症状別アドバイス集

その他の部屋

「嫌われる恐怖を持ちながら人との関係を続けてみる」 '15.12 

 Kさんは、今まで周囲からのからかいで随分苦労されてきたようですね。一度つらい経験をすると、また同じような事になるのではという不安にとらわれます。その不安により、益々身体の症状である腹痛・おならに注意を払ってしまい症状が増悪するという悪循環が生じます。

 Kさんは「この症状さえなければ」と症状を取り除こうとしていませんか?つらい症状があり、それを取り除きたいと思うのは自然な感情です。ただ症状を取り除こうとすればするほど症状にとらわれることになるのです。腹痛やおならの症状が出てKさんを避けるような方は本当の友人とは言えませんね。腹痛やおならが出てもKさんを認めてくれる人こそ真の友人です。ただ真の友人を見つけるには怖々ながらも友人関係を続ける必要があります。嫌われたかなと思い対人関係を避けていては真の友人は見つかりません。嫌われる恐怖を持ちながらまずは対人関係を続けてみてください。Kさんを受け入れてくれる友人が見つかるはずです。

 対人関係を維持するコツは、沈黙を恐れて「何か話さないと」と頑張るのではなく、聞き役になる事です。緊張して相手の話がよく聞けないようであれば、うなづいて「そうだよね」と言ってみましょう。また相手に興味を持ち、たまに質問してみると相手は自分に興味を持ってくれていると嬉しく思い話も弾むでしょう。

 親の反対を押し切り精神科治療を受け始めたとの事、Kさんの強さが見て取れます。変化は人間にとって恐いものです。それを自分を変えたいと思われ一歩踏み出されたKさんは勇気がある方だと思います。是非治療を続けてください。社交不安障害には森田療法をはじめとした精神療法の他にも薬物療法も行っています。是非、専門家に相談してKさんに合う治療法を見つけていってください。
(石山菜奈子)

「50代からのこれから」 '15.11 

 Tさんは婚活もうまく行かず、80代の親御さんがいなくなられた後、孤独になる不安について書かれています。親も年を取ってくると、色々子どもに負担もかかってきますし、心配も尽きないですよね。

 最初のご質問については、「婚活」と想像しておられる「親の死後の孤独」の間(あいだ)にたくさんの段階や要素があるように感じます。その段階を踏んでいくことが不安を軽減することにもつながるのではないでしょうか。

 不安は考えれば考えるほど不安なもの。森田先生は、そういう時こそ、不安について具体的に考えることを心がけるようにと言われています。親御さんがいなくなると何が不安なのか。生活資金のことか。一人でごはんを食べることか。一日中誰とも話さないことか。病気の時におかゆを作ってもらえないことか。「一つ一つ事実について考えていけば、必ず行きづまる所へ行くもの」とおっしゃっています。

 そして、自分の健康と親についての悩みは40代後半〜50代になると、多くの人が抱えるものだと思います。Tさんのお友達に、同じような境遇の方や、Tさんが今の悩みについて話してみてもいいかなと思う方はいますか?問題は解決しなくても、自分の悩みを共有したり、今の不安や焦りについて話すことができたら、不安の度合いも少し違うのかなと思います。そこから新しい視点を得たり、自分と同じような状況だと安心することもあるかもしれません。

 2つ目のご質問の死への恐怖は、自分がどんな風に死ぬかが不安ということでしょうか。
仕事をどうしようかと思うほどの不安が襲ってくるということでしょうか。かなり強い不安のようですね。死は受け入れる受け入れないに関わらず起こってきてしまうことですね。行動については、Tさんが書かれている通りで行くしかないと思います。一方、死は怖くも感じられるものですが、Tさんがそこまで死を恐ろしく思うのはどうしてでしょう。もし眺められるようなら、どんなふうに怖いのか自分が何を恐れているのかを眺めてみることが大切かなと思います。わかるとそこまで恐れなくて済むことが往々にしてあるものです。一人では難しいようなら、相談機関で自分のそういう思いを見つめていってみることも有用かもしれません。
(今村祐子)

「人を信じること」 '15.10 

 Sさんが人間不信で悩んでいます。「変な人に引っ掛かってしまい、その人は結婚していて子供がいた」とのことです。裏切られショックだったと思います。
人は人を信じるように出来ています。赤ちゃんは誰にでも微笑みかけ、疑うことを知りません。しかしSさんのように傷つく体験があると、人を信じられなくなったりします。
悪いところに目を向け悪循環に陥るのでなく、良いところに目を向けていくことです。人を信じ、人を好きになる経験が人間不信から脱却する道だと思います。
(矢野勝治)

