症状別アドバイス集

その他の部屋・2004年

昇進について '04.12

Tcさんは抑うつ神経症で悩み、現在は大分回復してきました。そこで問題が起こってきたのです。
「職場で1週間前、課長に体調はどうか?と聞かれました。「今は大分よくなりました。もう薬も飲んでいません。カウンセリングもやめました。でもまだ万全ではなく、あと1・2年もすればもっと元気になっていると思います。」といったことをいいました。そういう風に課長に言ったのですが、まだ万全でないと言えばまた昇進しないのではないかと不安です。課長も早く元気にならないとなあと言いました。Maさんは昇進は全く気にならないと言いましたが本当でしょうか?普通の人は気になるのではないでしょうか?森田は昇進するような方向で頑張れと言ったのではないでしょうか?なぜ気にならないのですか?・・」さらに自分の病名を上司に伝えるべきかどうか、昇進とのかねあいでTcさんは悩みます。
Maさんは次のように助言します。「・・私が思いますに、森田先生が言われますように「人は誰でも偉くなりたい」は当然の自然な感情ですが、その思いが強ければ、本筋から外れご本人の力が逆に発揮できなくなって行くのではないかと思うのです。それと、仕事仕事だけに頭を忙殺されることは心身の健康にも悪いように思われます。家庭や趣味や遊びにもバランスを持って毎日を過ごされることが、回りの信頼関係を保つ上にも役立つことではないでしょうか。」
その後もTcさんとMaさんとのやり取りが続きますが、Tcさんは「かくあるべし」思考に縛られすぎ、結果としてMaさんがいうように力が出せていないのかもしれません。いまこのような問題で悩んでいるときこそ、発想の転換が重要です。つまり人の評価にあまり振り回されると生きることが行き詰まりやすくなります。それよりも目の前のことの取り組み、そしてそのこと自体についてあれこれ工夫し取り組んでいくことが、長い目で見ればTcさんの力を発揮させることになるのではないでしょうか。

生活の向上のためには '04.11

Tcさんが、「最近では森田を勉強してもあまり向上しません。皆さんどのように勉強してますか」と悩んでいます。さてこの悩みに答えるのは、同じ「その他のグループ」で展開されているGqさんとMaさんとのやり取りです。その一部を紹介しながら、私たちの生活を向上するためにはどうしたらよいか、考えてみましょう。
Gqさんは次のように書き込みます。『・・《感情と行動は別である》ということです。「苦しいからしない」「苦しいけどする」「楽だからする」「楽だけどしない」……いろいろありますが、「苦楽」と「するしない」は切り離さなくてはいけないことでした。苦であろうと楽であろうと、すべきことをしないということだけを問題にすればいいことなんです・・』その通りです。苦悩を取り除こうと望めば望むほど、その苦悩は深まります。人生の苦悩を自分として背負っていこうと心が定まれば、本来の欲望が生活のなかで発揮されるようになるのです。
そしてMaさんは次のように書き込みます。「森田先生の言われる『努力即幸福』の世界は決して成果主義ではありません。・・こんな世の中故に、森田先生の『事実唯真』の生き方が余計にありがたく見えるのです。世が厳しくなれば成る程、人は夢を見たくなるものです。しかし、私達神経質者は、森田によって夢はあくまでも夢であると目覚めることが出来ます。自分の命も人の命もみな大事にするようになります。」
つまり日々の生活のなかで自分の向上心を発見し、発揮することが、すなわち努力即幸福であり、それがわれわれの人間性の事実であるということです。それが自分を知ること、事実を知ることです。そして私たちの生活を向上することは自分の向上心を現実に発揮する作業そのものなのです。

