メンタルニュース

メンタルニュース NO.30

<教育特集>学校教育への森田理論の導入・活用

森 昭三(筑波大学名誉教授)

1.「心の健康を保つ」ためには、何をどう学んでいるとよいのだろうか?

読者のみなさんの多くは、学んだことがあるので記憶にある人もいるかとも思いますが、手元にある中学校の保健体育の教科書をみると、「欲求不満やストレスへの対処」という項目があり、「心の健康を保つには、欲求不満やストレスに適切に対処する必要がある」と記されています。現在、小学校でも、高校でも同じように「適切に対処することの必要性とその方法」を理解させることが保健学習での「精神保健」の重点となっています。もう少し詳しくみると、例えば、ストレスについては、「ストレスが大きすぎたり、長く続いたりすると、心身に悪影響を及ぼすことがあるので、適切に対処することが大切です」と強調し、「ストレスへの対処には、心身をリラックスさせる、趣味などで気分転換をする、見方や考え方を変える、友達や周囲の大人などの信頼できる相手に相談するなど、さまざまな方法があります」と書かれています。
結論を先取りするならば、私はこのような対症療法的な<対処方法>を学ぶだけでは充分ではなく、本メンタルニュースでよくとりあげられている森田正馬が創設した森田療法の基本的な考え方・実践方法を学ぶことが必要と考えています。そのためには、子どもたちに教える前に、先ずは教師が、そして保護者が学び、森田理論からいろいろなことを発見し、感動するといった体験をして欲しいのです。そして、子どもの行動を善悪(価値判断を伴う道徳)だけで判断するのではなく、その行動に込められた子どもの思い・意味にも考えをめぐらし、森田のいう精神健康の方向から適切なアドバイス(森田が役立った体験を伝える)のできる教師・保護者に成長して欲しいと考えています。

2.<べし>と<べからず>があふれる学校、そして社会

先ずは、森田の考え方の必要性の根拠を明らかにし、次いで健康な心を保つ「道しるべ」となる森田理論のキー・コンセプト(鍵概念)を紙幅の許す範囲で紹介することにします。この小論が、森田についてもっと知りたい、と触発される契機となることを願っています。
数年前、朝日新聞朝刊の「天声人語」に、次のように書かれている一文が目にとまりメモをしています。

子どもの周囲に、かつてなく〈べし〉と〈べからず〉があふれている。少なからず人の実感ではないだろうか。たとえば、勝ち組みめざしてひた走る勉強は〈べし〉の象徴だろう。そして、外で遊ぶ姿のあまりの少なさには〈べからず〉の極みを見る思いがする。
朝日新聞「天声人語」より

「天声人語」が指摘しているような、私たちの生活のあちこちにはびこっている<べし>と<べからず>という信念・考え方は、後述しますが、心の健康を保つことの邪魔をしますし、不健康に陥らせる危険性をはらんでいます。残念ながら、こうした状況が子どもたちの周囲にあふれているのです。多くの子どもたちは、<べし>と<べからず>という大人たちの期待に応えようと、自分のやりたいこと、言いたいことも犠牲にして、「よい子」であろうと一生懸命に努力しています。子どもだけでなく、大人の世界も同じであると感じる人も少なくないと思います。こうした問題の存在は今日的なことではなく、本小論で紹介する森田正馬博士(1874〜1938年)も指摘していることなのです。
森田が創設した森田療法は、日本で生まれた神経質症(不安障害)治療のための理論ですが、人間の心の動きを<現実に即して>理解し、そこから日常生活の指針を得る方法とその大切さを明確に示しています。つまり、<現実に即して>理解していないところから心の問題が発生すると指摘したのです。

3.予防・開発的森田教育理論

私は、森田療法の考え方を知ることは学校本来の心の健康を保つ教育機能を補強し発展させることに有効であると考え、積極的に導入するよう活動を展開しています。森田療法が症状の改善に留まらず、性格を陶冶し自己をよりよく生かすことを目標としているので、私は「人間形成的森田教育理論」や「予防・開発的森田教育理論」と呼ぶことがでると考えているのです。
森田は、教育に対する考えも積極的に述べているのです。例えば、氏はモンテッソーリ教育法に共鳴し、子どもの教育について次のように述べています。