「日記について」 '15.9 

 Mさんは8月から日記を再開され、1か月以上継続されております。継続することは大変ですが、よく頑張っていらっしゃいますね。

 今回は日記をつける意味について、説明させていただきます。まず、一般に入院森田療法の中では毎日30分程度で、一日の行ったこと、感じたこと、考えたことについて具体的に書き、大学ノート1ページ程度にまとめます。伝統的には、主として1日の実際の行動を書き、原則として症状や様々な感情について書く事を禁止しています。しかし、現在はどんな事であっても(症状や不満、怒りなど)感じたままに書いてもらうことが多いようです。

 入院中は日記でも治療者とのやりとりがあるのですが、治療者とやりとりをしない日記でも以下のような治療的な意味があると思います。

(1)その日の出来事を振り返り(様々な感情を中心に行ったこと、考えたことなど)、自ら内省するきっかけとなること。また、記録として残るので時間をかけて自ら修正ができること。
(2)不安などの感情を主体的に受け止めていこうとする態度を育めること。などです。

 このように、日記をつけることには色々なメリットがありますが、特に自分の不快な感情ばかりに目が向いてしまい、行動に目が向きにくい方は日記をつけることが役に立つと思います。皆様もうまく利用してみてはいかがでしょうか。
(谷井一夫)

「内服について」 '15.8 

 Fさんは「不眠治れ!」と心の叫びが聞こえるように感じます。それだけお辛いのだと思います。色々な向精神薬が投薬されているようですが、それに対してFさんは強い疑問を感じています。まず不眠の背景にある病態は何でしょうか? この問いに心療内科の先生はどのようにお答えになられているでしょうか? その回答が曖昧の場合には、セカンドオピニオンを他の治療機関で受けていただくことも一考に値すると考えます。特にうつ状態の程度、「うつ」なのか否かをある程度明瞭にする必要があります。強い不安が「うつ」のような気の滅入りを作り出しているとしたら、優先するべきは、抗うつ剤ではなく安定剤かもしれません。
 ただ、苦しい状況ですが、間違っても自己判断で突然の断薬など、先急いだ行動にだけはならないようにしてください。苦しい時程、人間は得てしてそこを早く脱したい余りに、唐突な行動をとりがちです。しかし、そのことで状況をさらに悪化させてしまうことが多いと考えます。主観的な判断にならないためにも、他者の意見を参考に色々な情報を踏まえて判断いただければと思います。
 ちなみに不眠は、薬物療法だけで解決されるものではありません。意外に入眠前の時間の過ごし方などにも左右されます。このフォーラムでも何度かお話しさせていただきましたが、寝る前の、「ながらスマフォ」などはかなりの頻度で人を不眠にさせるといいます。液晶から発せられるブルーライトが脳を覚醒させるためだといわれているからです。そのため、入眠前の二時間前には、スマートフォンを離れ、目を休めるなどの工夫も是非取り入れてみてください。
 最後に、非常に皮肉なもので、「早くきちんと寝たい」と思えば思うほど、良質な睡眠が私たちから離れていってしまいます。それは、睡眠を切望する気持ちが、却って緊張を煽り立て、入眠を遠ざけてしまうからです。この状況で「気にしないように」というアドバイスはあまりにも安易で適切ではないと感じますが、「眠れなくてなんぼ」という逆転の発想は、窮地にある時程、有効だったりするものです。今は苦しみの中ですが、少しでも早く平穏が訪れることを願っています。
(樋之口潤一郎)

