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メンタルニュース

メンタルニュース NO.36

「外来森田療法のガイドライン」について:その2

  中村 敬(東京慈恵会医科大学附属第三病院・院長)

1.森田正馬博士(1874〜1938)

はじめに

森田療法は臥(が)褥(じょく)(注1)や作業など特色のある入院療法が基本形です。けれども最近では精神科や心療内科クリニックの外来、職場や学校の医務室、相談室などの場において、通院(通所)形式で森田療法を実施する施設が増加してきました。
そこで日本森田療法学会では2009年に「外来森田療法のガイドライン」(中村敬、北西憲二、 丸山晋ほか。2009。以下、ガイドラインと略します)を作成しました。これは森田療法に携わる医師や心理療法士など(以下、治療者と呼びます)が、外来で森田療法を実施する際に指針として活用すべきものです。このガイドラインは、すでに英語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語、中国語に翻訳されていて、フランス語版も作成途上にあり、外来森田療法の標準的な進め方として世界に受け入れられています。ここではその要点をなるべく一般の方にもわかりやすく紹介することにいたします。
(注1)臥褥とは床につくこと。4期ある入院森田療法の第1期で行う。通常は、7日間程度行う心身の休息で、明かりを消した静かな個室で1日中、ふとんに横になって何もせずに過ごし、疲れている身体を休め、悩むだけ悩み、不安や症状を打ち消さないで過ごす。

※参考文献:『よくわかる森田療法 心の自然治癒力を高める』中村敬 著(主婦の友社)

I. 治療へ導入する時期に行うこと

来談者を外来森田療法へ導入するに当たっては、本人の治療意欲を引き出す(動機づける)とともに、症状を悪循環的に増強させている心のからくりを明らかにして、治療の目標を定めることが課題になります。通常は初回もしくは2回目までの面接において実施されます。

1.症状の底にある感情と欲望に理解を導く

来談者の悩みや症状を具体的に尋ねることが、面接の出発点になります。その際には、神経症の症状のみなもとにある不安や恐れは、よりよく生きたいという人間本来の願い(生の欲望といいます)と表裏の関係にあることに理解を導くのです。
たとえば社交不安症(社交恐怖)の人たちが抱く「他人から悪く思われるのではないか」という不安の裏には「人からよく思われたい、認められたい」という欲望があります。また病気不安症(心気障害)の人の「深刻な病気にかかっているのではないか」という懸念の裏には「健康でありたい」という欲望が存在します。このように不安や恐れとその裏にある願い(欲望)は、どちらも自然な人間心理の両面に他ならないのです。にもかかわらず、神経症の人々は、これらの不安や恐れを異常なもの、あってはならないものと考え、それらを排除しようと努める結果、かえって不安や恐れが増して、症状にとらわれていくのです。こうした点に来談者の理解を導くには、図などを用いて治療者が直接説明を行うといったやり方と、質問を重ねることで、来談者自身が症状の根本にある感情や、その裏にある欲望に気づいていくよう促す間接的なやり方があります。

2.外来面接写真

2.とらわれ(悪循環)のからくりを示す

とらわれ(悪循環)は、神経症が生じるからくりであり、森田正馬は「精神交互作用」と「思想の矛盾」という少々難しい言葉を使ってそれを説明しました。たとえばパニック症(パニック障害)の人は、心臓が急にドキドキしたといったきっかけから、自分の注意が心臓のあたりに向い、不安感がつのるとともにドキドキが益々強まるという悪循環によって症状を発展させるのです。精神交互作用とは、このような注意と感覚の悪循環を意味します。
3.神経症の発症機制(とらわれの機制)図1
また社交不安症の人によくある赤面恐怖の場合は、何かの折りに人前で恥ずかしく感じ顔が赤らむといった当たり前の感情や生理的反応を「ふがいない」「もっと堂々としていなければならない」と考え、恥ずかしがらないように努める結果、かえって自分の羞恥や赤面にとらわれるのです。こうした「かくあるべき」「かくあってはならない」という考えによって自分の感情をコントロールしようと努め、悪循環に陥っていく様を思想の矛盾といいます。
とらわれは、面接を重ねる中で繰り返し明らかにされる必要がありますが、治療導入の時点では、来談者がこれまで症状から逃れようとしたり、症状をやりくりしようとしてきた努力(はからい)が、かえって症状を悪化させている事態を簡単に指摘すればよいでしょう。たとえば強迫観念を有する人に、考えを打ち消そうとすればするほど、いっそうその考えが増強する事実を示すというように、です。とらわれを明確にすることは、「自分の性格に弱さがあるから」「自分がだめだから」と悩み、無力感にさいなまれている来談者に、そうではなく不安や恐怖への関わり合い方が問題だと伝えることでもあります。つまり問題は「弱さ」や「だめだから」ではなく、とらわれのゆえであり、悪循環から抜け出せば問題は解決できるのだ、という希望を与えるのです。
4.これが神経症のからくり人形だ・イラスト1