「私の神経質の療法は、身心の自然発動をさかんにし、むしろおのおのその人の病的傾向を利用して、いたずらにこれを否定抑圧することなく、人の本然の能力を発揮させようとするものである。それ故、私はこの療法が神経質児童はもちろん、普通児童の教育上にも参考となることが多いと信じる。
イタリアのモンテッソーリ女史が精神病学の研究から発足して、白痴教育を研究し、さらに転じて幼稚園教育を創意し、着々として見るべき成績をあげた。その主眼とするところは、子どもの自発活動を重んじ、従来の注入的・鋳型的の方法を排して、自由、独立独行ということを主意としたものである。」
『神経質の本態と療法』森田正馬著(白揚社)

ここで指摘している注入的・鋳型的な方法とは、まさに先に紹介した<べし>と<べからず>と同根なのです。下線で示したように、森田は「人々に本来備わっている<生きる力>を引き出す」ことを目標としているのです。もう一つ、森田が勉強の方法について書いていることについても紹介しておきましょう。

「・・努力主義を立てて、勉強しなければならぬ、読書に熱中しなければならぬという風に、理想を押し立てると、読書をしても、雑念がそれからそれと起こり、興味を失い、理解ができず、ついに読書のことを思い出すも恐ろしいという読書恐怖の強迫観念にかかる。
しかるに、このとき、ただ時と場合とに応じて、当然のこととして、小説のようなものには興味を駆られ、試験勉強の時には、苦痛を起こす。おのおのその感じは、そのまま感じとして、興味にも耽溺しないように、苦痛もこれを努力するようにすれば、自ずからそこに調節ができて、読書も上手になるものである。」
(『森田正馬全集第五巻』白揚社)

4.「心の健康」とは?

さらに森田理論を紹介するまえに、冒頭で述べた「心の健康」についてどのように考えるとよいかについて述べておきたいと思います。
あの人は「心が健康である」とか、「心が病んでいる」といった場合、どのようなことをもとにして判断しているのでしょうか。小学校に行くと、学級や学校のモットーとして壁に「明るく元気な子」が掲げられていることが少なくありません。いつも明るく元気な子である<べし>なのです。それ以外は<べからず>なのです。いつも明るく元気な子が教師の求める「よい子」であり、「健康な子」なのです。
ですから、そうでない子は、不健康な「だめな子」というレッテルを貼られてしまうのです。貼られないとしても、こうした学級・学校のモットーのなかにいると、自分は「だめな子なのだ」と思い込んでしまい、自信をなくし劣等感を抱いてしまうことが少なくありません。
身長の高い人もいれば低い人もいますが、身長の高低は「個性」と考えられています。同じように、明るい元気な人もそうでない人も、その人のもつ「個性」と考えることができないでしょうか。日本LD学会長の上野一彦は、LD,ADHD, 高機能自閉症などの発達障害は「理解とサポートを必要とする<個性>」と言っています。(『LD(学習障害)とADHD(注意欠陥多動性障害)』講談社プラスアルファ新書、2003)
「共生社会」と言われる今日、こうした考え方を認め合うことが必要です。
では、心の健康や不健康とは、どのように考えたらよいのでしょうか。私は、東京慈恵会医科大学精神医学講座初代教授であった森田の後継者である高良武久による「心の健康とは」の、次のような具体的な説明に賛同しています。「健康な生活をすれば、心も健康になる」ということであり、子どもの教育にぜひ生かしたいものです。

  1. 建設的な作業をつづけることができる。
  2. 物事をあるがままに見、あるがままに判断することができる。
  3. 他人に対して愛情をもつことができ、人の幸福を喜び、
    不幸を悲しむことができる。
  4. 自制心、反省心をもつている。
  5. 自分の行動に責任をもつ。
  6. 精神的弾力性があって融通がきく。
  7. ユーモアを解し、人生を楽しむゆとりがある。
    「森田療法のすすめーノイローゼ克服法」高良武久著(白揚社)