「双極II型障害の療養に森田療法を生かすときに」 '15.7 

 Sさんは、「軽い操うつの疑いがあります。気分が爽快になり、とにかく新しい事をはじめたい、という気持ちでいっぱいになります。森田療法は操うつにも有効ですか?」と書き込まれています。
うつ病、とくにうつを繰り返す人の中に、実は軽い躁の時期を持つ人が意外に多くいる、と言われています(診断では「双極II型障害」といいます)。森田療法を受ける人たちの中でも、それは例外ではありません。 うつに関する森田療法のポイントはこれまでの専門医アドバイスを参照していただき、ここでは、軽躁を含めた気分の波との付き合い方と森田療法について書いていきたいと思います。
軽い躁状態のある方は、「元気な自分、どんどん動ける自分」(=少し調子の高い自分)を「本来の自分」ととらえがちです。そうすると、少し調子の高い自分を「こうあるべき自分」と設定してしまい、無理をしてしまったり、そうでないときの自分を「こんなはずではない」「これでは駄目だ」と受け入れられず、焦ることでうつの状態を長引かせてしまったり、次のうつや躁のサイクルを早めてしまうという悪循環に陥ってしまいます。
 軽い躁の状態の時は、気づかずに過活動(動き過ぎ)となり、また疲れにも気付きにくいため、結果として過労になりがちです。それは次のうつにつながりかねない訳です。
 うつの状態の抜けてきたときに、「やれるときにやらないと」というように「取り返す」という発想で動いてしまうことにも注意が必要です。
また、「のめり込むように活動する」(「熱中性」といいます)傾向を持つ人も多いようです。「ともかくどんどん行動するのが森田療法」と誤解されてしまいがちですが、森田療法は「その時の状態と状況に応じた動き」を大切にします。
 Sさんも「気分が爽快になってきたら、やるべき事に集中するようにすると多少おちつくような気がします。」と書き込まれています。そうした、「日常の動き」「普段の動き」を持ち、手を動かしていくことも、気分の波と付き合うコツといえそうです。
 心身と生活のリズムを大切にすること。とくに睡眠リズムは自分でも客観的にとらえやすい指標です。
また、「聞く耳を持つ」こと。自分では波にはなかなか気付きにくいもの。気分の波のさなかには難しいことでもありますが、家族や身近な人の言葉に耳を傾けることを意識しておくとよいでしょう。診療を受け、ご自身の状態について主治医と相談すること 、気分安定薬などの薬物療法も味方につけることも、大切にしてください。気分の波をねじ伏せるのでもなく、気分の波に大きく振り回されてしまうのでもなく、気分の波と上手に付き合い、そのときに応じた行動の調整をしていきましょう。
(塩路理恵子)

「初老期うつ」 '15.6 

 kさん、初老性うつというタイトルで、「人生後半を生きるために」という意味深いことばで端的に結ばれているのが印象的でしたのでコメントいたします。
最近の精神科では米国の診断基準DSMでの診断が主になってきており、年代によるうつの区別はあまり聞かなくなってきました。DSM診断では年代に関わらず、うつの症状が揃っていれば大うつ病という診断になります。
 初老期うつ病とは一般的に40歳から60歳に初発するうつ病のことを指していました。またの名を遅発うつ病、退行期うつ病と呼ばれました。その症状には特徴があると言われていて、あまり行動の億劫さは前面に出ず、強い不安や焦燥感、(自分が悪いことをしたと確信している)罪業妄想や(自分が悪い病気であると確信している)心気妄想を持ちやすいことが特徴的です。また柔軟性に欠く強迫的な病前性格、興味の幅が狭く変化に対応できない、非社交的、過剰な道徳性、潔癖などの特徴もあります。この性格的な特徴の中には、強迫的、過剰な道徳性、潔癖は森田のいう神経質性格とかぶるところも多いです。
 治療ではまず不安、焦燥感、時に妄想も持ち合わせているとまずは薬物療法で辛さを軽減する必要があります。これらの症状が軽減し、次第にうつ状態が改善してきたら発症状況を振り返り自分の生き方を見直していきます。目安としてはうつ状態が70〜80%くらいまで回復してからが良いでしょう。
最後に「人生後半を生きるために」大事な点は、

(1)過労を避け年齢相応の体力に見合った仕事量にしていく
(2)自分一人で仕事を極めるだけを生きがいとせず、自分たち
   の子供を含めた若い世代の育成で得られる充実感も大切にする
(3)仕事、家庭以外の領域・趣味での人間関係を持つ。あまり趣味がない場合は
   昔の友人とのつながりを復活させる
を考えました。kさんがこれから人生後半を豊かに生きていけることを祈っております。
(舘野歩)

