(視線恐怖、対人恐怖、思惑恐怖、他)
福原 千里(仮名)32歳・OL
私は、父・母・姉・妹の5人家族という環境で育ちました。三姉妹の真ん中の私は、姉や妹が両親から叱られたり、心配を掛けている様子を見ては、自分は怒られない様にしよう、心配を掛けない様にしようと、大人しく真面目に過ごしてきました。両親に認められたい気持ちと、叱られて嫌な気持ちになる事を避ける為に、この様な行動をとっていたと思います。学生時代も、人に嫌われる事や自分が傷付く事を恐れ、人の思惑を気にしてばかりで、自分の本心が言えず、いつも人の言いなりでした。一部の友達からは「奴隷みたい」「何でもいう事を聞いてくれる便利屋」とまで言われ落ち込んだりもしましたが、その一方では、やってきたことが報われず、こんな気持ちにさせたのは友達のせいだと思い込み、腹を立てたりしていました。当時は、嫌われたくない為に、自分で勝手に人の言いなりになっていたという事に気付いておらず、「私がこれだけしているのに・・」という独り善がりな考えでいました。ただ、その感情を表す勇気もなく、いつも心の中で悶々としていました。
この様に、友達に適当に合わせながら過ごしてきたので、一人ぼっちになる事は有りませんでしたが、本心をなかなか出せないので、友達との人間味のある関係が築けず、いつも心の中は孤独でした。それさえも、自己表現できない自分を責める訳ではなく、私の事を理解してくれない周りの人が悪いと思っていました。今思えば、本当に自己中心的な考えで過ごしてきたと思います。
社会に出てからも、学生時代同様、適当に周りに合わせながら過ごしてきたので、なんとかやってこれましたが、結婚1年後に勤めだした勤務先で、とうとう私は神経症的な悩み・とらわれに陥ってしまいました。その会社は、年配の女性1人と、後は男性という構成で、その年配の女性が厳しい為に、私の前任者とその前の前任者は退職する羽目に至ったという事でした。私は、その女性に気に入られようと、その女性の言うこと全てに賛同したり、その女性が喜びそうな事をして、なんとか無事に過ごしていましたが、ある日、些細な事でその女性を怒らせてしまい、無視される日が続きました。何でも自分の思い通りになると思い込んでいた私を戒めるかの様な出来事でしたが、当時の私は「今まで一生懸命尽くしてきたのに、何故こんな態度をとられないといけないの!」と、学生時代と同様、悲しい様な、腹立たしい様な気持ちになりました。
それ以来、その女性が視界に入る事が気になり出し、だんだん他の人の思惑や存在も気になり始めました。「見ない様にしているのに見える」という感覚が異常に感じ、気が狂ってしまったと思った私は、近くの心療内科に駆け込みました。
初めて自分の気持ちを打ち明けた安堵感と、処方された安定剤に、一時はこれで「救われた!」と思いましたが、薬が切れると同じ事の繰り返しだった為、2ヶ月後には通院をやめ、会社もとうとう我慢できずに辞めてしまいました。
そんな弱い部分もある反面、このままでは嫌だという負けず嫌いなところもあり、今までの自分をリセットして、よし次から頑張ろうという気持ちで、次の仕事に就きました。しかし、自分をリセットする事は不可能で、この会社では前の会社以上に、人の思惑が気になり、前に座っている人の顔が視界に入っただけで強い違和感を感じ、仕事に集中できず、発狂しそうな毎日でした。
就業中は、苦しくなるとトイレへ駆け込み、気を落ち着かせる事もありましたが、席へ戻るとまた同じで、私はとうとう気が狂ってしまったと思いました。通勤電車内では顔を上げられず、道で人とすれ違うのも辛く、家族と同じ部屋で顔を合わすのも苦しくなりました。
家族や友達はいるのに満たされず、一人になると泣いてばかりいる毎日でした。結局その会社も半年で辞めてしまい、それからは家で引きこもっていきました。
その後は、ただじっと家にいる毎日でしたが、悩みから開放された訳ではなく、社会との繋がりが無くなった私は、買物などで外出する時は、今まで以上に人に対して恐怖を感じていました。何もせず、じっと家にいることにも罪悪感を感じ、とても辛い日々でした。
