スマートフォン専用サイトはこちらをタップ

症状別アドバイス集

強迫神経症の部屋

「不安や心配に過剰に気にして圧倒されることなく」 '18.8 

Yさんは幼いころから神経質で心配性だったとのこと。そんななか義母に結婚時から何事にもダメだしされたり、「楽しい思いをしたり、好きなことをすると、他の家族によくないことが起こる。決して油断してはいけない」と言われ、Yさんが原因で悪いことが起こることにされてきて、今でも気になって苦しんでいます。例えば、娘さんが受験に合格した後に夫が病気になった際には、義母からはYさんが合格を喜んだから夫がつらい思いをするのだと責められたとのこと。

人が喜ぶことで周囲が病気になることは一般的には考えられません。悪いことを自分に結び付けられて責められるのは本当に辛いことだと思います。義母さんからの言葉も義母さんの考えすぎや関連付けと思えるところは気にし過ぎず、「勝って兜の緒を締めよ」「百里を行く者は九十を半ばとす」というようなプラスの内容に転換し受け取るくらいにしてみましょう。

他にも、乳癌の自己検診や家の戸締りについて、自分の判断で取り返しがつかないことをまねいたらどうしようと不安になり確認を止められないとのことです。「とらわれすぎて入浴時に自分の身体を見ないように目をつぶり胸のあたりも直に触らないようにしています。何かに気づくと普通なのか判断に時間がかかりのぼせたりめまいが起こることがあるからです」。森田療法に沿って考え行動を起こそうとしても不安や心配を見つける方に考えが向いて、「自分の健康のためには必須なのに逃げたくて仕方がありません。本末転倒です。」と、一歩を踏み出せないでいるとのことです。

一方で「夫が病気になったので自分は今元気でいなくてはという気持ちがあるのだと思います」と症状をきちんと読みかえることが出来ており、「不慮の事や不条理は生きているうえでは避けられないのでそれを引き受ける覚悟を持てるようになりたい」と思っています。迷った時や混乱したときには本当はどうしたいのかと問い直し、不安や心配をもとに行動するのでなく、今出来ることから一歩ずつやってみて下さい。
(矢野勝治)

「恐怖突入」 '18.7 

Lさんは働きたいという気持ちが強い反面、不安が強く、発表や大勢の前の発言などが苦手で昔から悩まれています。それを打破するためにプレゼンの練習をしたり、自己啓発本を読んだりと色々と努力もされてきて、新しい仕事に就こうと行動されています。Lさんは不安・緊張が強い中、なんとかしようと、今まで沢山の努力をされてきたのですね。すごく立派なことだと思います。

何かをしよう、と思った時には、「うまくいかなかったら、どうしよう」とか「また不安や症状が出てきたらどうしよう」と感じるものですよね。何かをやる前の不安というのは、漠然としていて、いくらでも頭の中で「あーかもしれない」「こーかもしれない」とシミュレーションできてしまうため、何をどう準備して良いか分からず、動けなくなってしまいがちです。そうなってくると、動けない自分が情けなく感じたり、自信を失ってしまったりしがちです。

しかし、実際は、新しい環境・世界に進んでいこうとするときは、その中に入ってみないと、何をどう準備して良いのか分からないことも多いものです。ですから、現実的に準備できることは準備して、あとは中に入ってみるしか、それらを知る方法はありません。もちろん、新しい世界の中に入ってから、不安になったり、緊張して動悸や手が震えたりすることもあるかもしれません。しかし、それらの症状は出ても良いのです。

最初から「堂々と発表しなくてはならない」とか「緊張してはいけない」と「かくあるべし」にならずに、「不安だなぁ」とか「緊張するなぁ」と感じながら、なんとかその場にとどまっていけばよいのです。不安ながら、おっかなびっくり発表したり、人と関わっていったりすることで、少しずつ経験として身になっていくものです。

ですから、不安がなくなってから「新しい世界に進もう」ではなく、「新しい世界に入りたい」という気持ちを大切にして、不安ながらにおっかなびっくり新しい世界に突入してみましょう。克己の姿勢が強いLさんなら、その中で経験を沢山積んでいけるはずです。是非とも頑張ってくださいね。
(谷井一夫)