3.あるがまま」の態度を説明し、治療目標を定める

症状に対するはからいが、とらわれをもたらすことを明らかにしたなら、次にはとらわれから脱するため、症状に対してこれまでとは異なる態度が求められることを伝えます。それがすなわち「あるがまま」の態度です。あるがままとは、第1に、症状や不安をやりくりしようとせず、そのままにしておく姿勢を意味します。「症状と闘わないこと」「それとつきあってみること」など、いままでの患者のやり方とは全く違った対処の仕方を助言します。第2には、症状や不安の裏にある生の欲望を、実生活において建設的な行動の形で発揮していくという、より積極的な意味があることも伝えるのです。最終的には、あるがままの自分をよりよく生かしていくということが治療の目標に置かれます。

II. 外来治療の基本的な要素

ガイドラインでは外来森田療法の基本的な要素として、「感情の自覚と受容を促す」「生の欲望を発見し賦活(ふかつ)する(※注2)」「悪循環を明確にする」「建設的な行動を指導する」「行動や生活のパターンを見直す」の5つを挙げています。 (※注2)活性化させること。

1.感情の自覚と受容を促す

先にも記したように様々な神経症症状の根底には不安や恐れの感情が存在します。しかも症状を抱える人々は、こうした不安や恐れのような不快な感情に過敏に反応して、それらを取り除こうと努めたり、こうした感情を避けるために必要な行動も回避することがしばしばです。不安や恐怖の他にも、人によって様々な感情が体験されています。社交不安症の人々は羞恥や怯えの感情を、強迫症(強迫性障害)の人々は苛立ちや怒りの感情を抱きがちです。これらの人々が自分の感情を受け入れるには、まずそうした感情に気づかなくてはなりません。そこで治療者は「そのときどのように感じていたのですか?」「どんな気持ちだったのですか?」といった質問を繰り返すことによって、自分の感情を自覚できるように促すのです。
さらに来談者には、自分の感情の流れをしっかりと見つめるよう助言していきます。パニック発作を例に挙げれば、米国精神医学会が定めた診断分類、DSM-5(※注3)の基準をみると「数分以内に頂点に達する」ということが明記されています。頂点を過ぎれば、徐々に不安はしずまっていくのです。森田が記したように「感情はこれをそのままに放任すれば、時を経るに従って自然に消失する」という「感情の法則(※注4)」に本人が体験的に気づくことができれば、はからわずにそのままにおくこともできるようになっていくのです。
ただし、神経症の人々の不安に伴う苦痛や不快は相当の程度だということは理解しておかなくてはなりません。来談者が、そのような苦痛を伴う感情を抱えることができるためには、治療者が共感を持って接することがなくてはならないのです。

(※注3)
DSMとは、米国精神医学会が作成する精神疾患・精神障害の分類マニュアルであり、現在の最新版はDSM-5。


    (※注4)
  • 第一:感情は、そのままに放任し、またはその自然発動のままに従えば、その経過は山形の曲線をなし、ひと昇りひと降りして、ついに消失するものである。
  • 第二:感情はその衝動を満足すれば、急に静まり消失するものである。
  • 第三:感情は同一の感覚に慣れるに従って、にぶくなり不感となるものである。
  • 第四:感情は、その刺げきが継続して起こるときと、注意をこれに集注する時とに、ますます強くなるものである。従来、感情はこれを表出するに従って強くなる、といっているのもこの条件によるものである。
  • 第五:感情は、新しい経験によって、これを体得し、その反復によって、ますます養成される。

※文献:『神経質の本態と療法』森田正馬 著(白揚社)

5.コントロールできないものもある・イラスト2

2.生の欲望を発見し賦活する

来談者の不安や症状の裏にある健康な欲望を見いだし、それを現実に発揮できるよう方向づけることは、森田療法の根幹だといっても過言ではありません。そのような生の欲望は、不安を伴う行動にも来談者が踏み込もうとする原動力に他ならないからです。入院森田療法では、臥褥や作業のような身をもっての体験によって生の欲望が活性化されていきますが、外来治療において来談者が自らの欲望を自覚するには、治療者との対話が主な手立てになります。
 ところで治療導入期には、来談者の症状を手がかりに、その裏にある欲望に目を向けることが課題でした。けれども治療を本格的に展開する時期には、症状に関連した欲望ばかりでなく、来談者の日々の生活に内在する健康な欲望を幅広く見いだしていくことが鍵になります。そしてそれらの欲望を建設的な行動に発揮し生活を充実させることを目指すのです。
治療者は機を見て「どうなりたいのですか?」「治ったらどのような生活を求めているのでしょうか?」といった直接の質問を来談者に投げかけるとよいでしょう。ただちに答えが得られなくとも、そのような質問が来談者の自問自答を促すきっかけになることがあります。また、来談者に生活の実際を詳しく聞き、何に関心を寄せているのかを話題にすることが、その人の欲望の発見に繋がることも多くあります。来談者が自らの欲望を言葉にすることによって、漠然とした願いから具体的な形、イメージが手繰り寄せられていくのです。その際、治療者には、来談者によって語られる希求に対して是非を決めつけるような批評を加えず、まずは自然な欲望として受け入れ認める姿勢が求められます。そのような治療者の関わりが、来談者の生の欲望を勢いづけることになるからです。