「形から入る 率直なコメントには感謝を」 '15.5 

 Dさんは、相手から「力み過ぎ、お前といると疲れる」と言われたとのこと、一生懸命やった結果がこのようだとショックですよね。
Dさんの文面からも、真面目な生き方をされてきた方だということがよくわかります。目的本位自体は悪くないですし、緊張しながら仕事をしているDさんのひたむきさは他の誰にも真似できないことなのだと思います。
 しかし周囲から見るとしかめ面が困ると言われる、それであれば表情を緩めたらどうでしょうか?表情を緩めるなど「形から入る」ことで、Dさん自身の心の中も変化します。「しかめ面が困る」と言われたら、表情を緩め「普段は笑えるんですけどね」など軽く流したらどうでしょうか。「ユーモア」というのは人間関係の潤滑油として大切なものです。敢えて面白い人を演じる必要はありませんが、表情を形だけ緩めることから始めて下さい。そうするとDさんの心の中にも不思議なことにゆとりが生まれるかと思います。
また真面目な方というのは知らず知らずのうちに周囲にも自分と同じような真面目さを求めてしまうことがあります。後輩などに自分と同じことを求めていないでしょうか。他人を自分の型にはめようとしていないかだけは注意しておいた方がよいでしょう。目的を完遂するだけでなく、例えば後輩にねぎらいの言葉をかける、「今日は大変だったね」などの言葉は潤滑油になりますね。
 「力み過ぎ」など率直に印象を返してくれる同僚(か上司かわかりませんが)には感謝しましょう。歳をとっていくと率直に自分のことを指摘してくれる人は減るものです。指摘されるという事は同時に期待されていると読みかえることができます。相手に期待しなくなると人は黙ってしまいますから。
Dさんは目的本位で仕事も出来る方。あなたはあなた自身でよいと思いますが、周りとの関係改善を求めるのであれば表情や言葉の潤滑油をプラスしてみて下さい。
(石山菜奈子)

「歩行障害について」 '15.4 

 Aさんは歩行障害により、外出もご家族の付き添いで最低限しかできない状態にあられるとのこと。急に始まったものなのでしょうか。付随する症状が他にもあるのでしょうか。いずれにしろ、ふらふらした状態にあるというのは、大変お辛い状況であると思います。
 このような症状の場合、まず大切なのは、歩行障害が身体疾患によって引き起こされているかどうかの鑑別です。現在、神経症という診断で治療を受けられているとのことなので、他の身体疾患による可能性がすべて排除されたあとの診断なのかもしれませんが、その点がまず大切であると思われます。
身体疾患によるものでないとされた場合には、森田療法の考え方がお役に立つかもしれません。人は何のために歩くのでしょうか?
 したいことがあってそのために移動する。用事があってそのために移動する。そのもともとの歩行の意味を考えると、Aさんの生活に応用できる面が見えてくるように思います。症状は辛く、苦しいと思います。その症状をまず治したいのはもっともです。しかし症状がどうにもすぐには変化しないとすると、どうでしょう。
 症状を変化させようとするよりも、自分や家族の生活に必要のあることや、自分がやりたいと思う趣味や、行きたいと思う外出先に出かけるなど、生活を広げていくことに力を注いでいくことが大切なように思います。家の中でじっとしていると、病気のことばかり考えてしまったり、自分にどんどん自信がなくなってしまいがちです。まずは座ってできる家事や、近所への散歩など、できるところから手を付けてやってみてください。そうして、やってみてどんな感じがするか、時間の流れはどうか、どんな気持ちがするかをよく味わってみてください。
 森田療法の入院療法では、臥褥(がじょく)といって、最初の一週間を食事や洗面以外は動かずに、横になって過ごします。動けない状況に置かれると、それまで不安で圧倒されていた患者さんは安らぎを感じ、それまでの疲れから深い眠りに落ちることも少なくありません。そのうち、疲れも和らいでくると、様々な思いが頭をよぎるようになり、そのうち退屈感や活動欲が刺激されてくるようになります。その自分の欲求が臥褥期以降の作業へ突入するきっかけになってくるのです。あまり自分の欲求がわかりにくい場合には、家で臥褥を試してみてもよいかもしれません。その中で、自分の欲求の一端に気づくことができたら、それはAさんの生活を整えていく上で大事な指針になっていくはずです。
 身体症状が辛いがあまりにやらずにいた必要なことや、自分がやりたいと心動くことに手をつけることで、意外に楽しかったり、自分が人の役に立てる部分を発見し、手ごたえを感じるなど、自己評価が変わってくることも少なくありません。まずは自分の症状という自然には逆らわず、自分の中に湧き上がってくる自然(欲求)に身を任せて、生活スタイルを整えることを最初に行う。そのような生活を送ることは、Aさんの歩行障害が今よりも良くなった時の生活の土台にもなっていきます。
(今村祐子)