「世の中の理想像にとらわれない」 '18.6 

こんにちは、Sさん。Sさんは視線恐怖に悩まれているのですね。認知療法まで試そうとしたのですから、何とか症状を克服しようと奮闘されたのだと思います。

ところで私は、最近世の中が頓に、マスメディアを通じて社会に適応すべき理想像を示そうとしている風潮に危機感を抱いています。その理想像とは、そつなくマルチタスクを遂行し、周囲に明朗に振る舞うなどです。ところが、実際にこのような能力を有している人はほんの一握りですし、私から見ればスーパーマンのようなものです。ただ対人恐怖症の患者さんの多くは、この理想像にとらわれがちです。何故なら、自分の感性に自信がなく、何かが足りないといつも感じているために、世の中の理想像と比較することでしか、自分の価値を確かめられないからです。そして、理造像から外れると、さも自分が世の中の不適合者であると決めてかかり緊張を募らせてしまいます。

でも、実際不適合者なのなのでしょうか? 私はそうは全く思いません。もし、Sさんが社会の価値基準である理想像を求めているとしたら、そのことにまず疑問符を投げかけることが大切です。世の中の理想像と自分の感性は異なるのが自然であり、それが其々の個性なのだと思います。確かに、Sさんは恐らく人との関わりはもともと苦手なのでしょう。そうであれば、緊張は致し方ないし、この事実は悔しいけど引き受けて行かなければなりません。でも、悲観する必要はありません。私は、Stars8さんが「緊張の中で、働きたいからバイトに行った」という件に回復の可能性を感じています。何故なら、Sさんは社会で求められている理想像とは異なる、「苦しいけど何となく〜したい」など自分なりの感覚を有していると思ったためです。そして、このような感覚を実際の生活に少しずつ反映させることが、Sさんの本当の回復であるのだと思います。

そのためにも、緊張と共に実生活に何となく手を出し、自分の感覚を磨いていくことが大切です。考えているだけではだめです。何事も体験、その体験が積み重なる中で、自ずと自分の欲求が見えてくると思います。苦しい中ではありますが、お仕事など次の展開があることを願っています。
(樋之口潤一郎)

「脇見恐怖・横視野恐怖」 '18.5 

Kさんは、「 人が視界に入ると気になってしまう、人の目が気になりガチガチになって話す時や目線もぎこちなくなってしまいます。」と書き込んでおられます。視野の中に入った人が気になる、相手に自分の視線が向いてしまい迷惑をかけると感じる状態を「脇見恐怖」「横視野恐怖」と呼びますが、そのような状態でしょうか。人間の視野はもともと180度以上あり、正面だけを見るようにはできていないものですが、ふとしたときに視野に入る人に注意がむいてしまい、とらわれてしまう状態です。学校の教室で前の黒板を見ているときに視野に入るクラスメートが気になってしまう、などが典型的な悩みです。

さて、Kさんは、「仕事も長く続かずに転々としてました。今常駐で働かせていただいている職場の人達が気を使ってくれたりとても良いところ」であり、「今までは申し訳なさもあり、転々としてましたが、今の職場および職場の人達は大切にしたいと思い迷惑をかけながらも長いあいだ続けていきたいです。 」とのこと、そう思える職場に巡り合えたこと、素晴らしいと思います。

「最近1人で落ち込むことばかりで周りの方にも気にさせてしまっています。」とのことですが、周りの方は、「視線で迷惑をかけるから」ではなく、「落ち込んだ様子」を気にかけ、心配しているのではないでしょうか。

「そのためにまず人に緊張してしまう自分を治したい」とのことですが、これまで緊張しないように、どうふるまうか、何を話すかを考えて、ますます緊張してきてしまってはいないでしょうか。ここは、「今の職場と職場の人達を大切にしたい」という「目的」に沿っていきましょう。

具体的には仕事で何をやったら職場の人が助かるか考えて動いてみる、相手の人の話をよく聞いてみる、などです。大きなことではなく、「これはここに置くと使いやすいかな」と考えて工夫するなどから始めるといいでしょう。ぜひ、Kさんの気遣いを職場を大切にすることのほうに活かしていってください。
(塩路理恵子)

「神経質のなりどころ」 '18.4 

Oさん、人の言葉の意味がわからないことや仕事上でのことでお辛そうですね。しかし文面を見る限りではありますが、Oさんは能力的に「聞き取る力」がない、あるいは「仕事ができな」のではないと思います。

Oさんの二つ目の投稿で「プライベートでは良い」というところがヒントではと感じます。つまり、「人の話を全て聞き取らなければならない」といった理想主義や、「自信のなさから完璧主義を仕事で目指してしまい、本来仕事で必要なこと以外に注意が向いている」ことが原因ではないかとお察しします。