新しい人生のスタート '04.10

Gqさんがいよいよ新しい人生のスタートをきられたようです。「このフォーラムに参加してから9月で1年が過ぎました。私にとってこの1年は内面的な激動期、大変革の時期でした。神経症で悩んでおられる方や克服された方の体験や書き込みは私自身を映す鏡となり、北西先生のアドバイス、Maさんとのやり取りは心理的な成長の支えとなり指針となりました。
・・9月は伯父と弟の入院が重なり、これまで家族との関わりから逃げていた私も父母からの要請で動き出さざるをえなくなりました。すでに森田の理論はある程度血肉となっており、境遇に柔順になる心の器も育っていましたし、自己受容もできていたことが、関係修復や実力発揮につながったんだと思います。・・10年くらい姿を隠していた私が、突然別人のようになって皆の前に現れ大活躍をしたので、皆びっくりしたみたいです。素直に自然に抵抗なく話しができました。・・」と書き込みます。
MaさんもGqさんの新しい人生の出発に心からお祝いを述べます。私もこの体験フォーラムはこのような形でGqさんの再生、成長に役に立ったことを嬉しく思いました。
そしてGqさんはさらに自分の心境について述べます。「一人ではできないことも、他人といっしょだと何でもでき、健康的に生活できますね。自発性とか主体性とか意志の力というのは他者との関係で引き出されるものだと思うことにしました。環境変える時期が熟してきました。他者に対して何かしてあげることにも抵抗がなくなってきたようです」森田先生は、人生観が変わったから神経症がよくなるのだ、といいます。Gqさんも今までとは違った人生観からものを考えているようです。このことが私は最も重要だと考えています。さらにその考え方を深めていってください。

感じが先か、行動が先か '04.9

Hdさんは森田療法に対する疑問で悩んでいます。『今日も朝、起きると何の「感じ」も起きませんでした。夕方まで食事もとらずに寝ていました。夕方、目が覚めたとき「お金をおろさなきゃ」と考えました。(私はこれを「感じ」と受け取っていません。頭で考えただけで、心から思った事ではないからです。私は「感じ」と言うのを心から「感じた」ことと捉えています。どうですか?Maさん)・・森田先生の仰った様に「感じ」が先なのでしょうか?「行動」が先なのでしょうか?』
Maさんは「私には「鶏が先か卵か先か」と言うような循環理論に陥る罠には引っかかりたくはありません。・・」と問題をむしろHdさんに返します。
Hdさんはさらに疑問を投げかけます。「・・・お叱りを受ける覚悟でお尋ねします。この状況をどう打破すれば良いのでしょうか?」
Maさんは自らの体験と森田との出会いを書いた後にこのように書き込みます。「・・私はこの文面を見て今もその当時を鮮明に思い返して涙することがある。いろいろはからいとらわれて万策尽きて、はじめて我が身を放り出せた私です。私が学習仲間に話す言葉《もういい加減に、ほっとけ。》です。長年坐禅して、やっとほっとけ様(仏様)の真意が理解できるようになったのです。人に聞いて解るものではありません。自分で涙を流して解るものです。」
その通りです。今置かれているつらい状況を自らのものとして自分で取り組んでいくことが最も重要です。ここが森田療法の重要なポイントとなります。今月の不安神経症のグループのコメントで「森田療法を学ぶということ」の中で書いたことともつながります。
Hdさんは、理論で考え過ぎて袋小路に入ってしまったようです。そして今悩んでいる問題の解決方法を今すぐ知りたくなり、行き詰まったようです。まず自分で試行錯誤し、悩み、その経験を森田の知恵と照らし合わせる作業が必要です。この自分としての試行錯誤が今までのHdさんの森田の豊かな知識を深めることに役に立つでしょう。そこから知ることと行うことは密接に関係した森田の知恵のあり方がみえてくるのです。今悩んでいることは決して無駄ではないのです。

