神経症を治す〜神経症(不安障害)の治療方法

神経質とはどんなものか?


記念講演といたしまして、かつて私が新たに定義を与えたところの『神経質』というものについてお話しいたします。これはもと、神経衰弱といいならわしてきたもので、この神経衰弱は複雑なる生活から起こる文化病とか、心身過労の結果起こるものであるとか唱えられていますけれども、これらはみな誤った考え方であります。この病名は、米国のベアードという人がつけたもので、それ以来種々のの病理説が唱えられ、物質的あるいは精神的にほとんどかぎりのない治療法が試みられていますけれども、そんなことではけっして治りません。治ったようでも間もなく再発して、慢性不治のものとなります。しかるに、しかるに、私が初めて大正4年頃から、この病気の本態を発見して、ようやくこれを根治することができるようになりました。

一口にいえば、この病気は精神的に気のせいで起こるもので、けっして神経の衰弱 から起こるものではありません。これは主として、ある特殊の気質の人に起こるもので、私はこれを『神経質』と名づけて、神経衰弱という病名を否定したのであります。

せんじつめれば、じつはこれは病気ではありませんから、これを病気として治療してはけっして治りません。ただこれを普通の健康者として取りあつかえば容易に治るのであります。これから起こる症状は種々雑多で、ほとんど極まりがありません。頭痛もちとか・女の血の道、持病の癪とかいうものも、この中に属します。普通ありふれの不眠、耳鳴り、めまい、心悸亢進、脈摶結帯、胃のアトニー、下痢便秘、腰の痛み、性的障害、その他頭がぼんやりして読書ができないとか、手がふるえて字がまったく書けないとか、あるいは赤面恐怖、不潔恐怖、その他さまざまの強迫観念があります。中には、まる二年来まったく眠らないとか、鼻の先がチラチラして気になるとか、あるいは口の中がムズムズしていつも心がそのことばかりに執着していることが数年にわたるとか、ほとんど思いもよらないような病態がたくさんにあります。

これはじつは、何かの機会に、普通の人のだれにでも起こる不快の感覚をふと気にし出したことから起こるものです。そののちには、これを神経質の性質、つまり自己観察が強くてものごとを気にするということから、常にこれを取り越し苦労するようになって明け暮れ、そのことに執着することから、次第次第にその不快感が憎悪するようになります。のちにはそれがあたかも夢におそわれるように、事実でないものをその本人の身にとっては実際に重い病気のような苦悩にかられるようになるものであります。それは神経質の患者がつねに申し合わせたように告白す るところの、「他人からはまったく病気でないように見えて、ただ自分ばかりが苦しい。こんな損な病気はない」というとおりであります。すなわち実際の病気ではないということは、これによってもわかるのであります。

この私の発見は、コペルニクスの地動説にも比較することができるかと思います。それは、従来の医学では身体の変態、異常から他動的に起こると考えられていたのがじつは自分自身の心から自動的に起こるということになったからであります。この理論によって、神経質の、従来きわめて難解であったいろいろの複雑な症状が簡単に説明されて、容易に全治することができるようになりました。この発見は、もとより私でも、けっして一朝一夕に成功したものではありません。医者になってから二十余年の間は、従来のいわゆる神経衰弱に効果があるといわれる物質的、精神的な療法はもとより、通俗療法、迷信療法までもやりつくしてのちに、はじめてその苦心が報いられたのであります。

(昭和9年10月10日・森田正馬の「神経質講義」より)
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