森田療法の創設者・森田正馬先生は、「神経質のなりどころ」を指導され、「神経衰弱と強迫観念の根治法」の中で「神経質の長所と短所」を挙げています。そこでは「神経質の素質による長所は、種々あげることができるけれども、これにとらわれて病的となるときは、これがことごとくその短所となって現れるのである。(中略)神経質の自己内省が強いということは『人を知るは智なり、自ら知るは明なり』というように、(中略)はじめて良知となることができる。(中略)神経質のただわれ独り苦しいという心持ちは、ひとたびその心境を転回して、自己の素質の長所に覚醒したときに、これが唯我独尊となるのである。この心は、すなわち人を恨み、自分をかこつ卑屈の心ではない。自己の全力を発揮し、人をあわれみ、周囲を済度する力である。」と述べています。ご自身で、「本当にそのとき何が大事か」をもう一度振り返ってみてください。人の話を聞く際には、「一字一句の言葉でなく、ざっと何が言いたいかの要点をつかむようにする」ことではないでしょうか。仕事では「7割」に「とらわれず」、仕事上で何が「幹」で何が「枝」かを分別することが大事でしょう。今は「言葉」や「仕事のミス」へ「神経質」傾向が向いているので、そのエネルギーを先ほど書いたような「建設的な方向」へ転換していけばよいと思います。
(舘野歩)

「人に認められたいという気持ちをどう生かすか」 '18.3 

Lさんは中学1年生に無視されたことをきっかけに人間不信に陥りとても辛い状況とお察し致します。

人はなぜ友を求めるのでしょう?人間は本質的に承認欲求を持っているものです。誰かに認めてもらいたい、自分の考えをわかってもらいたいという気持ちです。世の中さまざまな人がいるもので、まったく人に興味を持たず、一人がよいという人も中にはいます。そのような方の場合は、Lさんのような悩みは生まれないでしょう。Lさんの中に、“自分は変な人だと思われているのではないか”、“友人が他の人と楽しそうに話しているのを見ると嫉妬する”といった気持ちがあるということは、“人に好かれたい”、“認められたい”といった生の欲求の裏返しなのかもしれません。そういった生の欲求をLさんが持っていることはすばらしいことです。しかしその気持ちが過剰に働く時、不安や絶望が襲うのでしょう。

また、「こいつは仲間、こいつは敵」という感覚もとても辛いものと思います。ありふれたアドバイスかもしれませんが、仲の良い友人は一人いればそれで十分です。多くの大人も心を許せる友人は一人や二人だったりします。敵が多くても今はよいでしょう。その一人の友人もLさんと同じような悩みを持っているかもしれませんし、その時は相談に乗ってあげてください。お互い支え合える関係になれるといいですね。

しかし、人間は最終的には孤独な存在でもあります。孤独でありながらも、大学に行っている本当の目標、今やるべきことにしっかり目を向けましょう。Lさんは繊細でありながらも、人一倍頑張り屋さんであると思います。是非学生の本業でその力を発揮してください。そのうち、気づいたら自然と仲間が増えていくでしょう。これからのご活躍を願っています。
(鈴木優一)

「感情は自然なものとしてあるがままに。そこでどう振る舞うかを工夫する」 '18.2 

Mさんは、怒りや悲しみに対する付き合い方に悩んでおられるようです。接客バイトで良く先輩に怒られ落ち込んでしまうので、解決策として言われたことの受け止め方を変えようとしたものの上手くいかなかったとのことでした。そこで森田療法に出会い、「悲しみをあるがままにしておくこと」を心がけていたものの、ある日悲しみと怒りが爆発してしまった、長期的な怒りはあるがままに出来ないのではないかと書かれています。