神経症の原因は? '04.8

Ymさんが、神経症の原因は脳内物質が足りないためで、遺伝子によって規定されているのでは、という話を聞いてショックを受けました。「・・私は、家に帰って調べた後に、でも生まれつきじゃなくって、じゃあ人生の途中から神経症になる人は、どうなんだろう?生まれつき遺伝子的に異常があるんなら、絶対治らないよね。やっぱり、治すのをやめればいいんよね。とか思いました。それと、やっぱりちょっとショックでした・・。」
Maさんは次のように助言します。「・・私達神経質者はその苦悩の最中にあっては、何とか良い方法はないものかとその克服の知識ばかりを追い求めます。しかし、知識だけでは解決しません。自分の身体の喜ぶ動き行動の中で裏付けされた知識でないとウロウロするばかりです。・・」
神経症の原因について、さまざまな説明がなされています。遺伝、環境、育て方、親との関係、学習などが一時はもてはやされました。現在は、さまざまな最新の技術を使って神経症の脳の機能を調べようという研究が盛んに行われています。また神経症の薬の治療も積極的に行われる時代となりました。
神経症が形成されるには、さまざまな要因が関与していると思われます。一つの原因に還元することは出来ないでしょう。またこの問題にはその人の生き方も深く関係しています。脳内物質の不足がたとえあったとしても、それが原因なのか、不安という現象の反映なのか、わからないのです。そして不安とはご承知のように、誰でも経験することなのです。森田療法では不安は本来自然な心身の反応で、それをあってはならないものと認識し、それにとらわれることが問題だ、と理解します。そして原因探求よりも、心身の不快な反応、不安などをそのままに受けとめ、本来自分の持つ健康な欲望(生の欲望)を発揮することが重要だとするのです。そのような意味では、森田療法は不安にとらわれた生き方から、人生を回復するための方法とも理解されます。

職業選択について '04.7

Gqさんが職業選択で迷っています。「・・森田先生のいわれるように、実際仕事についた後になって、興味や得意がわかっていくものですよね。すっかり忘れてしまって、「あれがしたい、これをしなければいけない、あれが価値がある、これが天職だ」などと自分の職業を予め決めてしまおうとしていました。・・行動より観念を先にしてしまうんです。『われ思う、故にわれあり』ですね。これが迷いや間違いのもとになり、わがままになって、お金がないのにいつまでも求人に応募できないことになっているんでしょう。」
Maさんは次のように助言します。「一般的には君の適正はこうなんだからこんな仕事があうんじゃないかとよく耳にします。しかし、実際は森田先生も言われるように手を出していく中で仕事に対する興味が湧いてくるものです。」同感です。私たちは経験しながら、仕事についての興味、さらには自分自身の適性を見出していくのです。Ycさんは「まさしく、捨て身でいくしかありません。(不安のままに・・・)そこで、神経質を存分に発揮し、いい仕事をすることだと思っています。」
Kzさんは「行動は何より大切ですが、その前に目的をしっかりさせる必要があると思います」と助言します。
私たちは現実に関わり、そこから次第に自分という人間がみえてきます。あるいはそのような経験から現実的な神経症的でない認識が深まります。それが自己理解というものです。つまり私、動きながら、行動しながら、認識を深めていくことが何よりも大切、と思います。

アトピーかわるということ '04.6

Gqさんが心的な展開を得たようです。その経験を次のように表現しています。少し長いですが、その一部を引用してみましょう。「体験的に、『目的本位』『素直な心』『自己受容』が、状況を一転させる心の持ち方だと確信しています。症状に振り回されて、なかなか実践の効果があがらないときは、症状を否定し、症状に苦しむ自分を「異常だ」「劣等だ」などと認知していて、受容できていないんですよ。苦しみの無い、完璧な、強くて素晴らしいかっこいい理想の自分を、完全主義的に立派に自分の力で達成したいと願っており、他者の声を頭で分別して、心の中までは受け入れようとしない差別心が強いようです。現在の自分や他者の、「できなさ」「弱さ」「甘え」を許容できないんですね。・・・行動した時の直感的な気づき、快感、心身の変化を素直に受けとめることです。苦しくても、イヤでも、焦らず行動を続けていかれれば、症状でなく、自分自身がまず変わっていくことでしょう。・・私の本質的な人生の葛藤に、逃げないで向き合う気持ちになれたような感じです。理想と現実のギャップを埋めるように、落ち着いて自由に考えてみたいと思います。」
Maさんは次のように書き込みます。「・・私もかつてはその苦しみから解放された時は感涙し喜びのため小躍りしたものです。しかし、そこで終わっていたら今日の私はありません。その後も森田の勉学を励み、学習→実践→総括(plan → do → see)を繰り返すことにより、症状森田から人生森田へと入っていきます。神経症なら森田で症状は簡単に取れるでしょうが、実はそれからが大変というか面白いのです。これまで症状のために断念していた生きがいが広がりを見せていくのです。」
私も実はこれからが人生の最も重要な局面なのだ、と思いました。不安、恐怖を一方ではしっかりと抱え込み、それをどうこうすることは出来ないのだ、と諦めながら、他方で本来の自己の欲望に乗って生きていくことが重要なポイントとなります。そしてここでも行きつ戻りつ、七転び八起き、が起こるのです。後戻りをする局面、行き詰まる局面も出てきます。しかしそれは私の言葉でいえば、「生きること」をめぐって、ダイナミックな人生の始まりなのです。そのようなときにはまた初心に返ればよいのです。さらに自覚が螺旋形に深まっていくでしょう。

