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症状別アドバイス集

強迫神経症の部屋

「できている事がたくさんあるはず」 '19.6 

Hさんは、不登校や口臭を乗り越えて、仕事に行きながら子育てもされているんですね。毎日かなりお忙しい事でしょう。

口臭など自分から出る臭いを気にする人は「自己臭恐怖」と呼ばれています。自己臭恐怖の方は、自分の「臭い」について強迫的な自己観察をしています。この症状をお持ちの方は「人に迷惑をかけたくない」という思いから外出などが難しくなることが多いです。

この「口臭→人を不快にさせる・迷惑をかける→ひきこもり」のパターンは相手に好かれたいあまり人と接する時に起こる不安であることに関わらず、人と接することができなくなり相手に好かれるチャンスすらなくなるという矛盾が認められます。一番の問題点は外出困難になってしまうことなので、自己臭恐怖の症状を軽減するために薬物療法を併用することも多いです。

さらに、自己臭恐怖があると、他人に臭いを確認させる行為が出てくることがあります。こうした他者に確認するタイプの方は、まず他者に頼らず自分で確認し次の行動に進む方に移行していく方が望ましいです。他人に確認を頼むとその時は一瞬安心できますが、長くは続かず、他人に確認してもらわなければならない自分を感じ、自分に自信がなくなるという悪循環に陥るからです。他人への巻き込みから自己完結に移行していくのは大切なポイントです。

Hさんは心配はあるものの外出できており、上手く症状と付き合えていますね。そしてHさんの書かれた文章にも「口臭を意識しすぎて口臭を作り出している」と症状に注意が向けば向くほど症状が気になるという悪循環にも気付いていらっしゃいます。この悪循環に気付けたことこそ、森田療法のスタートにおいて大切なところです。

最後に、自己臭恐怖の方は、真面目にコツコツと作業に取り組むタイプが多い印象です。それにも関わらず、ご自身のできている仕事には目が向きにくい方が多いようです。以前入院森田療法を受けた方が、「症状がありながらもここまでできた自分を褒めてあげたい」と言っていました。入院生活を経てやっと自分のできていることに目が向いたのです。そうなると症状への関心が自然と薄れていきます。

Hさんも仕事、子育てをこなし、努力家でできていることが多い印象です。ご自身のできていることを毎日書き出してみてはどうでしょうか?症状がありながらもできていることを再発見できるはずです。
(大久保菜奈子)

「どうしても意識してしまいます…」「それでいいのです」 '19.5 

Fさんは会食恐怖症の他に、頭が痛くなったらどうしよう、便が漏れたらどうしようなどの悩みを抱えておられるとのことです。実際に考え始めると、頭・お尻などを意識してしまい、身体症状に出てしまうこともあるそうです。書き込みの締めくくりに「こんな自分を根本から変えたいです」とあります。他の方とのやり取りでも「どんな自分も自分と思えるようになりたい」「根本から変えたい」といった発言が何度か出てきているのが印象的でした。

Fさんにとって、会食恐怖や失敗恐怖が起こらない相手や場というのはあるのでしょうか。もしあるとしたら、不安にならない相手や場は自分にとって他の相手や場とどのように違うのでしょう。

実際に身体症状にも発展するとのことですが、不安が浮かんだ時の動揺の強さや意識してしまうことへのこだわりを伺うと、他人によく思われたい・嫌われたくないという対人緊張の他に、Fさんは不安がよぎることが不快で、その不快感を避けようと必死になられているようにも思えます。

もしそうだとすると、
(1)不安がよぎることがそこまで嫌なのはどうしてでしょうか
(2)その答えの中に、Fさんが自分や人との関係に対して望んでいるものがある
のだと思います。

まだ大学生でしっかりやっていきたい気持ちを持った立派な方だと思うので、突っ込みどころのある自分をふがいなく思われるのかもしれませんが、不安になるのをゼロにすることはできませんよね。

大事なのは根本から変えることや、どんな場合にも自分の気持ちに安心していられるようになることではなく、「どうしても意識してしまう自分」もまた自分であるという感覚を持てること、揺れる自分は嫌だけどまあ仕方ないという感覚を持てることではないかと思います。