私達人間は、感情の動物とも言われているように、喜怒哀楽があります。それは好む好まざるにかかわらず、自然に生じるものです。怒られて落ち込む解決策として、言われたことの受け止め方を変えようとしたとのことですが、考え方を変えるのも頭だけの理解だと行き詰ってしまうかもしれませんね。その後は「あるがまま」を心がけていたようですが、森田の言う「あるがまま」は心がけると案外ずれてしまいがちです。実際森田は「あるがままになろうとしては、既にあるがままではない」と述べており、「夏が来れば暑い、それなら暑いと思っていればよいか、と問うてはいけない。思わなくとも暑いからそのままでよろしい。夏は暑い、嫌なことは気になる、不安は苦しい、雪は白い、夜は暗い、なんとも仕方がない。それが事実であるから、どうとも考え方を工夫する余地はない」とも言っています。つまり、Mさんの場合であれば、怒られて悲しいと思うのは仕方がないことであり、そう感じている事実をそのまま受けとめるということなのですが、それだけだと苦しくもなってしまいますよね。そこで同時に森田が促しているのは、本来の欲求にもあるがままに従うということです。怒られて悲しいのは、本当は認めてもらいたい、仕事をきちんとこなしたいという気持ちがあるからこそでしょう。一生懸命やっているつもりなのに、いつも上手くいかない。そうした自分に対する落胆や、怒られて傷つく気持ちが悲しさや苛立ちに繋がるのでしょう。そうであるならば、悲しさはそのまま受けとめつつ、同じ悲しみを味わいたくないからこそどうするかといった工夫が大事になってくるのです。その際には悲しみの裏側にある本来の欲求が足がかりになるでしょう。

Mさんは、先輩の指示やお客様の言っていることが理解できず怒られてしまうということでしたが、理解できないことを理解するにはどうしたら良いでしょう。先輩が怒りっぽいようであれば、周囲の他のバイト仲間に聞いてみたり、店長などに相談をしてみると何か上手くいかない理由が見えてくるかもしれません。他のバイト仲間のやり方を観察して真似てみるのも良いかもしれません。これまでにたまった怒りも、単に気持ちだけを受け止めようとするならば忍耐になってしまいます。怒りは怒りとして自分で認め、じゃあどうするか?と試行錯誤をするならば、怒りは自分の成長のためのパワーになるはずです。その中で少しずつ自分の何が足りなかったのか、何は出来ていたのかを知ることで、これまで溜まっていた怒りもいつのまにか流れていく(昇華されていく)のではないでしょうか。
(久保田幹子)

「どんな感情も自分の感情としてあるもの、オープンにしましょう」 '18.1 

Sさんは、13年加害恐怖に苦しんできたとのこと、本当に大変でしたね。「子どもを殺したいと思ってしまった」とのことでご自身のことが怖くなられたのですね。外来で小さいお子さんをお持ちの方たちの話を聞くと、「殺したいと思ってしまった」という話はよく聞きます。Sだけではなく、子育てはそれほど負担がかかるものなのです。さらに、下のお子さんを出産した直後のことですので、ホルモンのバランスの影響も考えられます。「産後うつ」という言葉を聞かれたことがあるかもしれませんが、女性は出産によってホルモンのバランスが激変します。それにより抑うつ状態を引き起こしやすくなるのです。抑うつ状態まではいかなくても、出産直後のイライラ感はホルモンバランスの変化によるものの影響が少なからずあると思います。

さて、このような加害恐怖にどのように対応していくかです。Sさんのメッセージを読みますと、加害恐怖が起こった瞬間、友達に電話をかけたと書かれています。親しいお友達なのだと思います。そういった親しい友達に、「子どもを殺したいと思ってしまった」ことなどをオープンに話してみるのもよいでしょう。お子さんを持っている友達であれば、「私もそう思った」など同じような体験をしていることに気付くはずです。そして「殺したいと思ってしまった」という気持ちを事実として受け止めるのです。感情はコントロールできないですし、あってよいのです。さらに、Sさんは子どもを殺したいとまで思うほど大変な子育てを、加害恐怖と付き合いながら自らの力で乗り越えてきたのです。「よくここまできたな」と自分を褒めて下さい。

今も「いつか人を殺すのではないか」との雑念を抱いていらっしゃるようですが、特に対処する必要はありません。「自分はこういう感情を持っているけどそれは自然なものだ」「人を大切に思うからこそ殺してはいけないと思ってしまうんだ」と思い、流れていくのを待ちましょう。ゆったりと流れる川のように恐ろしいイメージもゆっくりと流れていくのです。そして見方を変えると加害恐怖にはSさんの人を愛する気持ちが詰まっている気がします。加害恐怖を「本当は良い人だけど表現が不器用で急に現れる友達のようなもの」と考えてはどうでしょうか。

ヨガなど身体を動かすことはとても良いと思います。ヨガは「今ここで」に集中できますし、自分の身体を大切にしていこう、さらに自分の心も大切にしていこうという気持ちにつながります。このように行動は続けていってください。
(大久保菜奈子)

SEMINAR

Copyright (C) 2009 The Mental Health Okamoto Memorial Foundation