アトピー性皮膚炎と森田療法 '04.5

Mdさんの甥御さんがアトピー性皮膚炎で悩んでいます。「・・アトピー性皮膚炎は、ステロイド剤の使用を止めることが快復の大前提だそうです。しかし、その使用を止めると痒さ、痛さが激烈に襲ってくるようです。が、どれだけかかるか解かりませんが、それを克服すると完治するそうです。そのとき、森田療法が必要になってくるのではないかとおもい書き込ませて頂きました。甥に「あるがままに生きる」ことを何とか伝えていきたいと思いますが、・・」
Maさんもいうようにアトピー性皮膚炎の治療に森田療法は大いに役に立つようです。第21回森田療法学会で細谷律子先生(細谷皮ふ科)がシンポジウムで「アトピー性皮膚炎と森田療法」について発表しています。細谷先生はアトピー性皮膚炎の治療のポイントはかゆみを掻破する(掻く)ことをまずやめることだといいます。慢性のアトピー性皮膚炎の人は掻破行動があたかも強迫行為のように習慣行動化しているのです。それを止めるには、まずそれを自覚すること、その掻く行為の基になる不安、ストレスをそのまま受けとめ処理できる能力を高めることといいます。そして皮膚科の治療と平行しながら日記療法などを用いながら根気よく森田療法的な接近を行い、すばらしい効果を上げています。またこのような慢性化に陥りやすい人はこだわりやすく、神経質、完全主義、強迫的傾向を認めるそうです。従ってそのような生き方を変えることで不安、ストレスを受けとめやすくするのです。これも森田療法の新しい可能性を示す発表です。

家族との再会 '04.4

Gqさんがそれこそ何年かぶりで家族と再会のための旅に出ます。「二週間、旅してきました。・・家族4人が顔をそろえることは、全員が東京にいた頃にもなかったことで、子どものときの記憶にもありません。実家を出てから30年、考えてみればはじめてのことかもしれません。母と弟は8年ぶり、父とは13年ぶりくらいに会いました。・・さすがの私も頭にきて、「だめな私でも幸せなんだから、認めてほしい」と怒り、母が私に望むことや他者に対する受けとめ方の違いをはっきり主張しました。とはいえ、具体的な仕事のことも長く神経症で行動できなかったことも話せませんでした。毎日小さいことで口論しながら、作業していました。でも、今までになく、親子として、普通の感情的なぶつかり合いができたような気がしています。・・」
それはGqさんが自ら書いているように親子関係の修復の旅でした。「・・自信がなくて、帰省に踏み切れない感じでしたが、今は父母の様子がわかり、素直に自分を出していけるような気がしてきて、いつでも実家には帰れそうです。でも、農業のことがふっきれたので、両親が動けるうちは、もう少し東京にいることにします。・・」
われわれが神経症的葛藤に悩んでいるときは、なかなか親子関係の修復が出来ません。そして率直な感情的なぶつかり合いも出来ないのです。避けてしまうか、激しくやり合ってしまうか、いずれにせよ親子の溝は深いのです。しかし私たちが自分として生きていこうと心に決めたときに、しばしばGqさんのように親子関係の修復が始まります。それは自分の人生を歩み出したこと、「かくあるべし」という生き方から柔軟な生き方へ変化してきたことを意味します。
Gqさんの新しい人生の旅が始まったようです。