氏は、以上のような属性を備えた人格の人は、健全な社会でなら、いつの時代でも環境に順応して、その社会に貢献し、自ら発展していけるものと思われる、と述べています。注目すべきことは、「健全な社会なら」と条件をつけていることです。

5.現実に即する・事実を重んじる

森田理論の基本となっている考え方の一つが、「事実を重んじる」(事実唯真)ということです。「事実を拠り所にして判断し、事実をありのまま認める」ということであり、前掲した高良の2)の「あるがまま」に相当することです。一寸わかりにくいかもしれませんので、森田の言う不安のメカニズムについいて具体的に説明します。
人それぞれが持つ理想や観念(ものごとに対する考え方・思想)と事実(実体のある事実)が食い違うと「葛藤」(心の中に、それぞれ違った方向あるいは相反する方向の力があって、その選択に迷う状態:広辞苑)を起こすことになります。
例えば、誰でもが面接試験や発表会等で「あがって困った」という経験をしたことがあると思います。緊張して「あがる」ことに悩んでいる人は、あがることのない自分になろうと四苦八苦しいろいろと行動や心のやりくり(「はからい」と呼ばれます)をします。しかし、あがるまえと注意がそれに向くと、ますます感覚は鋭敏になり、さらに緊張がつのって一層あがってしまうのです。
この「あがらない自分」でありたいというのが<理想>、あがることを「自分の努力で直す」ことができるというのが<観念>、そしてあがるということは「自分の意志では変えられない自然(生理)現象」なのであって、いくら努力してもどうにもならないというのが<事実>です。
つまり、あがることを異常と思い、「あがらない自分」でありたいとこだわっている人は、食い違いによって葛藤を起こし、不可能な努力に「はまっている・とらわれている」ということができます。ひどい時には様々な症状(心身症や適応障害)を形成してしまうことになるのです。

6.<とらわれ>ないために:心理的メカニズムを知り、行動する

では、どうしたら<とらわれ>から抜け出ることができるでしょうか。 面接試験の前に緊張するのは誰でもが経験することです。「不安と欲望」とには表裏一体の関係があり、緊張・不安が強い人ほど、その裏側によい成績をとりたい・とらなければならないという気持ちが強いのです。森田は「精神交互作用」と言っていますが、困ったことに、緊張してはいけないと思えば思うほど、そのことばかりに注意と感覚が集中し鋭敏になります。つまり、緊張が高まるのです。しかも、緊張してはいけないと考えると、かえって自己の羞恥や赤面、緊張にとらわれていまうのです。このことを森田は、「思想の矛盾」と呼んでいるのです。
「緊張すまい」と努力すれば「精神交互作用」や「思想の矛盾」により一層緊張するだけですから、そうした不可能な努力は止めて(受容)、それはそのままに(自然に服従)して、よい成績をとるために必要な面接試験の勉強に取り組むなど、適切な準備に集中すればよいというのが森田の基本的な考えです。つまり、緊張・不安をそのまま(「あるがまま」)にし、その裏側にある「生の欲望」を実生活のなかで建設的に発揮していく、そうした生き方を身につけていこうというのが森田の基本的な考え方なのです。「気分本位」ではなく「目的本位」の日常生活をすすめているのです。 森田は「生の欲望と死の恐怖とは同一事実の両面にほかならない」と言っているのですが、私は子どもたちが、不安や悩みがあるということは、自分のなかに、生きる力があると考え、不安や悩みの背後にひそむ前向きなエネルギー(森田の言う生の欲望:より良く生きたい、自分を向上させたい)に目を向けることができるように育てたいのです。つまり、不安や悩みには大切な「意味」があることを認識し、それを生かすよう建設的な行動のとれる態度を育てたいのです。昔の人は、「悩みによって心を深く耕される」と言っています。畑は深く耕されることによって、作物を実り豊かにします。心は悩みによって深く耕され、精神的な作物を実り豊かにするのです。