3.悪循環を明確にする

先にも触れたように、森田療法では神経症の症状が生じるからくりとして、とらわれ(悪循環)に着目します。こうした悪循環を明確にするには、症状が出現したときの来談者の体験に目を向けることが有効です。精神交互作用を明らかにするには、症状出現時の体験を話題にして、「そのとき注意はどこに向かっていましたか?」といった質問を向けるとよいでしょう。こうした問いを通して、たとえばパニック発作のさなかに注意が心臓部分に集中していたことが思い出されたりするのです。
また思想の矛盾を明るみに出すには、「症状が出たとき、どんなことを考えていましたか?」といった問いを投げかけ、「もっと堂々としていなければならない」といった「かくあるべき」の考えにとらわれていたことに気づいてもらうのです。またときには、面談の場面で次のような実験を行うことも効果的です。たとえば人前で字を書くとき、ふるえることをひどく恐れている人には、治療者の前で氏名などを書いてもらうのです。たいてい治療者の面前では、ふだん人前で字を書くときよりふるえが目立たないものです。そのことから、人前で生じる「ふるえたらみっともない」「ふるえないように努めよう」といった意識が、かえってふるえを助長するという逆説的事態(パラドックス)を、今ここで明らかにすることができるのです。

4.建設的な行動を指導する

以上のような悪循環を明確にした上で、治療者は来談者の生の欲望を建設的な行動に結び付けるよう促していきます。来談者はたいてい、症状が改善した後に行動に踏み出そうと考えていますが、治療者は、不安や症状を抱えたまま、今できることから実行していくよう助言するのです。
 森田療法においては、治療者が行動を指示するのではなく、来談者自身が、あるいは来談者と治療者が相談して具体的にどんな行動に取り組むのかを決めることが原則です。ただし、ある程度は行動の選択について治療者の助言が必要になります。よく森田療法では「気分は気分として、なすべきことをなす」よう指導します。日常生活で必要とされる行動に取り組むようにという助言です。そして行動に際しては、目的本位の姿勢を指導するのです。たとえばパニック症の人が洋服を買いに行くとします。神経症の人々はたいがい、外出中に症状が出たかどうか、不安を感じたか否かによって、成功か失敗かを判断します。
このような「症状本位」「気分本位」のあり方から脱し、本来の目的が果たされたかどうか、この場合であれば目的の洋服を手に入れることができたか、しかもなるべく安価でよい品を購入できたかどうかによって行動を評価しようということです。行動の内容については、たとえば不潔恐怖の人が汚いと感じるものにあえて触れるといった、症状に関連したことがらに絞る必要はありません。生活を充実させるには、生の欲望にしたがって、幅広く様々な行動に踏み出していくことです。「〜したい」と感じることを、実行するように奨励することが大切です。また大きな目標よりも、今日実行可能な小さな目標を立てることも指導のポイントです。大きな目標は完全欲が妨げになってなかなか着手できないものですが、小さな目標、ささやかな行動が次の行動の呼び水になり、結果として生活全体が活動的になっていくことも多いのです。さらに行動に当たっては、次のこと、次のことと手早く動くよう助言していくことも森田療法の特徴的な指導です。このように活動的で外向的な生活を実践していくことによって、その人の注意は自然に自分の症状から外の世界へと転換し、関心が広がっていくことになるのです。
神経症のタイプによっては、さらに具体的な行動の助言が必要になる場合があります。たとえば社交不安症の人には、話し上手より聞き上手を心がけることを、また強迫行為の顕著な人には、時間を目安に次の行動に移るよう指導するなどのことです。
 治療者は行動を促すとともに、来談者が実行したことがらには、「やりましたね」「大きな進歩です」などと共感をもって認めてあげることが重要です。一般に神経症の人々はほめられたこと、認められたことの経験が少ないだけに、こうした関わりは、来談者のさらなる行動を勢いづけていくものです。このような対応を重ねることによって、面接の話題が症状のことから来談者の生活の広がりに自然に移っていくようであれば、それは治療の進展を意味するものです。