そのためにぜひ(1)(2)を見つめ、(2)の中で実際に実現できることに力を注ぐようにしてみてください。多くの不安に襲われながらも、結婚式にも出席し、大学でもきちんと勉強されているFさんはかなりの頑張り屋さんだと思います。そんな自分にぜひたくさんの花丸をあげてください。
(矢野勝治)

「まずは仕事上での関わりを大切にする」 '19.4 

Mさんは高校の頃から異性への関心はあるものの、どう接して良いか分からず、関心のない振りをしていたようで、1年ほど前から職場の女性に目を向けられず悩んでいます。特に気になる異性がいると「関心を持ってはいけない」という構えが強くなるようです。

気になる異性がいれば、「話したい、仲良くなりたい」という気持ちになるのが自然ですが、その気持ち・感情を「関心をもってはいけない」と頭で無理矢理押し込めているのは辛いですよね。自分の感情を頭でコントロールしようとすること、それがいわゆる「思想の矛盾」というものです。どんな感情であっても、感情そのものはコントロールできませんし、罪もありません。ただし、行動には責任があります。ですから、感情はそのままに、行動をコントロールしていきましょう。

Mさんは、職場の女性に関心を持たないようにするためにも、目を向けないようにしているのでしょうか。それとも、目を向けたいのに、目を向けると辛い気持ち(「恥ずかしい」や「嫌われたくない」など)になって、向けられないのでしょうか。もしかしたら両方あるのかもしれませんね。

そもそも、何の用事もないのに、特定の人をじろじろと見ているのは相手に不快感を与えてしまいますね。ただ、一方で、ある人と話しているのに、その人の顔を全く見ないというのも相手に不快感を与えてしまうかもしれません。

その相手の人に声を掛ける際に、自分の興味や関心の話題が先になってしまうと、相手もびっくりしてしまいますので、まずは仕事上などで関わる機会があった際に、その相手の顔を見ながら話してみてはいかがでしょうか。話している間、ずっと相手の目や顔を見続ける必要はありません。ずっと見られると、相手も圧を感じることもあります。ときどき、特に仕事上で特に大切なことを話す時や聞くときに、顔や目を見ながら、話の内容に注意を向けていきましょう。徐々に仕事上の話題から他の話題に広がっていくこともあると思います。そうやって時間をかけて、人との関係は出来てくるものです。

焦らずに、まずは仕事上の関わりを大切にしていって下さい。頑張ってくださいね。
(谷井一夫)

「人との付き合い方について」 '19.3 

こんにちは、Tさん。7年間、対人緊張に悩みながら社会生活を維持されたのですから、その努力は相当なものです。しかし、Tさんは現在も症状に悩み続けているが故に、このフォーラムの門を叩いたのだと思います。

Tさんは、相手と話す時にどんな思いを抱くでしょうか? 「相手から嫌われないように気の利いたことを言わねば」、もしくは「相手を不快にさせないために常に笑顔で接しなければならない」などでしょうか? ただどちらにしても、他者に対して「円滑なコミュニケーションをせねば」という、「かくあるべし」の姿勢がTさんを苦しめているのだと思います。

世の中は、私たちに日頃から「コミュニケーションをしっかりとろう」「相手の目を見て話そう」などと教育勅語のような示唆を押し付けてきます。そして、ここで参加されている誠実で真面目な方ほど、この示唆を真に受けてしまうところがあります。過去、私がある研修先で教えられたことは、このような助言がしばしば対人緊張を煽る温床になっているという事実でした。Tさんのように、コミュニケーションに悩まれている方ほど、この様な示唆によって苦手な会話を克服して、「流暢なやり取りを身につけねば」という思考に陥ることは半ば然るべきことなのです。

Tさんは、コミュニケーションが苦手であることをもっと自分の持ち味であると認めていって欲しいと思います。持ち味であれば、克服ではなく、苦手なりの切り抜け方を学んでいけばよいのです。そこで、大切なのは流暢な気の利いた会話ではありません。むしろ不器用だけど、自身の言いたいことを簡潔に伝える姿勢です。

