生じるということです。つまり、不安は避けることも、ゼロにすることも出来ないのです。とはいえ、頭では理解できてもそれを受け止めるのはなかなか難しいものですね。そうした時に、この体験フォーラムが力を発揮するのです。まさにこの部屋には、同じような仲間が沢山います。自分だけ・・・と思っていたものが、そうではないという事実を実感する機会になるでしょうし、実際、そうした思いを抱いてお互いが支え合い、励まし合っている様子がよくわかります。自分だけではないと思うと、少しだけ、まあ仕方ないか・・と受け止め易くなるのではないでしょうか。
第二に、全てをわかるのは(予測するのは)上可能だということです。しかし、あらかじめわからないことは、悪いことでもありません。Uさんは、ウォーキングを始めて、歩くことがこれほど楽しいなんて考えもしなかった、と記しています。わからないからこそ試す価値があるわけですし、わからないからこそ、世界が予想以上に広がる可能性もあるのです。結局、ここに挙げた二つのポイントに共通することは、上可能なことは脇において、出来ることに力を注ぐことと言えるでしょう。
もちろん、不安は嫌なものですし、びくびくしながらで良いのです。「生きたい」という気持ちを、今、出来ることに注いでみましょう。そこから新たな発見があるかもしれません。Uさんが、Mさんに名前の由来を尋ねられた際の答えはとても良いですね。「たいしたこともなく、ただ『うどん』が好きなだけなんです」と。不安も同じようなものです。ただ不安なだけ。そのまま受けとめて、万全を期そうとして狭めてしまった世界を広げてみてください。

(久保田幹子)

「大震災とストレス」 '11.4

Tさんは、地震に直面し「死の恐怖」を体験されたということでした。御無事でよかったですね。本当に今回の大地震、津波、そして原発事故という3重の災害が残した爪痕は、あまりにも大きなものがあります。震災から3週間余りが経過した今でも多くの人に様々な心理的影響が見受けられます。 直接被災された方の多くは、家族や友人、同僚が津波にさらわれたり、自宅や職場を失い、避難生活を余儀なくされているのですから、報じられているように深刻なストレス反応が生じる可能性があります。また被災地から離れている人の中にも、テレビや新聞などで災害のニュースを見続けているうちに、ストレス反応を生じた方もおり、有名な歌手もそのためにダウンしたということでした。

震災以降にお会いした患者さんの中にも、東北の家族や知人と連絡がつかなかった数日間、ほとんど眠れなかったという方、大地震の際の恐怖体験に加えてたびたび起こる余震によって、絶えず緊張していて熟睡できないという方、一人で過ごすことが怖くなって親族の家にしばらく避難していた方、また繰り返される停電や物上足のためにすっかり生活のペースが乱され、疲れきってしまった方など、様々な影響を被った方が少なくありませんでした。また地震酔いといわれるような浮遊感がいつまでも続いている方も大変多いようです。私も診療中に余震かと思うような揺れを感じ、よく考えたら患者さんの話にうなずくたびに自分の椅子が揺れているのだと分かって苦笑しました。

上に挙げたような不安、上眠、疲労感、自律神経の緊張状態などは、程度の違いこそあれ、いずれも「異常な事態に対する正常な反応」と考えられます。あれだけの衝撃的な出来事が起こったのですから、なんらかのストレス反応が生じるのは当然です。ただし大部分の人々は、不安を感じながら仕事や家事、勉強などに取り組んでいくうちに、時間とともに徐々に落ち着きを取り戻されてきたようです。自然の回復力(復元力)が働いているということです。多くの方々は、余震や原発事故への不安を抱えながら元の生活を再開し、必要なことを手掛けているうちに、知らず知らず森田的な姿勢で過ごされてきたと言えるかも知れません。まさに「外相整えば、内相おのずから整う」ということですね。それから、多くの患者さんが「被災された方に比べれば、自分の状態は大したことではない」と話されていたことも印象的でした。今回の災害を契機に、自分だけが苦しみ悩んでいるというそれまでの差別観から脱したように見受けられる方も幾人かおられました。

もちろん被災された方の中には重度のストレス反応が生じ、すぐにはそのような自然回復が困難な方もおられるでしょう。上自由な避難生活が続く間は、なかなか元の生活を再開することもできません。そうした方々にはなるべく早く安全で安心な生活が送れるよう現実的な支援を行うことがもっとも重要です。それとともに、ストレス反応がなるべく長期化しないようにと地元の行政機関の職員や保健師さん、医療・看護職の人々が日夜心のケアに奔走しており、遠方からも心のケアに携わる専門家が多数支援に入っています。こうした支援が実りある成果をもたらすよう祈らずにはいられません。

(中村敬)

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