6.認め、認められていくわたし・イラスト3

5.行動や生活のパターンを見直す

来談者が行動を拡げようとするとき、元々あった「かくあるべき」の姿勢がまた明るみに上ってくることが多くあります。
例えば社交不安症の人が人前でのスピーチに臨む際に、「緊張せず、なめらかに話さなくてはならない」といったことにとらわれるように、です。また、自分ばかりでなく、他人に対しても「かくあるべき」を求め、思うようにならない他人の態度にいら立つ来談者もしばしば見受けられます。このようなパターンを具体的に指摘し、「かくあるべき」の姿勢から脱して「かくある事実にしたがって臨機応変に対処する」よう助言していくのです。先の例であれば、人前で緊張するという事実を受け入れ、その上で伝えたいことが伝わるようにあらかじめしっかり準備し、わかりやすく伝えるような工夫を凝らすといった具体的な対処が大切なのです。
また後者の例では、「他人は自分とはまた違った感じ方、考え方をする」という事実を認め、相手との積極的なコミュニケーションを図り、折り合える点を探す努力を続けることが必要になるのです。こうした助言は、来談者の生活の様々な側面において、きめ細やかになされなくてはなりません。ひとつひとつの行動に現れる「かくあるべき」のパターンを見直すことは、結局のところその人の生き方を問い直すことになります。たとえば神経症の人々の中には、症状が現れる以前から過度の完全主義や「全か無か」「白か黒か」といった二者択一的なスタイルがあり、そのために関わる領域が狭くなっていたり、予測の難しい状況や行動を避けてしまうといった傾向に陥っていることが少なくありません。あるいは「人によく思われたい」一心から、相手の期待に合わせて振る舞うことにのみ目を奪われ、自分は本当に何がしたいのかを忘れている人もいます。こうした来談者の生き方を取り上げ、もっとありのままの自分を認め、その人らしい生き方が実現できるよう援助することが、治療後半の課題になるのです。それは最終的には神経質性格の人々の心の成長につながることです。
以上に記してきたように、

<外来森田療法の基本になるのは>

  1. 感情の自覚と受容を促す
  2. 生の欲望を見出し賦活する
  3. 悪循環を明確にする
  4. 建設的行動を指導する
  5. 行動や生活のパターンを見直す

・・という5つの要素でした。
実際の治療においては、記述した順にしたがって1から5へと一方向的に進んでいくとは限りません。来談者の特性や理解の進み具合に応じて、面談で取り上げられるテーマが行きつ戻りつすることも少なくないのです。ただし、4の行動指導や5の行動に伴う神経症的なパターンの見直しは、治療の中盤以降に集中的に行われることが多く、そこに至るまでに来談者の生の欲望をしっかり見いだし勢いづけるとともに、とらわれ(悪循環)について十分な理解を得ることが必要です。また治療者には、来談者の変化のプロセスに細やかな注意を払い、どのテーマに重点を置いて面接するかを柔軟に考えていくことが求められます。

III. 治療効果をどのように評価するか

森田療法の治療効果は、以下の点を総合的に考慮して評価します。

1.症状とそれに伴う苦痛が軽快しているか

森田療法では、来談者が自分の症状を取り除こうとする努力をやめ、本来の生活に取り組んでいくことを根本に置いています。とはいえ、それは症状の変化を治療上、度外視するということではありません。むしろそのような方向転換が果たされたとき、結果として来談者の症状と苦痛はおのずから軽快に向かうのです。症状とそれに伴う苦痛が軽快していることが回復の必要条件であることは、森田療法とて例外ではありません。

2.生活や行動が変化しているか

しかし、森田療法の効果を判断するには、症状が軽快することに加えて、生活や行動が建設的な方向に変化していることが重要です。生の欲望が現実に発揮され、注意や関心が外の物事に広がっているかどうか、仕事や生活に打ち込んで、やるべきことがなされているかどうか、行動に際しては目的本位の態度が身についているかどうか、そして生活が充実しているかどうかを来談者とともに判定するのです。

7.ドキドキしてもあるがまま・イラスト4

3.あるがままの自分を受け入れているか

さらに来談者が自分自身のあり方を自覚し、あるがままの自分を受け入れられるようになったのであれば、回復の十分条件を満たしたといえます。かくあるべき自分と現実の自分との落差にとらわれるのではなく、自然体で自分らしく生きることができるようになったとき、本当の意味で神経症から解放されたといえるのです。このような変化については、来談者の自己評価が判断の根拠になります。

おわりに

日本森田療法学会が定めた「外来森田療法のガイドライン」に沿って、森田療法を実施する際の要点を解説してきました。ご一読いただいた方々に、外来森田療法の面接について多少なりとも具体的なイメージをお持ちいただけたのであれば何よりです。また現に外来で森田療法を受けていらっしゃる方々には、治療者の面接指導の意図やご自身の治療の進み行きについて、理解の助けになれば幸いです。

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