特に仕事であれば、業務内容に纏わる報告、連絡、相談などの会話だけをしっかり押さえて置けばよいのです。業務上のやり取りが実践されていれば、必ずTさんの仕事の技量が上がってきます。そして技量が上がる事が周囲の信頼への繋がり、時間の経過とともに周囲との関係が醸成されてくると思います。今は、まだ症状の渦中でそこまでの余裕はないかもしれません。しかし、上記のことを意識するかしないかの差が、やがて大きな変化に繋がると思います。大変でしょうが、数年後Tさんの味わい深さが人間関係の中で育まれていることを願っています。
(樋之口潤一郎)

「"はからい"と"くよくよ"」 '19.2 

Bさんは「対人恐怖と反芻癖で悩んでいる」「会話の後や普段の生活で気になったことや気に入らなかったことを頭の中で繰り返し反芻してしまう癖があります。何度も何度も気が済むまで、頭がスッキリするまで考えてしまいます」と書き込まれています。

人と関わると、「自分の言ったことを相手がどう思ったかな?」「相手の人の態度はこういう(自分に対するネガティブな)意味なのでは」など、気になってしまいますね。それを引きずってしまうこともままある事。相手が「どうでもいい相手」でなければなおさらですね。

Bさんは後から反芻してしまうことを、「はからいなのでは」と悩まれているとのこと。反芻には「頭の中での確認行為(大丈夫であることを確認してすっきりさせる)」である場合や「過ぎたことくよくよと思い悩む」場合などが考えられます。 ここでは、「はからいであるかどうか」をはっきりさせるよりも、どうつきあっていくかを考えていきましょう。

「頭がスッキリするための確認」については、やはり、切り上げて次の行動、家に帰った後であれば身の回りのことや家事など、に手を付けていきましょう。

「相手の反応が気になってくよくよする」ことについては、くよくよしながら。「くよくよしてはいけない」という「かくあるべし」で抑え込もうとしても気持ちに無理な注文をつけることになってしまいます。くよくよするのは「相手といい関係でいたい」「いい人間でありたい」という気持ちがあればこそ。その気持ちを大事に生かして、くよくよと悩みながらも目の前のことに目を向けていきましょう。そして、次に相手の人と会った時は今その時のやりとりにできるだけ目を向けていきましょう。
(塩路理恵子)

「皆親御さんは子供関係の人間関係は大変ですね」 '19.1 

K様、社会人時代からなんとか最低限のコミュニケーションで仕事をこなし、パニック障害も克服されたのですね。しかしお子さんのことでつきあいがありお悩みなのですね。

K様のように神経症をいったん克服したものの、お子さんのことでの対人交流を通して対人恐怖症状が出現する方に私は日常出くわします。K様だけでなく子供のための人間関係でお悩みの方は病院におかかりでなくても日常よくあることではないかと思います。その理由として考えられるのは、今まで生活してきた学生生活や社会生活ではある程度ご自身と共通の背景を持ち会話もしやすいですが、子供を介しての親同士のつきあいでは子供の共通点しかないため親同士は全く今までの生活背景が違うことがあるのではと思います。ですから子供のこと以外の話題はなかなか出しにくいのが本音ではないでしょうか。お子さんに関することではまずは最低限のコミュニケーションをすることを心がけて、話しているうちに趣味など共通の話題が出てくればさらに会話がはずむでしょうが、滅多にないくらいに思っていても良いのではないでしょうか。

「周囲の人にどう思われているか」気持ちの裏には「周囲の人に良く思われたい気持ち」があります。これを森田先生は「生の欲望」と呼んでいます。生の欲望が強いのですが、そのエネルギーが症状へ向いてしまい(「とらわれて」しまい)、悪循環を起こしてしまいます。

森田先生は「たとえば、赤面恐怖・吃音恐怖が、恥ずかしいことそのことが苦しいのではない。実は人前で自分が、立派でありたいのが、その目的である。もし恥ずかしいそのことばかりが苦しいならば、それは意志薄弱者であって、神経質の恐怖症、すなわち強迫観念ではないのである。」と述べています。

今までのご自身の生活、パニック障害を乗り越えられてきたご自身を信じてこれからも「おそるおそる」で良いので、実は自分は「何かを求めている」と信じて必要な人間関係を避けずに行動して頂ければと思います。
(舘野歩)

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