引きこもることと森田療法 '04.3

Rmさんが電車に乗れなくて困っています。そして引きこもりの生活になっているようです。「・・30代男性です。仕事をしておらず基本的にこもっています。唯一の趣味がギターでそれのレッスンは毎週行っています。その他は家の近くを散歩したり、買い物したりする程度です。電車に乗ることに多少恐怖を感じます。もう6,7年くらい前からですが。乗れないことはないのですが、予期不安みたいなものがあって街に出たりとかという機会が減っています。・・」
Maさんは次のように助言します。「・・森田療法の立場に立って行動を起こされてはいかがでしょうか。予期恐怖の実体は、○○がしたいのに、XXがあるから出来ないと、具体的行動を起こさない結果生じるもので、先生の言われる『お化けの正体見たり枯れ尾花』の事実を体験しないで、恐怖に恐怖するといった有様に陥ってしまいます。・・」。Maさんがいうようにこれが基本的な考え方です。
Rmさんは次のようにそれについて次のように書き込みます。「・・ただ最近目的を持って、仕事に結びつくようにと勉強を家でしています。多分目的があって外出する分には外出できるので、(行けないときもありますが)。・・」このようにある程度引きこもっていても、その制約のなかで出来ることを見つけ、取り組んでいく姿勢が大切だと思います。つまり豊かな、ある程度変化に富んだ引きこもり生活もあり得るのです。そこから自然に次に進むべき道がみえてくるでしょう。

自覚すること '04.2

Gqさんがフォーラムに参加して約4ヶ月自覚を深めてきたようです。次のように書き込みます。「森田の本を読めるようになり、自己認識を深めたり、こだわりを見つめたりできるようになりました。入会当初から、Maさんには、何度も何度も、「本を読むように、勉強をするように」と励まされてきました。やっとその気になって読んでみましたら、認知の転換にすごく有効でした。森田の理論は素直に受け入れることができます・・」そして、森田を学ぶことで今までも自らのあり方を知り、そしてそれを修正する努力を始めたのです。
森田療法では自らを知ることを重視します。森田は常に自覚することの重要さを説いていました。そして森田療法では知ること(自覚すること)とは行動することそのものなのです。つまり行うことと知ることは密接につながるのです。つまり東洋の伝統である知行同一という知のあり方なのです。

心の事実を知ること '04.1

今月はHiさんがたくさん書き込んでいます。このように悩みを人と話し合うことで自覚が深まるのだろうと思います。さてここでは心の事実ということを取り上げてみましょう。「私が今困っているのは、心の不快感を受け入れることです。恐怖、落ち込み、暗い気持ち、これらは全部そのときの心の事実ですよね。この事実を認められるようにねればな〜とおもってしまいます。」Taさんはその発言を受けて次のように書き込みます。「僕も症状にとらわれるとHiさんの発言にあるように受け入れることが難しくなってしまいます。自分の思い込みによって、事実を見失い症状に苦しめられます。でも自分の思い込みは何で、事実は何かというのを冷静に分析できれば解決の糸口がみつかってきます。僕の場合は、自分の思い込みはほっておき、事実をしっかりみつめて、今やるべきことややりたいことをやっていくということを実行していくようにしています。」
Ymさんは次のように指摘します。「Hiさんのいう、恐怖、暗い気持ち、落ち込みは、確かに“今”の、Hiさんの“心の状態の事実”ではあるけれど、森田で言う“事実を認める”の、事実とは違うと思います。それは、そういう感情に“とらわれている”事実であって、自分の妄想であり、思い込みです・・」Ycさんは次のようにいいます。「こころをこころで操作しようとするのではなく、感情は脇に置いといて 行動に移すというというあたりが大切だと思います。」
森田は2つの事実が大切だと、晩年に指摘しました。その2つの事実は彼が到達した最終的な境地であり、人間性に対する洞察です。それは「死は恐れざるを得ない」であり、「欲望はあきらめられない」です。つまりつらい気持ちはどうしようもないことであり、それを受け入れることから欲望をしっかりと自覚でき、それを発揮することが可能となります。

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