向上する人間にとっては、不安や苦悩もまた生活の重要な内容、つまり「生きる意味の探究」にほかならないと考えることができるのです。不安や苦悩は、確かに不快な感情です。
しかし、失敗すると困るからよく準備して慎重に取り組もうと考えられるように、不安は物事を安全な方向に導くために必要な「道しるべ」(生体防御反応)としての役割を果たしていると考えることができます。言い換えるならば、目の前の状況に適切に対処ができるように、いろいろなことを教えてくれたり、気づかせてくれたりするものなのです。つまり、不安は不安の背後にある欲望をしっかりと充足させなさいという「警告反応」であると考えることができるのです。身体の痛みやだるさが、身体の不調を教えてくれるのと同じです。

7.森田理論のカリキュラムづくりと実際

これまで森田理論のキー・ワードを太字で示してきました。これらにかかわることは教育内容として導入し、活用したいと考えています。
不安障害などで悩んでいる、あるいは悩んだ人達が森田理論の集団学習運動を展開している「生活の発見会」(自助グループ)という団体がありますが、そこではテキスト『新版 森田理論学習の要点』(生活の発見会編)を使って学び合いをすすめています。とりあげられている項目は、次の通りです。

  1. 神経症の成り立ち
  2. 神経質の性格特徴
  3. 感情の法則
  4. 欲望と不安
  5. 行動の原則
  6. 「あるがままに」と「純な心」
  7. 森田療法の人間観
    「新版 森田理論学習の要点」(生活の発見会編)より

感情の法則と行動の原則は、森田の重要なキー・コンセプトですから繰り返すことになりますが、簡単に説明しておきます。人には感情があり、悲しかったり怖かったりします。こうした感情が起こるのは人間の内なる生理的な自然現象であり、理性・意志によってコントロールできるものではありません。ですから、不安や恐怖などの感情には抵抗せず、感じたままにしておくしかないのです。「感情は自然現象」ということは、自然現象である気象と同じと考えるとわかりやすいと思います。つまり、雨の日はいつまでも続くことがなく晴れる日が必ず訪れてくるように、悲しい日がいつまでも続くことはありません。悲しいときに悲しむまいと感情を直接変えようとしても不可能なのですが、感情は行動にともなって変化します。その行動は、自分の意志でコントロールすることが出来ます。ですから、不愉快な感情をそのまま感じながらも、その時その時の必要な行動(実践)をしていけば、感情は自然に変わってくるものなのです。
専門的になりますが、日本森田療法学会が標準的な外来森田療法の指針を示すために、2009年に『外来森田療法のガイドライン』を作成していますが、次の5つの要素があげられています。

  1. 感情の自覚と受容を促す
  2. 生の欲望を発見し賦活(活発化)する
  3. 悪循環を明確にする
  4. 建設的な行動を指導する
  5. 行動や生活のパターンを見直す
    「外来森田療法のガイドライン」(日本森田療法学会 企画/編集)より

森田理論を学校教育に活かすためには、発達段階に応じたテキストになるようなものを早急に作成する必要があると考えています。その試みとして、前述の2冊を参考にしながら読者の多くが養護教諭である『健』という月刊誌(日本学校保健研修社)に「健康な心であるために?心のメカニズムを知る」と題して、とりあえず教えたい内容について2010年3月号から8回にわたり連載しました。
管見ですが、高校などでは養護教諭が保健室登校生徒に対する健康相談活動に森田療法を活用して実績をあげた実践記録(不安や抑うつ、自己臭恐怖など)が発表されていますし、担任教師が生徒指導や保健指導で森田理論を導入し生徒を立ち直らせたという実践記録(緊張に伴う腹痛などの身体症状など)も発表されています。養護教諭は森田の日記指導を援用して成果をあげているのです。これについても『健』で「森田流『日記指導』のすすめ?健康相談の一方法として」と題して2011年11月号から2回にわたって紹介しました。その後、2回にわたって養護教諭による日記指導の実践記録が連載されています。参照ください。

8.おわりに

いま、子どもの日々の生活の中で身近な他者と「感情を共有する体験」や「自力の喜び」の機会が欠如しています。これらは、人間に本来備わっている基本的欲求・「生の欲望」ということができます。子どもたちが、こうしたことを実現できる場所や時間、そして仲間といった環境づくりへも関心を払い、心の発達援助のできる読者であることを願ってペンを擱きます。

森昭三(筑波大学名誉教授)

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