けれど、なんとかこの辛さから逃れたい一心で、インターネットで検索していたところ、森田療法と出会いました。すぐに図書館に書籍を借りに行きましたが、そこには私そのもののことが書かれてあり、この苦しい症状が欲望の裏返しだという事を知り、とても驚きました。書籍に載っていた神経症の自助グループの「生活の発見会」に問い合わせ、早速参加した会合では、親身になって悩みを聞いて下さる先輩方にとても救われたと同時に、明るく元気な姿を拝見して「これで治る!」と確信しました。その後、森田療法を勉強する学習会や、月に一度の集談会の中で、「人間」に対する自分の考えが間違っていたことに気付かされ、また、自分一人が辛い訳ではないという事も分かりました。
「感情と行動は別」という事も教えて頂き、不安はありながらも仕事や家事などが出来る事を体感していき、だんだん元気を取り戻していきました。ただ、そうやって毎日は過ぎていきましたが、坦々と日々の用事をこなしているだけで、それ以上進歩のない自分にいつしか気付き始めました。成長したいと思いながらも、不安に負けて新しい事に手を出さずにいました。日常の必要な事は出来ているから、それで良いだろうと、自分の本心の「成長したい」という気持ちに蓋をしていました。その内、周りの皆が次々と元気になっていく姿に焦りを感じ、いきいきと輝いている姿を見ては「自分は冷めているし、素直じゃないから駄目だ!」と劣等感を抱き、だんだん、本来自分が持っていたあの暗い闇に入っていってしまいました。
そんな中、ぐずぐずしている私を見かねて、発見会の先輩Mさんが背中を押して下さり、合宿学習会へ参加する事になりました。合宿への参加は、最初は不安でいっぱいでしたが、本心は行きたかったので、行きたいという気持ちを重視し、思い切って飛び込みました。合宿は、森田先生の著書をテキストにした学習を中心に、自炊や、レクレーション等、盛り沢山でした。私がこの合宿で1番心に残ったのは、学習の時に、二十代の若い人達が、素直に「わからない!」と、先輩にあるがままでぶつかっていく必死の姿を目にし、熱い人間味を覚えた事です。人間らしさって、こういうことなんだと、私の氷の様に冷え固まった心を解かしていってくれました。それと同時に、理解できていないことを知られる事を恐れて「わからない」と素直に言えずにいた私は、森田先生の仰る「あるがまま」が、全くわかっていなかった事に気付かされました。心のどこかで優等生にならなければいけないと思っていた様です。
学習の単元にも取り上げられた、「森田正馬全集第五巻」の序文の「この一生をただで終わりたくない・偉くなりたい・真人間になりたい・との憧れに対する・やるせない苦悩である。」という言葉には、参加者全員が涙を流しました。私の数々の悩みの原点はこれだったのだと、忘れかけていた大事なことを改めて思い出させて頂きました。目の敵にしていた劣等感や差別感も、私の身を守ってくれている大切なものだという事を知り、これまでの自分の良いことも悪いことも過不足なく正しく自覚するとともに、大いに反省する機会にもなりました。症状なんてどうでも良い、神経質者として・人間としてどう生きるか、そんな大切なことを教えて頂きました。たった一度しかない人生を無駄に過ごすのではなく、神経質の長所を磨いて、一生懸命生きたいと思います。
合宿での学習会も素晴らしいものでしたが、私の心の支えになったのは、毎日、仲間の皆さんとネット上に立ち上げた電子掲示板で会えたことです。皆さんの書き込みを読んでは、その頑張りにとても勇気づけられました。私自身もその中で日記を付けていましたが、先輩や仲間の皆さんからのアドバイスや励ましは、とても心強く、生活の軌道修正も早くでき、とてもありがたいものでした。何よりものことは、自分を表現することが苦手だった引きこもりがちの私が、少しずつ文字にして表現できる様になり、それが爽快にさえ感じる様になっていきました。
そんな毎日のやり取りによって、今まで以上に仲間の皆さんが身近に感じ、繋がりが深くなった様にも思います。掲示板以外にも、皆さんがされているロードバイクの仲間にも入れて頂いて自然を満喫したり、旅行に出かけたり、色んな事を経験させて頂きました。恥ずかしい話ですが、これまで、自分ひとりで生きてきた気になっていた私は、この年になって初めて、人との繋がりがこんなに素晴らしいものだと気付かされました。皆さんの中に入らず、いつまでも捻くれていたら、今頃どうなっていたのだろうと思うと恐ろしくなります。神経症は一人ではなく、みんなで協力し支え合って立ち直っていくものだと、実感しています。
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