「森田療法を通して生き方を考える」 '15.3 

 Tさんは、森田療法でいう悪循環に陥り、生きづらさを感じているとのこと。どのような悪循環なのかはわかりませんが、森田を通してこれからの生き方を考えたいと書かれています。
生きづらさとは、どうして生じるものなのでしょうか。私達は、こんな風に生きたい、こんな自分になりたいと、漠然とであっても何らかの理想を持って生きています。そして、何とか思うような人生を送りたいと模索し、その努力が実る時もあります。しかし、どうしても思い通りにならない現実に直面した時、行き詰まります。生きづらさとは、人生が思い通りにならないことによって生じるというよりも、そうした事実を認められずにもがき続ける時に感じるものでしょう。そして、思い通りにならないことに執着し、何とかしようとして悪循環に陥っていくのです。
 では、理想を求めず、何とかしようという努力もしなければ、生きやすい人生を送れるのでしょうか。確かに悩みは少なくなるでしょうが、生きがいや充実感もきっと薄れてしまうでしょう。
理想と現実は、当然のことながら一致しないことが多いものです。ただし生きづらさを感じる人は、この理想が往々にして高く、そのギャップを認められないために、葛藤を強めてしまうのです。
森田療法では、事実本位を促しています。「こうありたい」という欲求も事実であり、またそれがなかなか理想通りにならないことも事実です。そして、そこで落胆したり、不満に思うことも感情の事実なのです。何より、思い通りにならない自分に葛藤するのは、より良い人生を歩みたいという願望があることであり、これもまた事実と言えます。こうした事実をありのままに受けとめ、今出来ることから一つ一つ実践していくことが、最終的に納得できる人生に繋がるのではないでしょうか。
 抽象的な内容になってしまいましたが、森田療法の考え方は、症状からの脱出のみならず、自分の考え方、生き方を振り返る上でとても参考になると思います。どんな人生を送りたいのか、そのために「今、出来ることは・・」と自分に問いかけてみてください。そして、生きづらさを感じた時には、どこか無理な期待、要求をしていないかを振り返ってみると良いでしょう。それが悪循環に気付くきっかけになると思います。
(久保田幹子)

「屯用薬の考え方」 '15.2 

 Nさんが,相手に嫌われないようにと過剰に考えたり、不安や緊張があり,他にも胃や胸の痛み苦しみもあり,屯用薬がないと辛いようです。
今回は(森田療法における屯用薬の考え方)についてお伝えします。
屯用で薬を飲むことは,症状が出た時や出る前に飲むことになるので,いずれも症状を気にすることになります。そのため症状のとらわれから脱却することから考えますと,屯用でなく毎食後など決まった時間に内服することをお勧めします。
 薬の飲み方について通院されている先生と相談されてみてはいかがでしょうか。運転に支障があるなど,眠気などが強ければ抗不安薬以外の薬を検討するのも一案です。
(矢野勝治)

「不安・焦燥感について(2)」 '15.1 

 Aさんは1か月程前から強い不安・焦燥感で「じっとしていられない」という症状と「体を動かすのが非常に億劫」という症状の為に苦しんでいらっしゃいます。「じっとしていられない」のに「体を動かすのが億劫」と相反するような状態は非常に苦しいと思います。
 一般に森田療法では「不安はあるがままに、今できることに手を出していく(生の欲望に基づいて、建設的な行動をしていく)」ことを勧めています。そのため、不安・焦燥感が強くなった際にも、ある程度出来ることに手を付けていく、というように「動く」ということを勧めています。しかし、Aさんのように、同時に「体を動かすのが億劫」というような症状が出てきている場合は「神経症」というよりは「うつ病」を疑います。うつ病の際に出てくる「不安・焦燥感」は抑うつ症状の一つで、この焦燥感から行動すると、思いもよらぬ行動をとってしまうことがあります。そのため、うつ病の症状としての「不安・焦燥感」が強くなった時には薬物療法を併用しながら、しっかりと休息する必要があります。
 残念ながら情報が多くないため、Aさんの状態がうつ病なのか、神経症なのか、他の要因からきているのか、分かりません。しかし、神経症からくる「不安・焦燥感」とうつ病からくる「不安・焦燥感」では対応が異なりますので、まずは専門医の診察を受けることをお勧めします。
(谷井一夫)

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